撮りたいものがわからない
「愛の小さな歴史」ってタイトル、中川龍太郎監督の2015年の映画にありますが、知らないということはないでしょうから、わかってやっているんでしょう。それに副題が「誰でもない恋人たちの風景vol.1」ということですので連作として撮っていくということかと思います。
先日、同じく越川監督の「夕陽のあと」を見たばかりですので、あまりの落差に驚いた映画です。
内容からすればある程度の緊張感(緊迫感?)があってもよさそうなものですが、男女三人のふわふわした現実感のない妄想のような話が続くだけです。
やや年の離れた(ひとまわりと言っていた)男女がいます。女は男を愛しているわけではないけれども男の強い願いに応えて(と自分で思っている)一緒に暮らしています。男は女の前でも死んだ前妻を愛していたと言い、月命日には墓参りを欠かしません。
ある時、男の友人が、父親が孤独死したと訪ねてきます。女と友人は互いに強く惹かれ合います。後日、お互いに思いを抑えきれず関係を持ちます。
友人は男に女を譲ってくれと言います。女は友人のもとに去り、男は他の女を探します(だったように思う)。
恋愛話であれ何であれ、人と人の関係が主眼の映画はその人間関係に緊張感がないと見ていてもつまらないです。そうじゃない掴みどころのない人間関係を描いているのでしょうが、だからといって映画そのものがだらだらしていては(ペコリ)見ている方は疲れます。
トモさん(男)が古本屋の主であるとか、ユリ(女)はいつ死んでいいと思い「手のうちようがないほど疲れていた」とか、リュウタ(友人)の父は風呂でゲーテの「西東詩集」を手にしたまま死んで腐り始めていたとか、その手の跡が残った詩集にユリが執着するとか、いろいろ仕込みはしてありますが、それらがほとんど生かされておらず上っ面を滑っていく感じです。
ユリ、トモさん、リュウタ三人だけの映画ですが、そのいずれにも奥行きがなく人物像が浮かび上がってきません。皆ふわふわして生きた人物の感じがしません。セックスシーンだけに妙に力が入っているように感じましたが、あるいは瀬戸かほさんの緊張感からのものかもしれません。
とにかく、全編通して画そのものに緊張感がなく単調です。撮影・編集・脚本・監督に越川監督がクレジットされていますのでカメラも自分で回したということなんでしょうか。
自分の撮りたいものを撮るというコンセプトのシリーズということのようです。