ラスト10分「ポリニャック夫人の身代わりに。」なったシドニーのふてぶてしさはなかなかのものですラスト10分までは何ともつかみ所のない映画でした。といっても、悪くない映画ですので、誤解のないように。
見終えて情報収集をと公式サイトを見てみましたが、参考になることはまるでなし(笑)、その上ネタバレとも言えることが書かれています。私はネタバレを気にする方ではないですし、気にする人は見る前にネットなど見ないと思いますのでまあいいんでしょうが、もう少し内容のあることを書いてほしいものです(笑)。
で、何がつかみ所がないかといいますと、どうも王妃マリー・アントワネット(ダイアン・クルーガー)の朗読係シドニー・ラボルド(レア・セドゥ)は、王妃に心酔していて、その近くで親しく声をかけられたりすることを喜びとしているようなんですが、それがいまいち映像からは伝わってこないんですね。
映画は全てヴェルサイユ宮殿の中で起きる、いや中で起きるのではなく、外で起きた民衆のバスティーユ襲撃などの事件に対して、ただ噂話に右往左往するだけの貴族たちの醜態や我先にと逃亡する者たちを描いているわけですが、その中でシドニーはひたすら王妃のことを思い続けている(ような)のですが、それが一向に浮き上がってきません。
宮殿内の狭い空間、通路にひしめく貴族や使用人たちの中をステディでシドニーを追うカットがかなりあり、多分これは、身勝手で自己保身的な取り巻きたちの中でシドニーの王妃への思いを浮き立たせるために取った手法だと思いますが、どうもうまくいっているようには思えません。なぜなんでしょう?
シドニーを演じているレア・セドゥの良さを引き出せていない、あるいはミスキャストのような気がします。
なぜなら、シドニーのアップのカットを多用するなど、彼女が何か秘めた強い意志を持っているように見せてはいるのですが、それが王妃を慕う気持ちというよりも、むしろ逆に反感を持っているのではないかと思わせます。レア・セドゥにはそういった強さがあります。ストーリー的にいえば、シドニーは、バスティーユを襲撃した民衆の側の人間として王妃が代表する王政側に相対していくような展開を想像してしまいます。レア・セドゥはそれが似合いそうな存在感を持っています。ネタバレではないかと書いたラスト10分、「ポリニャック夫人の身代わりに。」なったシドニーのふてぶてしさはなかなかのものです。
シドニーの王妃へひたむきな思いとそれがいとも簡単に裏切られたことへの絶望、そしてラスト10分の自我の目覚め的なものへと展開していけば、映画的カタルシスも生まれたのではないかと思える残念な結果ではありました。
ということなんですが、ただ同じくベルサイユ宮殿で撮影されたソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」よりは見応えもあり、あるいは当時の生活感は本当にこういう感じだったのかもと思わせますし、プライベートなどまるでないような王妃の存在でありながら自分の必要のないものは何一つ見ていない究極の自己チュウ描写であるとか、いろいろ面白い場面の多い映画でした。
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