いつから一人なの?とマルタが尋ねると、クラウディアは、長い間の後、二歳から…と答えます
前半はとりとめのない感じでややつらいのですが、先へ進めば進むほど良い映画と思えてきます。この作品がデビュー作となるメキシコ、クラウディア・サント=リュス監督です。
メキシコ第2の都市・グアダラハラ。4人の子どもを持つシングルマザーのマルタと、友人も恋人もいないクラウディアは、偶然病院で出会った。(略)クラウディアは、強烈な4人の子どもたちと、自分を娘のように扱うマルタに戸惑いながらも、自分を必要としてくれる彼らの中で居心地の良さを感じ、家族の一員のように時間を過ごしていく。(公式サイト)
監督自身の体験がベースになっているらしく、主役のクラウディア(ヒメナ・アヤラ)には、かなり監督自身が反映されているのではないかと思われます。
その所為でしょうか、映画の入りは、クラウディアの孤独を際立たせようとしたシーンが続きます。思い入れが強い分、くどさが目立ち、あまり洗練されているとは言えません。
しかし、マルタ(リサ・オーウェン)と病院で出会い、マルタの家へ出入りする頃になると、いろいろ興味もわいて面白くなってきます。なにせ、マルタの四人の子供たちが個性豊かで面白いのです。父親がそれぞれ異なり、長女のアレハンドラ(ソニア・フランコ)は、ライターの仕事をしているらしく、現在の一家を支えているようです。次女のウェンディ(ウェンディ・ギジェン)は、肥満体型のわがままな引きこもり系にみえます。ウェンディの父親が二人目の夫で、HIVに冒され亡くなっています。そのためマルタも感染し、現在家と病院を行き来する毎日ということです。三人目の夫の子供が三女マリアナ(アンドレア・バエサ)と長男アルマンド(アレハンドロ・ラミレス・ムニョス)です。この二人の年齢がいくつくらいの設定なのかよく分かりませんが、妙に幼いところと大人びたところが同居しています。
この家族構成でも分かる通り、マルタは分け隔てなく人に接する性格ということであり、どこか通じ合うところがあったのでしょう、クラウディアと一言二言話しただけでもう娘のように受け入れます。娘たちも「またママの気まぐれ」と、クラウディアが家族の中に入ってくることに何のこだわりもないようです。
ただ、このあたりの人間関係が、文化的な違いからなのか、たまたまこの家族をこうした設定にしたからなのかはよく分かりませんが、信頼関係の結び方がやや唐突で驚かされます。無口でほとんど喋らないクラウディアに自由に家への出入りを許したり、親しさを越えた無関心さが最初から存在している様は、逆にそこに何かあるのかなと考えたりします。
家族間では何の意味も持たない言葉が他人に対して放たれれば嫌みや拒絶になったりするのが現実なわけですから、出会いのシーンからしばらくは子供たちも実は受け入れていないのではないかと、何となくそう思わせる感じもあったような気もするのですが、如何せん字幕ではよく分かりません。
映画は、マルタが子供たちとクラウディアひとりひとりに残した言葉で終わることからも「生と死」を見つめたヒューマンタッチの印象ではありますが、結構クラウディアが結局家族の一員ではないと思わせるシーンもいくつか挿入されており、逆にそうしたところが印象に残った映画でした。
マルタが病院へかつぎ込まれた時、子供たちと一緒に駆けつけたクラウディアだけが病室に入れなかったり、最期を自覚したマルタが皆を海へと誘い、結局危篤におちいって病院に運ばれますが、玄関にひとり取り残されたクラウディアをやや長めにとらえた後、そこから去る後ろ姿までおさえたラスト前のカットは、結局これからもクラウディアはひとりで生きていくということなのでしょうか。
ある夜、家の玄関口に座って話すマルタとクラウディア。唐突に「いつから一人なの?」とマルタが尋ねます。クラウディアは、長い間の後「二歳から…」と答えます。
クラウディアの孤独がずんとくるいいシーンでした。