85歳と13歳、救いのないふたつの「死」
ミヒャエル・ハネケ監督はどうやら「死」に取り憑かれているようです。
前作「愛、アムール」に引き続き「死」について語っています。むしろ、この映画の方が「愛」がない分、より「死」に向かっているように思います。
Facebook やチャットなどの現代のコニュニケーションツールや移民の問題が登場し、わかりにくくなっていますが、描かれているのは意識された「死」と意識されない「死」のふたつです。
ミヒャエル・ハネケ監督、今回は、そのどちらの「死」にも救いの手を差し伸べていないようです。
監督:ミヒャエル・ハネケ
人は、60歳、70歳を越せば誰もが「死」を意識します。「死」が目の前に来ていることを実感として感じ、果たして自分は「尊厳」を保ったまま最期を迎えることができるのかと悩みます。
ジョルジュ(ジャン=ルイ・トランティニャン)がそうです。 「愛、アムール」と同じ名前で同じ配役をしています。意味ありげですが続編というわけではなさそうで、おそらく監督自身の意識の強さの反映でしょう。
ジョルジュは建築業で成功したか、あるいは代々そうした家系なのかは分かりませんが、かなり裕福で、現在は独り身ですが、娘のアンヌ(イザベル・ユペール)が跡を継ぎ同居しています。
アンヌという名前も「愛、アムール」の妻と一緒です。このアンヌにも、将来「愛、アムール」的状況が待ち受けているという意味なのか、名前を考えるのが面倒だったのか(ペコリ)は分かりませんが、イザベル・ユペールの配役も同じです。
アンヌも今は独身ですが恋人はいます。また、成人した息子がおり、アンヌの仕事をサポートする役についています。ただ、仕事が合っていないのか、無理やり跡を継がされようとしているのか、あるいは単に母親への反抗心なのか、仕事上で力は発揮しているようには見えません。
さらに、この家には、アンヌの弟で医師のトマ(マチュー・カソヴィッツ)が再婚した妻と幼い子供と共に同居しています。日本的感覚の同居とは違うとは思いますが、ディナーなどは全員揃って食べるシーンが幾度か出てきます。
そこに、もうひとつの「死」に囚われたエヴ13歳(ファンティーヌ・アルドゥアン)がやってきます。エヴの母親が精神安定剤(?)の過剰摂取で意識不明に陥り入院したからです。
物語が進み、アンヌの会社の建築現場で崩落事故が起きたり、エヴが父であるトマのエロチャットを覗き見たり、アンヌと恋人の結婚式があったりするのですが、それらは映画の本筋とはほとんど関係がありません。
重要なのは、エヴとジョルジュの二人です。
冒頭、エヴのスマートフォンの動画映像から入ります。ハムスターを写しているのですが、そこにコメントで母親が常用している精神安定剤をハムスターに与えて殺したような内容が表示され、また、母親にも同様のことを(しようと?)したようにも表示されます。
それが事実であるかどうかを映画ははっきり語っていませんが、後半、エヴとジョルジュの対話の場面でジョルジュが「なぜやった?」と尋ねています。同時にジョルジュは、自分は妻を殺したとも語ります。「愛、アムール」を連想させます。
その対話の前の二人にはいろいろなことが起きています。ジョルジュは深夜ひとりで車を出し事故を起こしています。自殺を試みたけれども果たせなかったのでしょう。その後も自宅に呼んだ理容師に拳銃を手配してくれと持ちかけています。
エヴは父親のエロチャットを見て、また父親が離婚するのではないかと恐れ(たのでしょう)、父親に自分は施設へ行くのかと質問したり、また、これもはっきり語られませんが、父親とともに母親の入院する病院を訪ね、母親の死に立ち会っています。そして、自殺未遂を図ります。
エヴは「死」の誘惑に囚われているということなんでしょう。
確かに、誰でも若き頃、どういうかたちであるかは別にして、「死」を身近に感じることはままあることです。老年の「死」とは異なり、若年にとって「死」はある種魅惑的です。ただ、自分の「死」と他者への能動的な「死」がひとりの人間の中で同居しうるものかどうか、私は疑問を持ちますが、ミヒャエル・ハネケ監督はそう描いています。
そしてラスト、海辺のホテル(かな?)でのアンナと恋人の結婚披露パーティー、車椅子のジョルジュはエヴを招き寄せ、自分を部屋から連れ出すように言います。
そしてこのシーンです。
ジョルジュが離せと言ったかどうか記憶していませんが、この後、ジョルジュは自分で海の中に入っていき、エヴはそれをスマートフォンで撮影します。
スマートフォンサイズの画に変わり、海の中にジョルジュの上半身が見え、そこにアンヌたちが駆けつけていく様子が映し出されて映画は終わります。
(身勝手で)救いがないですね。
映画とはいえ、85歳の老人が13歳の娘に「死」の残像を残して逝こうとするのですから。
この殺伐たる世界が13歳エヴにとっての現実ではないことを願います。