こういう才能が継続的に映画が撮れるといいのですが…映画.com から宣伝コピーを引用しますと、
第39回ぴあフィルムフェスティバルで取り上げられ、PFFアワードで観客賞を受賞。その後も、第68回ベルリン国際映画祭のフォーラム部門に史上最年少で招待されたほか、香港国際映画祭やカナダのファンタジア映画祭など、各国の映画祭で上映された。
という映画です。
その時の PFFの結果を見てみましたら、グランプリは「わたしたちの家」だったようです。
比べることに意味はありませんが、この「あみこ」の方は映画が明快ですね。映画の作りにしてもテーマにしてもはっきりしています。
青春時代特有の憂鬱と、これまた青春時代にしか発揮されない突破力(行動力?)がとてもうまく描かれています。
それに、映画としてのリズムも軽快ですし、ギャグっぽいダンスを入れたりするのも今どきな感じがします。台詞もうまいです。
17歳(かな?)のあみこは、あえていえば、ごく普通の高校生です。いつも一緒に行動する親しい友人もひとりいますし、その友人が本音で付き合っているかどうかに確信があるわけでもありませんし、クラスで孤立しているわけでもありません。なんとなく居場所のなさを感じていることも含めて、おそらく(あえていえば)ごく普通でしょう。
偶然、クラスは違いますが同級生のアオミくんと一緒に家に帰ることになります。このときの会話がこの映画のキーポイントです。
あみこは、サッカーが好きでもないのにサッカーをやっているというアオミくんに興味を持ち、話し込むうちに、ふと「どうでもよくなる時がある」と本音を漏らします。アオミくんがそれにどう反応したかは記憶がなく、一年に一度あると言ったんじゃないかと思いますが、それに対し、あみこは「一ヶ月に一度ある」と返したように記憶しています。
あみこは友人に好きな人ができたと言います。ただ、恋愛感情というよりも、何かを共有できた感覚、おそらくそれは憂鬱さ(のようなもの)でしょうから、同志なんだと感じた感覚ではないかと思います。
そうした感情をお互いが持ち、関係が進展すれば恋愛になっていくのでしょうが、この映画の場合、そうはならず、その後一年ふたりが話をする機会はありません。アミコがなにか行動したりする描写もありませんし、アオミくんのことで頭が一杯になっている風でもありません。
そして、一年後、アオミくんが家出をし、一年(か二年)先輩で東京の大学へ行っている女と同棲しているとの噂が流れてきます。
あみこは突如東京行きを思い立ちます。映画は描いていませんが、あれこれ考えたんだろうと思います。ただ、あれこれといっても、17歳にとってみれば、考えるなんてことは一晩あれば十分で、思い立った時に結論は出ています。
長野(後からわかった)から新宿にバスで降り立ち、大学の前で女を待ち、後をつけて住まいを突き止め、一晩その住まいの階段室のようなところで夜を明かし、って、2月か3月でしょう、凍え死ぬよ、ということは余計なことで(笑)、朝、女が出掛けたすきに部屋に入り、まだ寝ているアオミくんに馬乗りになって、あみこは「なんでよ!」とアオミくんを責めるのです。
実は、この一連の尾行シーンが面白くないんですよ。多分、監督もわかっているんでしょう、街で時々見かける(見かけないか?)大きな声で不満やらを叫んでいる人を出したり、突如カップルにダンスをさせたりしていました。
で、ラスト…、アオミくんが「どうでもよくなったんだ」とぽろりと漏らしたこと以外、どう終わっていたのか記憶していません(笑)。
ということで、東京行きの屋外ロケシーン以外はとても面白かったです。
山中瑶子監督、この映画を撮ったのが20歳前後の頃とのこと、思えば、今では映像系の学校も多く、またその作品を発表する機会や場も増えていますので、こうしたデビュー作で注目されることも珍しいことではなくなっています。
それらをたくさん見ているわけではありませんのでなんとなくの印象なんですが、監督自身の周りの環境、必然的に高校生くらいの話が多くなり、特に監督が女性の場合、こうした青春の日常憂鬱物語のような映画が多いように感じます。それに、皆うまいです。
ただ、誰でも一生に一本は面白い小説を書ける(映画を撮れる)にならないようにとは願います。本人どうこうよりも、映画界が(も)男性社会ということもあるのでしょう、なかなかこういう才能が継続的に映画を撮れていないのではということです。
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