この監督は、単純化した人物を図式的に配置して物語を構成することが多いのですが、この作品の夏八木勲さんだけは違っていました。
そのリアルな存在感は、全体を通してみれば異質に感じられるほど際だっており、その意味では、映画が、いわゆる園子温ワールドではなくなっています。夏八木さんが出てくるシーンは違う監督の映画のようでした。
ただ、映画的にはどうなんでしょうね。原発事故を扱った映画として見れば、20キロの境界線、風評、嘘ばかりいう政府などなど、あまりにも適当な、というより得意の表層のみとらえた図式化は、相当に違和感を感じるものですし、原発事故下における人間を描けているかといえば、小野泰彦(夏八木勲)以外、これまた単純化された人物ばかりですし、結局、音楽に頼り、津波で流された廃墟のような風景を感傷的にとらえるしかなかったのかと思ってしまいます。
出来るならば、園子温らしく、原発事故というシリアスなテーマであっても、徹底的に劇画的単純さでもって描き、それを突き抜けて見えるものが何かを見せて欲しかったとは思います。
園子温監督、「愛のむき出し」のようにリアルさを徹底して排除すれば名作になりますが、少しでもリアルに近づこうとすれば陳腐になるということでしょうか。