映画の評価より「フランクフルト・アウシュビッツ裁判」について語るしかない
誤解を受ける言い回しかもしれませんが、我々日本人ってヒトラーやアウシュビッツを扱った映画って好きですよね。配給もそれを分かって邦題をつけているのでしょうが、かく言う私もつい見なくてはいけない(強迫)観念にとらわれて見に行きました。
連休明けの朝イチですので空いているかと思いきや、その時間帯にしては結構入っていましたし、その上、まあなんと、隣のおっちゃんは上映中に何度も携帯をパカパカ開けますし、後ろのおっちゃんは椅子を(やっていることを理解しているかどうかは分かりませんが)ドンドン蹴りますし、二列前のこれまたおっちゃんは映画のいいところ(唯一のラブシーン)でいきなりスクリーンに影が出るのも気にせずに立ち上がり、申し訳なさを微塵も見せず狭い客席をゴソゴソとトイレに行きますし、と、まあそれだけ映画に集中できなかったのでしょうが、それにしても散々な鑑賞でした。
戦後十数年を経て、西ドイツは経済復興の波に乗り、殆どの人が戦争の記憶、自分たちが犯した罪を過去のものとして忘れ去ろうとしていた。そんな時、一人のジャーナリストが、アウシュヴィッツ強制収容所で親衛隊員だった男がある学校の教師をしていることを突き止める。駆け出しの検察官ヨハンは、上司の引き止めにも耳をかさず、この一件の調査を始める。(公式サイト)
原題は、IM LABYRINTH DES SCHWEIGENS で、直訳ですと「沈黙の迷路(迷宮)で」といった意味とのことです。
ナチスの犯罪をドイツ人自らが裁いたという「フランクフルト・アウシュビッツ裁判」を描いた映画なのですが、「ニュールンベルグ裁判」や「アイヒマン裁判」のことはある程度知っていても、この裁判のことは知りませんでした。
今では近隣各国と良好な関係を築いている(らしい)ドイツも、この裁判までの戦後20年位は、ナチスの戦争犯罪について国民が無知であったり、ナチス残党が政府内で影響力を持っていたというのは驚きでした。
やはり、こういう映画を見ていますと、日本のことがダブりますね。映画に即して言えば、戦後70年の日本は、未だドイツの戦後15年辺りにいるんだと思い知らされます。
映画は正直良い出来とは言えませんが、戦争当事者が自らの戦争犯罪をどう扱うべきかに答えを出した国があるということを教えてくれただけでも意味があることだと思います。
ドイツにも、東京裁判と同じようにニュールンベルグ裁判が「勝者の裁き」だと受け入れない勢力もあるでしょうし、現在でもネオナチといった勢力があることも聞きますが、少なくとも、自らの過ちを自ら認め、裁いた経験があるかないかは決定的に違います。
これを機にと、敗戦後のドイツについてざっとネットで見てみましたら、連合国の戦後処理は、ドイツも日本も似たようなもので、つまり、終戦直後は脱ナチ化の強い意志があったようですが、冷戦下にあって(西)ドイツ国民の反発が共産化へのドミノ現象につながることを恐れて次第に保守層との妥協へと動いていったようです。
日本も同じことで、朝鮮戦争や中華人民共和国成立の中で、当時のアメリカの西太平洋戦略である「対ソ封じ込め」「対中封じ込め」政策の中心的役割を担わされるべく、日本の保守層が温存されたのです。
ただ、そこまでは同じですがその後が違います。この「フランクフルト・アウシュビッツ裁判」に象徴されるドイツ国民の姿勢があったからこそ、真の自立(独立)を獲得し、その後の国のあり方や国際社会の中での位置の礎となったということです。
マティアス・バルトケ(独連邦議会議員、日独友好議連副団長)さんという方の講演記録がありました。