ミヒャエル・ハネケ監督の映画にしては、普通すぎました(笑)。じりじりさせられることもなく、イライラさせられることもなく、怖さも感じられず、そして面白くなかったです(笑)。
映画の構図は簡単です。「正しさ」の仮面をかぶった権威があり、抑圧される子供たち、女たち、そして多くの弱者がいる。抑圧はさらなる抑圧を生み出し、より弱いところへと吹き出す。
それがファシズムやテロリズムの原型と言えるかどうかは疑問ですが、この映画では、後のナチズムが暗示されています。監督自身は、「『白いリボン』はファシズムについての映画ではありませんし、ファシズムをまったく説明することが出来ない作品です」と言っているようですが、続いて、「根本にあるのは、どこからファナティズムあるいはテロリズムが生まれたのか、という問いです。」と言っている以上、この映画がその答えと言うことでしょう。(「」内は『The White Ribbon/白いリボン』ミヒャエル・ハネケ監督 その2: ぷらねた ~未公開映画を観るブログ~より引用)
まあ、映画はつまらなかったとはいえ、見ながら考えたことは、今の私たちの社会だって同じようなものではないか、ということです。たとえば、最近のTVニュースなどを見ていて思うのは、インタビューに答える若者たち、スポーツ選手やそれを商売にしているタレントたちだけではなく、一般の若者たちもですが、答えが、あまりにも高潔で、非の打ち所のないビックリするような言葉がとても多いです。それ自体は悪いことではないのでしょうが、あるいはこれは、お互いに「白いリボン」をつけあうような社会になっているのではないかと、ちょっとばかり恐ろしくなります。
一般論で言えば、高潔な社会は、必ず、その裏に悪意ある社会を持つことになるでしょう。映画の通りです。