不惑のアダージョ/井上都紀監督

異性への渇望を宗教をかてに抑えてきた女性が、ある時その欲望に勝てなく、ついに禁欲を破り、異性と交わって満たされ、ああやっぱり女に男は必要なのねってこと?

昨年末、「大地を叩く女」とともに、井上監督とGRACEさんの舞台挨拶つきで見ました。舞台挨拶は、GRACEさんの出身が名古屋近辺ということで行われたらしく、観客の2/3ほどはGRACEさんの同級生やお知り合いのようでした。上映前のカフェは、何となく普段と違う雰囲気で賑わっており、「ミリオン座ってここなんだ」なんて会話もちらほら、何なのだろう?と思っていたのですが、始まって納得でした。

「大地を叩く女」の方は、いきなり「ドン!」と暗闇で何かを叩く音で始まり、かなりのインパクトです。やがて、それは肉屋で働く女が肉を叩く音だと分かるのですが、荒れた映像(意図的というより映像のクオリティかな?)とともに、かなり強烈に訴えてきます。

編集もリズミカルでかなり印象的です。このリズム、多分GRACEさんのものですね。最初は、井上監督のものかと思ったのですが、「不惑のアダージョ」を見たら、全然違うリズムなんです。こちらはまさしく「アダージョ」です。ちょっとついて行けないくらいアダージョです(笑)。

「大地を叩く女」の方の内容はDVものです。ただ、どうなんでしょう? 私も実際のDVを知っているわけではありませんが、多少読んだり聞いたりと考えている者としては、こんなんでいいのかな?と思いますね。DVが愛情のあらわれみたいなところへ行っちゃいませんかね? まあ、ある種、映画的ジョークかも知れませんし、DVものというのも私が勝手に言っていることなのでどうこう言っても始まりませんが、ただ、DVものじゃないとすると、逆に、単純な男女関係ものとしてのつっこみは甘いです。

「不惑のアダージョ」は、ん〜、うなっちゃいますね。「大地を叩く女」のあの映像感覚はどこへ行ってしまったんでしょう? 撮影はどちらも大森洋介さんという方のようですが、なぜこんなにも違うんでしょう? 編集のリズムも正反対と言ってもいいくらいですし、あのフェードアウトの多さもよく分かりません。意図的にやっているんでしょうか?

こちらも主演はミュージシャンの柴草玲さん。シンガーソングライターのようです。Youtubeで2,3曲聴いてみました。「不惑のアダージョ」は、ああ、柴草さんのリズムですね、と納得がいきます。ということは、この2作、GRACEさんと柴草玲さんのPVと考えれば納得できます。

それにしても、こちらも内容はどうなんでしょう? 更年期の苦痛は男で解決しますか? 本当にそれでいいんでしょうか? 出産などと同じく、男に経験できることではありませんので、何とも言えないのですが、私はなんだかとてもいやな感じを受けました。これは更年期を扱った映画ではなく、男性に対する性的渇望を宗教を利用して抑えてきた女性が、ある時その欲望に勝てなく、ついにその禁欲を破り、異性と交わって満たされ、ああやっぱり女に男は必要なのねって言っているように思えます(この一文、むっとする方がいればすみません)。

それでもいいとは思いますが、それならそれでもう少しつっこんで描いてほしいと思います。「わたしが望んだことですから」ってね…、あの状況であれ望みますか? 男にしても、あの状況でああなりますか? なるならなるで、もうちょっとね…。「それ」「あの」って、ほとんどまともな文章になってません(笑)。

もうひとつだけ。女性の設定をシスターにして、自ら「女性性」を抑圧してきたように描いていますが、宗教へのつっこみも甘く感じますね。テーマと関係ないからどうでもいいのかな?

ということで、何だか、どちらも、石原慎太郎や安倍晋三が喜びそうな女性観ですね。