悪の凡庸さ、あるいはミルグラム効果は日々起きている
邦題にヒトラーやナチスとつけて(多分)注目度を高めようとするのは日本の映画界の常套手段だと思いますが、最近ではアイヒマンもよく見かけるようになりました。
この映画の邦題「アイヒマンの後継者」は、ひねりすぎていて分かりにくいのですが、多分、誰もが「アイヒマン」になり得るという意味なんでしょう。
1961年、イェール大学のミルグラム博士が行ったミルグラム実験、ある状況下では人は権力者のいうがままにどんな悪をも行うことを実証しようとした実験を描いています。
監督:マイケル・アルメレイダ
アイヒマン裁判がはじまった1961年。米・イェール大学で、社会心理学者スタンレー・ミルグラムは、“なぜ、どのようにホロコーストが起きたのか” “人間はなぜ権威へ服従してしまうのか”を実証するため、電気ショックを用いての実験を繰り返し行う。その結果は、ハンナ・アーレントが提唱した「悪の凡庸さ」を科学的に実証し、社会全体に様々な影響と波紋をなげかけることになる。(公式サイト)
見ていても焦点が絞りづらい映画です。
何を意図しているのかは分かりづらいのですが、いくつか今ではあまり見かけない手法が用いられています。
俳優が観客に向かって語りかける、いわゆる「第四の壁」破りの手法が全体を通して使われています。
ただ、その語りが学術的というのか、ストレートに入ってこなく(私だけか?)、正直かなり鬱陶しく感じられます。こうしたドラマ形態でその手法を使うのならもっと語りをシンプルにして、ずばっと見るものに訴えるものにすべきではないでしょうか。
屋外のシーンに書き割りが使われているのも特徴的です。
ただこれも全てではなく、ロケ(と思われる)のシーンもありますので、意図がよく分かりません。
結果として、なかなか集中しづらく、正直なところ飽きます。
そもそもの「ミルグラム効果」、ハンナ・アーレントが言うところの「悪の凡庸さ」にしても、どうなんでしょう、そんなことはすでに日常的直感で誰もが理解しうることではないでしょうか。
非人道的な悪とまでは言えなくても、同根のことは毎日起きています。
少し大層な言い方をすれば、今重要なことは、「ミルグラム効果」を生み出すような権力構造を作り出さないということでしょう。