ひつじ村の兄弟/グリームル・ハゥコーナルソン監督

「馬々と人間たち」は馬と人間が共存している感じがしましたが、これは羊を脇に置いた人間の映画ですね

2015年のカンヌ「ある視点」部門のグランプリ作品です。同じ年、黒沢清監督の「岸辺の旅」が監督賞を受賞しています。

ところで「ある視点」部門って何なんでしょう? ウィキには「1998年、若き才能を認め、フランス国内での配給を支援する補助金を提供することで、革新的で大胆な作品群を奨励すべく導入された」とあります。

ただ、受賞作を見ますと、「若き才能を認め」た賞とは思えないような作品もありますね。

アイスランドの人里離れた村で、隣同士に住む老兄弟グミーとキディーは、生活の全てを羊の世話に費やして生きてきた。先祖代々から受け継がれて来た彼らの羊たちは国内随一の優良種とされており、(略)互いに先祖代々の土地や生活習慣を継承し合う一方で、グミーとキディーは40年もの間、全く口をきかないほどに不仲な兄弟だった。
ある日、キディーの羊が疫病に侵され、村全体が恐怖にさらされる。(公式サイト

アイスランドの映画です。

アイスランドで浮かぶのは「ビョーク」くらいですが、ググってみましたら「馬々と人間たち」がアイスランド映画でした。そう言われてみればそうですね、どことなくトーンが似ています。

ファーストカット(だったと思う)が広大な大地をとらえた引いたショットで、遠くにそれぞれ兄弟の家、そして眼前に広がるのは牧草地、弟グミー(シグルヅル・シグルヨンソン)が兄弟の土地をわけるフェンス沿いにやってきます。ふっとフェンスの向こう側に目をやった瞬間、視線が止まります。

そこからのゆっくりしたパンがいいですね。

予告編でざっとした内容を知っていましたので、多分そこには羊が死んでいるのだろうと予想はついたのですが、それでもぐっと惹きつけられるだけの力のある画が続き、もちろんサスペンスというわけではないのですが、それに近いぴーんと緊張の糸が張りつめたような空気を生み出していました。

その後続く、羊の品評会での兄弟の緊張関係、グミーが、兄キディー(テオドル・ユーリウソン)の羊を伝染病ではないかと怪しみながらも思慮深く寡黙に行動するあたり、そして伝染病とわかり村全体に走る絶望的な空気、いい感じの前半でした。

弟のグミーを演っているシグルヅル・シグルヨンソンさんがいいです。この俳優さんと広大な風景がこの映画をつくっている感じがします。

ただ、中盤以降はややダレてきます。

村中の羊の殺処分が決まるのですが、グミーは数頭の羊を家の地下に隠して残そうとします。考えて見れば、この行為はかなり大胆で大変なことだと思うのですが、映画ではあまりそのことに深入りせず、つまり、隠す行為の罪悪感とか見つかるのではないかの恐れでドラマを作ろうとか、また逆にシリアスにその行為の意味することを取り上げようとする意思はなく、兄弟関係のみに焦点が合わされています。

結局、羊を隠していることは獣医や役人たちに見つかり、かなり唐突に兄弟で協力して羊を逃そうということになります。それだけ羊が全ての生活ということなんでしょうが、40年口も利いたことがない兄弟にしては、何のわだかまりもなく通じ合うというのでは、肉親の絆の強さみたいものしか見えてきません。

何とも中途半端な印象で終わるエンディングもさもありなんという感じです。

冷めた言い方をすれば、そもそも兄弟の不仲なんてことはごくありふれたことですので、そこに焦点を当ててもありきたりのドラマしか生まれないことは目に見えているわけですから、それよりも、羊の生態はよく知りませんが、羊を知り尽くした人間が、地下の狭い部屋に2年間も隠しておこうという発想はあり得るのかとか、羊の種を残したい願望と伝染病の残存リスクを冒すことの葛藤とか、そうした問題の中で兄弟の不仲を描いたほうが映画に深みが出るのではないかと思います。

現実的に考えれば、兄弟共に後継者もいない高齢の状態で、羊を残してどうするんでしょう? などという考えも生まれますが、ただそんな見方をする奴にはこの映画の良さはわからないと自らに言い聞かせるべきとも言えます(笑)。

ところで、R15指定がしてあったんですが、そんなシーンありました? 羊の生殖シーンですかね?