もうそろそろ神は在るかなどという不毛な問いには終止符を打ちましょうよ
ネットに「おそロシア」という言葉がありますが、この映画、そのまんまですね。
それにしても一体いつの時代?と言いたくなるような設定で、いくら地方とはいえ、ロシアには今でもこんな地域があるのでしょうか?
もちろん程度の差こそあれ、似たようなことはどの国にだってあるとは思いますが、それにしてももう少しメディアの監視の眼(それがいいのかどうなのかは今は不問で)とか、SNSだってあるでしょう、というのはちょっと話が違ってしまいますか…(笑)。
それに、沖縄のことを考えれば、日本のほうがもっとひどいですわ。
ロシア北部バレンツ海に面する荒涼とした小さな町を舞台に、そこで暮らす善なる市井の人々と、権力を振りかざして土地の買収をもくろむ行政との対立を描く。そこから数珠繋ぎのように悲劇的に綻んでいく人間模様──。罪のない人に降りかかる、抗っても決して勝つことのできない非情な程の困難。秀逸な構図と、ロシアの広大で荘厳なロケーションが、人と国家と神、そして悪についての深淵で普遍的な物語を際立たせる。(公式サイト)
フィリップ・グラスの音楽で始まりますと、何と言いますか、マイナスの高揚感といいますか、なにか起きそうでドキドキします。
実際いろいろなことが次々と起きるのですが、思い返してみれば、そのもののシーンはほとんどありませんでした。 コーリャ(アレクセイ・セレブリャコフ)が、妻リリア(エレナ・リャドワ)と友人ディーマ(ヴラディミール・ヴドヴィチェンコフ)の不倫現場で暴行する場面とか、ディーマが市長に暴行される場面も引いた画で、その後ディーマがどう行動したかの場面もありませんでしたし、リリアの死も自殺なのか殺されたのか見せていませんし、どうなんでしょう? 意図的なんでしょうか?
暴力的なシーンを避けているのかもしれませんが、それにしても男たちが皆乱暴で酔っぱらいばかりで(笑)嫌になります。まあ、女たちも酔っ払いますし、男も女もタバコを吸いまくるんですけどね。
地方の粗暴さ(というステレオタイプイメージを利用してという意味)を出そうとした演出なんでしょうか?
などと、なかなか映画の本題である「神」だの「善」だといった話に入っていけません。
と言うのも、正直なところ、そうしたことを考えさせる映画ではなかったということなんですが、ただ冒頭とラストのシーンであるとか、コーリャと神父の問答などをみれば、アンドレイ・ズビャギンツェフ監督にはその意図は大いにあるのでしょう。
ただ、土地の利権がらみの話に「神」を持ち出すのはあまりにも観念的ですし、邦題のような意図があるとするならばの話ですが、社会的弱者が「善」であるとするのはあまりにも一面的です。くれぐれも言っておきますが、社会的弱者が救われなくていいと言っているのではなく、そこに「神」を持ち出すことはむしろ現状肯定することに等しいということです。
社会的不公平に対してはたとえ負けるとわかっていても闘う以外に方法はありません。
その意味では、コーリャと、たとえネコババの意志があるにせよディーマは、権力の横暴と闘おうとしているわけですから、その二人の間に女性を置いて、さらにそこに不倫関係まで持ち出すというのは話を混乱させすぎでしょう。何なんでしょう、コーリャをより悲劇的にしようとしたのでしょうか?
そうなら、リリアをコーリャと一緒にモスクワに逃げさせてもっとドロドロにする手もあったでしょうに(などと余計なことですが)、と考えてみれば、確かに話はドロドロ系でしたが、全体的な印象はすっきりとしており、あまりズンとくることはなかったですね。
上にも書いた「そのもののシーンがない」ことと合わせて考えてみると、こうしたセンスがきっとアンドレイ・ズビャギンツェフ監督の持ち味なんでしょう。「父、帰る」も「エレナの惑い」も見ているのですが忘れてしまっています。
ということで、何かを伝えようとする意志は強く感じるのですが、それが何なのか映画から肌で感じることはできなかったということで、こんな言い方すると身も蓋もなくなるのですが、この映画のようなあからさまで分かりやすい「悪」は社会派ドラマのジャンルであって、「神」を持ち出すには似つかわしくないということです。
というよりも、もうそろそろ「神は在るか」などという不毛な問いはいいんじゃないでしょうか。現実をみれば答えは出ています。
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