これは映画ではなく宗教ですねえ
思想的にどうこうということもありますが、それよりも映画としてつまらないです。特攻隊員の生き残りたちの語りがまるで歴史読本を読んでいるような解説文では到底映画になりません。過去を探っていく現代の人物像もステレオタイプで浅すぎます。
山崎貴監督は「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズの監督なんですね。どの作品も見ておらずこれが初めてですが、VFXディレクター出身ということで特撮が得意ということのようです。零戦での空中戦や空母のシーンなどうまくできています。これが特撮としてどの程度のものなのか、比べられるほどこうしたものを見ていませんが、かなり良く出来ているのではないかと思います。
ただ冒頭にも書いたようにドラマとしてはかなり厳しい出来です。
この映画が戦争美化かどうかということも論点になっているようですが、一概に戦争美化とは言えないまでも変形バージョンであることは間違いないでしょう。一見、死ぬことは愚かだ、家族のために生きるべきだと、反戦のように見せかけていますが、結局、「無私の死こそ美しい」とアジっているわけですから、「お国のために死んでこい」ということとさほど違いはありません。
まあ今時こんなアジテーションで人が動くこともないでしょうから「戦争美化」だと目くじらを立てることもないとは思いますが、「絆」や「日本賛美」など、このところの「ぷちナショナリズム」の文脈で見るとかなり気持ち悪い映画です。
それにこのドラマ、基本的に論理破綻を来たしています。
宮部久蔵を、決して「死」を恐れたわけではなく家族を思うがゆえであり、最後は人のために死んでいったと持ち上げていますが、そこに至るまでに、彼は出撃したとしても戦闘を回避し高みの見物的行為をとっているわけで、当然その行為によって味方に犠牲が出ていることになります。
戦争という行為において、ある部隊が逃亡したらそのしわ寄せは倍以上になって味方にかえってくると思われます。つまり、「死ぬことは愚かだ」と前線から逃げていたら、その分より多くの死者を出していることになります。
この映画はそうした行為に対して何も語ることなく死がすべてを浄化するなんて言っているわけですから、これはもうドラマではなく宗教ですね。
祖母の葬儀の席で会ったことのない実の祖父・宮部久蔵(岡田准一)の存在を聞いた佐伯健太郎(三浦春馬)。進路に迷っていた健太郎は、太平洋戦争の終戦間際に特攻隊員として出撃した零戦パイロットだったという祖父のことが気に掛かり、かつての戦友たちを訪ねる。そして、天才的な技術を持ちながら“海軍一の臆病者”と呼ばれ、生還することにこだわった祖父の思いも寄らない真実を健太郎は知ることとなり……。(シネマトゥデイ)