オマールの壁/ハニ・アブ・アサド監督

分離壁の非人道性はともかく、映画としては、全体としてやや中途半端な感じ、政治的にも

日本で暮らす者には最も実感しにくい世界なのかもしれません。

パレスチナ。

今では、中東に関する日本の報道は、シリア内戦やイスラム国主体に移っていますので、自ら知ろうとしてそれなりの努力をしないかぎり、今何が起きているのかほとんどわからないのが実情です。

ただこの映画は、そうした政治的なことに積極的に関わろうとしているわけではなさそうで、むしろ愛や信頼といった人と人の関係性に迫ることで、結果として、政治的現実の不条理性を浮かび上がらせようとしているのかもしれません。

一生囚われの身になるか、裏切者として生きるか ──1人の青年のぎりぎりの選択。2005年の『パラダイス・ナウ』で自爆攻撃へ向かう若者たちを描き、ゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたパレスチナ人監督ハニ・アブ・アサドによる本作は、分離壁で囲まれたパレスチナの今を切実に、サスペンスフルに描く。(公式サイト

ただ、それが成功しているかどうかは微妙で、やや焦点が定まりきっていない印象を受けました。

映画は、オマールを軸にして進みますが、オマールとナディアとの関係、オマールとタレクたち仲間との関係、そしてオマールとイスラエルの捜査官との関係がほぼ並列に並べられており、オマールがその中でもがき苦しむといった描き方であればよかったのでしょうが、以外にもそのあたりがあっさりしており、結果、何やらぼんやりしてしまったようです。

そもそも冒頭に書いたとおり、分離壁にしても、その存在は知っていても、街や村を分断していることまでは知らずに見ていますと、オマールが、狙撃される危険を犯してまで壁を越えることの意味や、一体どちらからどちらへ壁を越えたのかさえよく分からなくなります。

よく考えれば、最初に壁を越えようとした時に、イスラエル兵の狙撃を受けたり、タレクやアムジャドとともにイスラエルの秘密警察に追われるわけですから、オマールはヨルダン川西岸で暮らしており、分離壁を乗り越えて、タレクやナディアの住むイスラエル側に行くということなのでしょうが、事前情報なしで見ますとちょっとばかり分かりにくいです。

そうした分かりにくさが結構多い映画で、それが見る側の問題なのか、映画が不完全なのか、やや判断に困るところです。

見る側の問題ならば、これを機会にいろいろ知ろうとすればいいことなのですが、それだけではない分かりにくさ、この映画の最も重要な点であるオマールの心情などといったことがあまりはっきりしていません。

オマールは秘密警察に捕まり、仲間への裏切りを強要され、何事もなく釈放されれば、当然仲間からは密告者と疑われるわけですから、人間としては相当きつい状態に置かれると思います。

そうしたオマールの心理的な葛藤が伝わってこないことや仲間たちの疑惑の目が描ききれていないことが、この映画を分かりにくくしている原因だと思います。

結局、そんなあれやこれやで、アムジャドの裏切り、ナディアが妊娠しているとの嘘、そしてイスラエルの捜査官の関係がうまく整理できず、なぜか突然2年の月日が流れ、かなり個人的な結末のつけ方で終わってしまったなあという印象です。

オマールはその後ずっと密告者として生きてきたということなんでしょうか。

どうしてもこういう映画は先入観が邪魔をして映画の良し悪しがわかりにくくまります。冒頭に書いたように、最も実感しにくい世界の話ですので適当なことも書けませんが、この地の撮影環境がどうであるかとか、どこでどのように撮影されたかということもよく知って見ないことにはよく分からない映画だと思います。

パラダイス・ナウ

パラダイス・ナウ

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