世の中にはお金で満たされる人間とお金だけでは満たされない人間の二種類がいるという話
えらくクラシカルで情緒的な話やねというのが、見終えての最初の感想。
つまり、金の切れ目が縁の切れ目じゃないですが、お金で友情や愛情など人の情は変わるかみたいな、古くて古い(笑)お話です。
冒頭いきなり中央に(ポールダンスの)ポールのあるクラブらしき場所で男女入り乱れての大騒ぎ、何、これ? バブル期の話? と一瞬思ったのですが、バブルにポールダンスはないよなとか、スマホ出してるじゃんということで現代の話でした。
まったく情報なしで見に行きましたのでこう思ったわけですが、あるいは今も、ある階層、ある業界、ある人々(笑)の間では、表に出てこないだけでこういうことがあるのかもしれませんね。
で、後にわかるのですが、そこはクラブではなく、九十九(高橋一生)のオフィス兼住まいで行われているパーティーで、男女皆それらしき服装をして騒いでいる中に、ひとりヨレヨレのダサい系服装の浮いた存在がいます。一男(佐藤健)です。
女が一男に近づいてきます。いきなり一男のスマホを取り上げ、自分のスマホと友達登録してしまいます。なんだか違和感のある行為だなあ(笑)と思ったのですが、まあとにかく、女はあきら(池田エライザ)と名乗り、意表をついた登場だったんで期待したのですが、後のちょっとしたきっかけづくりの役まわりでした。
パーティーは(なぜそんなに盛り上がってるいるのかわかりませんが)大盛り上がり、九十九がシャンパンをあけ、ポールダンサーのパンプスを脱がせて、シャンパンを注ぎ飲み干します。九十九は一男を引っ張り上げ、もう片方のパンプスでシャンパンを飲ませます。居場所のなさそうな一男でしたが、それを機に弾けてしまったのか酔いつぶれてしまいます。
九十九がパーティーの人混みを抜けて二階に上がっていき、何をするのかと思いましたら、金庫を開けて、三億円(とここではわからないけど)をバッグとリュックに詰めてどこかへ立ち去ってしまいます。
翌朝、散らかった(大して散らかっていなかった)床の上で目を覚ました一男は九十九を探しますがいません。二階に駆け上がりますと金庫は開け放たれ空っぽです。
長くなりましたが、以上のような発端があり、その後、何日前とか何年前とかのスーパーが入り三億円の事情が語られ、一方、映画内のリアルな時間軸では、一男が九十九を探し出そうと件のあきらをとっかかりにして九十九の過去の関係者にあたっていくというお話です。
三億円の事情はこういうことです。
一男は兄の保証人を引き受けたために三千万円の借金を抱えています。妻(黒木華)も娘もいますが、今は別居しており一人暮らし、借金の返済や妻子の生活費、もちろん自分の生活費もありますので、昼は図書館の司書、夜はパン工場の従業員と、寝る間を惜しんでの働き詰め状態です。
そもそもリアリティのある話ではありませんので細かいところに突っ込んでも仕方ないのですが、なぜ生活費が余計にかかるのに別居しているの? 妻は協力せず生活費だけよこせって言ってるの? と思いますが、(黒木)華ちゃんはそんなことしませんよ(笑)と思いますし、映画的にも、妻はそのようには描かれておらず、おそらく週一くらいだと思いますが、一男が娘と会うこともできるようです。
家でも買ったと思って夫婦で協力して返していけばいいのにと思うんですけどね…。
それじゃ映画にならないらしく、別居しているわけは、あまり一男が借金返済にとらわれてお金、お金ということで妻が愛想を尽かしたということらしく、具体的には、娘が習っているバレエの月謝1万5千円と発表会の出演料15万円が払えないからやめてくれといったことが原因のようです。
一男、怒れよ! と思いますけどね(笑)。
まあとにかくそういうことらしく、その娘との面会日に、たまたま引いた商店街の福引で宝くじ券が当たり、その宝くじが三億円の当選券だったということになります。
三億円を目の前にして一男は悩みます。
と、またここでツッコミ入れますと、そんなところで悩むやつはいないよ! どう考えたって、まずは借金返すでしょ! 考えるのはそれからでしょ!
