みかんの丘

映画この寓話的真実で争いがなくなることはないにしても、この寓話的真実を理解できなければとっくに世界は終わっている。

さすがに現代では帝国主義戦争は起きにくくなっていますが、民族紛争はいたるところで起きています。シリア内戦、南スーダン、毎日のように何人死亡などと記事になっています。

この映画は、そうした民族紛争(戦争)の、ある意味核心をとらえた素晴らしい映画です。

情緒的な感動ではなく、画や台詞からひろがる情感にじわりと涙がでます。

監督:ザザ・ウルシャゼ

ジョージアのアブハジア自治共和国でみかん栽培をするエストニア人の集落。紛争が勃発し多くは帰国したが、イヴォとマルゴスは残っている。彼らは戦闘で傷ついた二人の兵士を自宅で介抱することになる。アブハジアを支援するチェチェン兵アハメドとジョージア兵ニカで敵同士だった。彼らは殺意に燃えるが、イヴォが家の中では戦わせないというと兵士たちは約束する。数日後、アブハジアの小隊がやってきて‥・。(みかんの丘

戦争局面において敵同士がひとつの場に会するという設定は、さほど目新しいものではないと思いますが、この「みかんの丘」のリアリティさと寓話的象徴性をあわせもった映画は決して多くはないでしょう。

負傷した、アブハジアの傭兵であるチェチェン人とジョージア人(呼称に馴染めない…、グルジア人のほうが…)を介抱し匿うエストニア人の老人イヴォ(レムビット・ウルフサク)、彼の場の仕切りが無茶苦茶いいんです。

チェチェン人アハメド(ギオルギ・ナカシゼ)、ジョージア人ニカ(ミヘイル・メスヒ)、どちらも負傷しているとはいえ、戦争状態ですので当然ながら殺気立っています。その緊張した空気を、時に強く、時に優しく、絶妙の間で持って、その場を支配していきます。

この映画は、戦争映画でありながら、室内劇であり、会話のない間も含めた会話劇です。

字幕ですので原語のニュアンスを理解できているかどうかは分かりませんが、結構しゃれた、機微の効いた台詞が多かったように思います。間合いも素晴らしいです。

そうした微妙な言葉のやり取りと絶妙な間で、三民族の、それぞれ異なった環境にある人間が、それぞれ自分の思い込みから解き放たれ、自分じゃない他者をより親しい存在として感じ始めていきます。

ここらあたりは、いい映画の常で、見てくださいとしか言いようがありません。

ラストはつらいですよね。

救いようのない絶望と多少の希望と…。

つくり手に映画的センスを感じます。とにかくうまいです。欠けたところもなく、過剰さもありません。

たとえ映画に戦争を止める力がないとしても、戦争が何も生み出さないという、そのことを心に刻む人間を増やすことは出来るのです。