失意と絶望に生きるしかないのか
林海象監督、私は「ZIPANG」以来です。
それはバブル真っ只中でした。「二十世紀少年読本」はノスタルジックでファンタジックでかつ切ない映画でした。バブルの浮かれた気分との裏腹さがとてもよかったと記憶しています。その後の「ZIPANG」はあまりいい印象がなくそのまま林海象監督も忘れてしまいました(ペコリ)。
興味深い映画でした。面白かったです。
3つのエピソードで構成されているのですが、一本の映画として撮られたものではなく、最初にエピソード3の「GOOD YEAR」を撮ったことからエピソード2「LIFE」、そしてエピソード1「BOLT」へと拡がっていったようです。
という経緯ですのであまり全体として深く考えるような映画ではなく、ただ福島第一原発の事故に関わる一人の男(永瀬正敏)の物語として関連をもたせています。
3エピソード全てに放射能のヴィジュアル表現として赤紫系の色のグラデーションが拡がってくる画があったのは多分統一感も持たせようとした後処理なんだと思います。
episode1.BOLT
原発のボルトが緩み汚染水が漏れ出したのでその BOLT を締めに行く者たちの物語です。
美術(セット)がとてもよかったです。
と思いましたら、ヤノベケンジさんのアート作品だったんですね。そう言えばあの黄色の防護服は展覧会で見たことがあります。原子炉もヤノベさんの作品のようです。
全てのシーンというわけではないのでしょうが、美術館のアート作品の中で撮影したということで、それも通常の展覧会を継続しながら観客を入れて撮ったんですね。 面白いですね。
物語としては男たちが何度も原子炉建屋に入り原子炉のボルトを締めにいくだけです。でっかいスパナをゴロゴロと引きずりながら原子炉に向かう様子や原子炉直結の錆びたボルトを力任せに回そうとしているアナログ感がとても面白かったです(笑)。
結局何度締めても汚染水の漏れは止まらず、ラストは福島第一原発の実写映像を加工して原子炉を爆発させていました(多分)。
episode2.LIFE
一転してシリアスです。
原発事故の避難指示地域で断固として避難しなかった老人が亡くなります。その遺品整理と清掃に男二人が赴きます。その一人がエピーソード1のチーフ作業員だった男(永瀬正敏)で、その日がこの仕事初めてです。
男は清掃中に孤独死した男の妄想を見ます。その男はノートに「やり直せないのか」(もっとあったが忘れた)と書き残しています。
まあこれはちょっとばかり直接的すぎて似つかわしくないとは思いますが、映画全体を通してにじみ出ているテーマでもあります。
もうひとりの男(大西信満)が永瀬になぜこの仕事を?と尋ねますと永瀬は「生きるため」とか答えていました。これもちょっと引きます。
ところで大西信満さんっていいですね。
episode3.GOOD YEAR
冬、雪が積もっています。GOOD YEAR のネオンサインを掲げた自動車修理工場(山田ゴム店とありましたが…)があります。「O」が一文字今にも消えそうに点滅しています。男(永瀬正敏)が何やら地球ゴマの大きいような機械を触っています。
車の衝突音がします。オープンカー(寒いでしょう)の女が気を失っています。男は女を中へ入れ車を修理します。女が目覚め、北海道へ行くと礼を言って去っていきます。
男は大きな水槽に向かいあれはお前だよなとつぶやきます。震災で亡くした妻の遺影があります。水槽には人魚の妻がいます。
ネオンサインの「O」が消え、GOD YEAR になっています。
東日本大震災から10年
この映画は学生たちと一緒に作られているようです。ですので、と言っていいのかどうなのかはわかりませんが内容がとても真面目です。
クレジットを見ますと、episode1が京都芸術大学、episode2とepisode3が東北芸術工科大学とあります。林海象監督が東北芸術工科大学の教授なんですね。それに、プロデューサーに根岸吉太郎さんの名前があり、なんと東北芸術工科大学の理事長ということです。
東日本大震災から10年、復興も思ったようには進んでいないようですし、福島第一原発の廃炉処理も先が見えず、その上新型コロナウイルスで未来は暗澹としています。
失意と絶望に身を任せながらも生きるしかないないという映画ではあります。