オフィサー・アンド・スパイ

フランスの反ユダヤ主義冤罪事件ドレフュス事件を描く

ロマン・ポランスキー監督、現在88歳、この「オフィサー・アンド・スパイ」は2019年製作ですから、撮っている時は84、5歳ということになります。2019年のヴェネツィア映画祭で銀獅子の審査員グランプリを受賞しています。

1894年にフランスで起きた「ドレフュス事件」という冤罪事件を描いており、わざわざ映画の冒頭に「これはすべて史実である(という意味だった)」と強調するほどポランスキー監督が力を込めている映画です。

オフィサー・アンド・スパイ / 監督:ロマン・ポランスキー

フランスの反ユダヤ主義

ポランスキー監督は、第二次世界大戦時はユダヤ人ゲットーで暮らしており、本人は父親の手により逃れていますが、両親はアウシュビッツに送られて母親は殺害され、父親は強制労働の後になんとか生き延びたという過去を持っています。

そうした過去があって選択された題材なんだろうと思います。スパイ容疑の冤罪で逮捕され有罪とされたアルフレド・ドレフュス大尉はユダヤ人であり、事件の真相は、当時フランス(だけではなくヨーロッパ全域)で吹き荒れていた反ユダヤ主義からくる偏見と差別によるものだったということです。

ところで、この事件自体は第一次世界大戦の20年も前の話ですので直接は関係はないのですが、フランスという国は第二次世界大戦時には「ユダヤ人狩り」なんてことをやっている国です。戦後は戦勝国として国連安全保障理事会の常任理事国となっていますが、1940年にドイツに降伏して、北部はドイツに占領されたままとはいえ、フランス中部の町ヴィシーに親ドイツのヴィシー政権を発足させており、アメリカやソ連を含め多くの国から正統なフランス政府として承認されています。

実際、ヴィシー政権は、1942年の7月16日から17日かけて 4115人の子どもを含む 13,152人のユダヤ人を検挙してアウシュビッツ(など)に送っています。「ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件」と呼ばれており、映画では「黄色い星の子供たち」「サラの鍵」などでも描かれています。

ドレフュス事件

話が映画からはそれましたが、そうした「反ユダヤ主義」、考えてみれば「主義」なんて訳語がよくないとは思いますが、「ユダヤ人に対する偏見や憎悪」は、この映画の中でもドレフュス大尉やドレフュスの冤罪を晴らそうとするピカール中佐に対して民衆から激しい差別の罵声が飛んでいます。

映画は冒頭の宣言通り、大まかな出来事や人物などは史実に基づいて描かれているようです。

ドレフュス大尉に有罪判決が下り、軍籍を剥奪される「不名誉な式典」から描かれます。ウィキペディに挿絵がありました。まさしくこの様子が描かれています。

Degradation alfred dreyfus
Henri Meyer, Public domain, via Wikimedia Commons

ドレフュス大尉を演じているのはルイ・ガレルさんなんですがほとんど出番はなく、冒頭のこのシーンとラストの1、2シーンだけでした。

映画が描いているのは、その後フランス軍の諜報部門の責任者となったピカール中佐が、ドレフュス有罪の証拠とされた手紙の筆跡は実は本当のスパイだったエステルアジ(字幕の表記は違っていたと思う)少佐のものであることを発見し、ドレフュスの冤罪を晴らそうと奔走するというもので、映画はピカール中佐(ジャン・デュジャルダン)の物語になっています。

ウィキペディアにはこのエステルアジの項目に「英国逃亡後の1899年、自分はドイツのスパイであり、ドレフュスの筆跡を真似て書類を捏造したと告白した」とありますので、「ドレフュス事件」というのは実際に反ユダヤ主義の陰謀だったということです。

ピカール中佐の人物像として映画が描いているのは、ピカール中佐はドレフュス大尉の教官として直接に知っているわけですが、そうした関係からの行為ではなく、あくまでも間違っていることは正すべきという良き軍人でありたいという倫理規範からのもととなっています。

ドレフュス逮捕前のフラッシュバックシーンとして、ドレフュスがピカールに自分の軍人として評価が低いのは(つまり教官として)自分がユダヤ人だからかと尋ねるシーンがあります。ピカールはそれをはっきりと否定しますが、ユダヤ人が好きかと尋ねられればノーだと答えていました。

私が見間違えていなければですが、わざわざこうしたシーンを入れていることにポランスキー監督の複雑な内面が現れているように感じます。

ピカール中佐は、発見した新証拠をもとにドレフュスの冤罪を軍の上層部に報告しますが、上層部は軍への批判を恐れて隠蔽しようとします。また、これははっきり誰がと描かれているわけではありませんが、そもそもユダヤ人であるドレフュスを陥れようとする陰謀が軍の中にあったということであり、それによりドレフェスの冤罪を主張するピカート自身も逮捕されることになります。

そして、この映画の原題にもなっているエミール・ゾラのフォール大統領あての公開書簡「J’Accuse!(私は弾劾する!)」が1898年1月13日の「オーロール」紙に掲載され、軍の不正が公にされます。

"J'accuse...!", page de couverture du journal l’Aurore, publiant la lettre d’Emile Zola au Président de la République, M. Félix Faure à propos de l’Affaire Dreyfus
Émile Zola, L’Aurore, Public domain, via Wikimedia Commons

こうした動きが生まれるということは、この時代のフランスには共和派と王政派(軍部、教会)の対立がベースにあったということなんでしょう。

ということで、国を二分する大論争になり、今度はエミール・ゾラ自身も告訴され裁判で有罪になってしまいます。このあたりは映画もかなり走っており、時間もかなり飛んでいます。結局、ドレフュスの再審は認められることになりますが再び有罪となります。ただその後、恩赦となって釈放され、軍籍も復活されます。

ラストシーンは、ピカールは大臣となっており、そこにドレフュスがやってきて自分の階級に対して不満を言っていました。ちょっと意味がよくわからないシーンではありました。

現代に通じる隠蔽体質、差別偏見

率直なところ、歴史ものとしては重厚につくられていますが、現代的意味ではつまらないです。

ユダヤ人憎悪や偏見への怒りが強く出ているわけでもありませんし、軍という組織や裁判の描き方も実際にこうであったかどうかは別にして深みが感じられません。

もし、その陳腐な印象がポランスキー監督の意図であるとすれば成功している映画ですが、おそらくそれはないでしょうし、映画そのものにしてもパワーが足りませんし、現代に意味のあるものとするならば、むしろ隠蔽体質や陰謀自体に焦点を絞ることも出来たのではないかと思います。

いずれにしても、また時代背景がかけ離れているとはいえ、組織の隠蔽体質は今の日本の政治でも日常的に起きていることですし、おそらく陰謀的なことも裏では渦巻いているのでしょう。