すこし退屈だけれど、すてがたい魅力のある不思議な映画でした。しばらくは、映画のテーマや監督が何を追っかけているのかよくつかめず、こりゃ失敗かなと思いつつ、でも、なんか映像もいい感じですし、流れている空気がとてもやさしいですし、捨てがたい感じでじっと我慢して見ていたら、3分の1くらいしてやっと分かりました(笑)。
娘のダリアは、シングルマザーでコミュニティラジオのパーソナリティ。
息子(コスモ)の養育費は、母のララには内緒で、すでに母と離婚している父から援助してもらっていた。
一方、母のララはメキシコでも有数のアステカ時代のハーブ研究者(民族植 物学者)。独立心が旺盛で、別れた夫とも娘とも、適度な距離を保ち、植物の 研究を続けていた。
そんなある日、ララは自宅の鍵がみつからない、と娘に言う。 夜、男が家の中をのぞいていた、とも。
単なる勘違いだと思われた言動だったが、 ララは薬草研究の整理をダリアに託したのち、 検査を受ける。
診断は、アルツハイマー型認知症。
自分が壊れて行く恐怖を落ち着かせるために、自ら研究したハーブを 試すララ、初めて母との人生を振り返るダリア。
だが、2人に残された時間は、わずかだった…。(公式サイト)
ということで、認知症に冒され病状がどんどん進んでいく母と、病ゆえの不可解な行動に戸惑いながらも介護に努める娘の関係が、緑豊かな空間の中で描かれていきます。
植物がいっぱい出てきて美しいです。室内の装飾もとても素敵です。センスがいいです。
それに、メキシコというと「アモーレス・ペロス」とか「天国の口、終りの楽園。」とか、ガエルくんが出てくる、乾いた空気の中のコイイ話を思い浮かべてしまいますが、これは全然違います。潤いがあり、ゆったりとした時間が流れる、(私の)イメージとは全く違ったメキシコがあります。
主な人物は全て女性です。映画からは男性が必要とされている空気は感じられません(笑)。ダリアが電話で話すだけの父親とかダリアに恋する(?)ラジオ局で一緒に働く男とか映画館で拾ってきた男(かな?これがよく分からないですが…)とか、皆ほとんど存在感がありません。
その日その日を大切に「生」きている感じがいいですね。それと身近にある「死」でしょうか、主たるテーマは。
全体に流れる空気からすると意外とも思える身近な死は、ララの隣人(ですよね)ブランキータの死んだ(殺された)孫が頻繁に出てくることやダリアが最後にとる行動のあっけなさで強く感じます。見ていただくと分かります。
ところで、マリア・ノバロ監督は、この映画で日本初登場と出てきますが、実は1996年の第1回「あいち国際女性映画祭で「エデンの園El jardín del Edén (1994) – IMDb」が上映されています。それにしてもこの映画祭、知名度が低いですね。