だって、一男の望みは家族で一緒に暮らすことですし、お金さえあればそれが叶うと思って一生懸命働いているわけですから、悩む余地なんて1000分の1%もありません。
この後の展開を考えれば、一男が愛していたのは妻や娘ではなく、九十九、ではなく友情という過去の幻想だということになってしまいますねぇ…。
早くもぶっちゃけてしまいました(ペコリ)。話を続けます。
一男は九十九に相談します。で、冒頭のパーティーのシーンに続くというわけです。
一男と九十九は大学の同級でサークルも落研で一緒です。九十九には吃音がありますが、何故か落語は流暢に話します。九十九は「芝浜」という落語を得意としているようです。先に書いておきますと、これがオチです。
二人は学生時代にモロッコへ旅行にいっています。そこでの出来事が九十九の転機となります。市場で買い物をしている時に、旅疲れからか一男が倒れて店の売り物を壊してしまい、三十数万円という高額を請求され九十九が支払います。
九十九はこの時、お金の価値は絶対的なものではなく、人それぞれが決める価値によると気づきます。どういうことかと言いますと、なぜそんなたくさん支払ったのかと尋ねる一男に、九十九は、その時いちばん大切だと思ったのは、弁償額が高い安いということより、一男を早く病院へ連れて行くことだと思った、その金額を払うと言ったら皆親切にしてくれて、自分もその金額で納得したと語ります。
話がそれますが、こういうところを感動シーンにしないことは、この映画で唯一(ペコリ)好感が持てるところです。
日本に戻った九十九は、大学を中退して、バイカムという自分が決めた金額でモノを売買できる、おそらくメルカリのようなものだとおもいますが、起業し、大成功します。
この九十九のサクセスストーリーは映画では描かれてはいません。映画の冒頭のシーンは、すでにそのバイカムは売却された後、九十九が新たに何かを始めようとしていた時のようです。バイカムの売却は何百億円という利益を生み、共同経営者たち、百瀬(北村一輝)、千住(藤原竜也)、十和子(沢尻エリカ)は莫大なお金を手にしたが、九十九はそうでもなく、お金に困っているようなふうに語られていました。
そんなわけないよね、共同経営者たちが九十九を騙したようには描かれていませんので、妥当に分配したとすれば、九十九だってそれ相応のお金を手にしているはずです。
で、やっと、映画の時間軸で言えば、冒頭のパーティーシーンに続く、一男が共同経営者たちを訪ねて九十九を探し歩く話までたどり着きました(笑)。
ただ、この三人の話はさほど面白くはありません。描き方としても、順番に三人を訪ねて、馬鹿な話を見聞きするだけですから、それらが一男に何か影響を与えたとも思えないような人物たちです。
一人目の百瀬とは競馬場のVIPルームで会い、百万円やるから馬券を買ってみろと言われて買ってみれば、それが当たって一男は1億円を手にし、さらに次のレースにつぎ込めば三億円になると言われ、この1億円があれば借金が返せると抵抗するも、結局1億円をつぎ込んでパーにしていしまい、ところが、百瀬はそもそも馬券なんて買っていなかったんだよ、金なんてこんなもんだよと、知ったような大口をたたくキャラクターづくりがされています。
一男にしても、ここで借金を返そうと考えるのなら、最初に三億円から返しておけよと思いますし、1億円当ててもさして喜んでもいませんでしたし、1億円バーにしてもさほど悔しがってもいませんでしたので、まあ夢のようなお話という感じでしょう。
千住はお金儲けの神様のようなことをやっていました。マネーセミナーのようなものとか、宗教集団のように客からお金を巻き上げていました。
藤原竜也さん、肉襦袢着ていました? あれは、映画的キャラ作りの一環なのか、映画の中の教祖づくりの一環なのかどっち? 何か入れていると見せていましたので、多分後者ですね。
十和子は公営住宅に住んでいます。このシーンは十和子が語るだけでビジュアルがありませんので、結構、沢尻エリカさん、台詞回しがつらいですね。へたです。
十和子は、バイカム解散後、見合いをして結婚したと語ります。夫はまったくお金に興味がない人間だそうです。そのことが新鮮だったから結婚したということなんですかね? 何を言いたかったのかよくわかりませんでしたが、なぜか突然、十和子は啖呵を切るかのように、ふすまやら壁やらを破って、そこにお金が隠されていることを見せます。
あれはどういうこと?
この十和子のキャラは失敗していますね。もうちょっと考えるべきでしょう。
と、三人の妙な人物と会うことで、一男にはお金の見え方が変わります。と言いますか、変わったと映画では言っていました。
一男の家族の話に戻ります。
一男は妻から離婚して欲しいと言われています。なぜ? とは思いますが、まあ嫌なものは嫌なんですから仕方ないですね。ただ、妻が何を嫌がっているのか、離婚したい理由がよくわかりません。
娘のバレエの発表会の日、一男は離婚届を妻に渡します。娘の舞台を見る客席の二人、涙を流す一男。
その帰りの電車、一男の隣に九十九が三億円の入ったバッグとリュックを持って座ります。一男は、わかっていた、「芝浜」だろ、と言います。つまり、九十九は、一男が三億円を前にして身を持ち崩さないように遠ざけたということです。
友情? ということのようです。ただ、そこまでお互いに理解し合えているのなら、そんなことで身を持ち崩さないことくらいわかるんじゃないのとは思いますけどね。
九十九はどこか(モロッコ?)へ旅立ち、一男は三億円の最初の使いみちとして娘に自転車を買ってアパートに届けるのです。
早く、三千万円返しなさい!
この記事の最初に、この映画を情緒的と書きましたが、こうやって書いてきますと、そうではなく、お金と人の情みたいなものの関係は意外と冷めた視点で描かれており、つまり、もうすでに昔のようにお金で身を持ち崩すような奴は映画の題材にはならなく、むしろ、お金よりも人との繋がりを求める、言い方を変えれば、人との繋がりを実感できないがゆえにひたすら人と繋がりたいと思う時代を反映しているのかもしれません。
いずれにしても、映画としては、これはもっとひねってブラックなコメディにでもするべき物語で、こんなにもまともに描いたんじゃつまらないということです。
ただひとつ収穫がありました。やはり、佐藤健くんは映画スターの素質があります。どういうことかと言いますと、映画スターっていうのは、演技が上手い下手ではダメで、地の存在感から生まれる、いうなれば、何をやってもその人そのものというものがある俳優が映画スターと呼べるということです。
佐藤健くんはまた一歩その領域に近づいたようです。