レオス・カラックス監督とスパークスによるロックオペラ
忘れた頃にやってくるレオス・カラックス監督です。「ポンヌフの恋人」までの三作は好きな映画ですので茶化しているわけではなく、そのアレックス三部作で監督としては燃え尽きたのかなと思っていましたら、8年後に「ポーラX」、次が13年後の「ホーリー・モーターズ」、そしてこの「アネット」が9年後の2021年です。
ロックオペラ
ミュージカルというよりもロックオペラと呼んだほうがピッタリする映画です。
「TITANE/チタン」がパルムドールを受賞した昨年2021年のカンヌで監督賞を受賞しています。2020年のセザール賞では最優秀監督賞とともに最優秀オリジナル音楽賞を受賞しています。他にも最優秀編集賞、最優秀音響賞、視覚効果賞の計5部門の受賞を果たしています。
音楽賞の受賞は当然でしょう。ほぼ全編音楽で構成されていますので、当然物語そのものにも深く関わることになります。音楽担当のスパークスのことはよく知りませんので、インタビュー記事などを読んでいましたら、そもそもこの「アネット」は、ミュージカルを撮りたいというカラックス監督にスパークスの方から提案したものとのことです。クレジットには、原案(Orignal story)にロンとラッセルのメイル兄弟(スパークス)の名前が入っています。
また、インタビューでは「シェルブールの雨傘」に影響を受けたとも語っています。音楽的な意味あいではなく、日常的な会話のシーンもエモーショナルなシーンと同じように歌で表現したかったというこのです。その意味でも、また、悲劇的な愛を描いている点でもオペラっぽいミュージカルです。
サントラが出ています。
スパークス関連の話題では、4月8日から「スパークス・ブラザーズ」というドキュメンタリー映画が公開されています。監督は「ラストナイト・イン・ソーホー」のエドガー・ライト監督です。
「アネット」の話しに戻りますと、ロンとラッセルの二人は映画のオープニングシーンに登場しています。二人がこの映画に大きく関わっていることを示すとともに現実と虚構がないまぜになった洒落た導入です。
序曲、テーマ曲、終曲
オペラで言えば、序曲のような始まり方をします。
まずレコーディング・スタジオ風景から始まります。コントロールルームにはカラックス監督と娘のナスチャさんがいます。ブースにはミュージシャンがスタンバイ、そこにスパークスの二人が入ってきます。カラックス監督の合図で「So May We Start」の演奏が始まりますと、スパークスは歌いながら夜のロサンゼルスの街へ出ていきます。そこに出演者やアダム・ドライバーとマリオン・コティヤールのふたりも加わり、全員で歌いながら夜の街を進んでいきます。曲終わりにはカラックス監督親子も加わっています。さあ皆で(ヘンリーとアンの愛の)物語を始めようということです。このシーン、ワンカットで撮られており、カメラマンは後ろ向きで撮り続けるわけですから大変だったでしょう。
さあ劇中劇が始まるよみたいな感じでいいオープニングでした。
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その後、アダム・ドライバーはスタンダップ・コメディアンのヘンリーとなりバイクで走り去り、マリオン・コティヤールはオペラ歌手アンとなりリムジンに乗り込んで劇場へと向かいます。
そして、劇中劇はヘンリーとアンの愛の物語がテーマ曲「We Love Each Other So Much」を軸に描かれ、後半になりますと一気に破滅的な様相を帯びてヘンリーと娘アネットによるデュエット曲「Sympathy for the Abyss」で締めくくられます。
終曲は、再び虚構と現実の入り混じったシーンとなり、全員で森の中を歌い踊りながら進みドローン(多分)による空撮で終わります。音楽はテーマ曲のエンディングヴァージョン(だったと思う)です。
Youtubeではプレミアムでしか聞けませんが、Spotify で聞くことができます。
で、物語は…
オペラですので物語は極めてシンプルです。シンプルであるがゆえに、そこに寓話性や象徴性、時に神話性をもたせて見るものに深い思索をもたらすことになります。
スタンダップ・コメディアンのヘンリー・マックヘンリー(アダム・ドライバー)と世界的なオペラ歌手アン・デフラスヌー(マリオン・コティヤール)が(ふたりの愛のテーマ「We Love Each Other So Much」を歌い)恋に落ち結婚します。やがて、ふたりの間に子どもができアネットが生まれます。アネットはマリオネットで表現されています。
永遠に続くかと思われたふたりの愛にも隙間風が吹き始めます。原因のひとつは人気絶頂であったヘンリーの人気に陰りが見え始めたことです。次第に自暴自棄になり荒れ始めたヘンリーですが、それでもなんとか関係を維持しようとアンとアネットを連れてプライベートクルーズに出ます。
嵐に遭遇します。ヘンリーは酔っています。吹き荒れる雨風にも構わず、ヘンリーはアンに踊ろうと言い、揺れるデッキに連れ出しワルツを踊ります。事故が起きます。大きく揺れる船上でのダンスです。アンはデッキから滑り落ち、荒れ狂う海に飲み込まれてしまいます。ヘンリーは助けることができません(しません)。
ヘンリーとアネットは漂流して海岸に打ち上げられます。アンは亡霊となって現れ、アネットの声となって復讐するだろう(こんなような意味だった)と言いながら去っていきます。
後日、すっかり人気も失い荒んだ様子のヘンリーです。ある日、ヘンリーがアネットのためにと走馬灯のような光のオブジェを買い与えて動かしますと、動きに合わせるようにアネットが歌い始めます。ヘンリーはそのアネットの歌で稼ぐことを思いつきます。
ヘンリーは、今は指揮者として成功していますが以前はアンのピアノ伴奏で食い扶持を稼いでいた指揮者(役名)に話を持ちかけます。企画は大成功、ベイビー・アネットとしてワールドツアーを行うまでになります。しかし、ヘンリーは何かに怯えているかのように酒に溺れ放蕩を繰り返しています。
ある夜、アネットのもとに戻ったヘンリーは、指揮者がアネットに語りかけるように自分とアンとの愛の曲である「We Love Each Other So Much」を歌っているのを目撃します。ヘンリーは嫉妬に狂い指揮者を殺していまいます。有罪判決となり服役します。アネットが面会に来ます。
このシーンのアネットは、撮影当時5、6歳のデビン・マクドウェルが演じています。ヘンリーとの掛け合いのデュエット「Sympathy for the Abyss」がすごいです。これもSpotifyで聞くことができます。
そして最後、「アネット、お前を愛せないのかい?(Can’t I love you, Annette?)」と繰り返すヘンリーに、アネットは「もうパパには愛するものは何もないよ(Now you have nothing to love.)」と言い残し去っていきます。床にはばらばらになったアネット(マリオネット)が転がっています。
愛は破滅的
物語はありふれた破滅的な愛を描いたメロドラマです。ただ、そこにいくつかの意味深な要素が散りばめられていますので、何を象徴しているんだろうとかなんの寓話だろうなどと考えてしまう映画です。その要素をいくつかあげますが明確な答えはわかりません。それに映画はそんなに論理的なものではありません。
神の類人猿とバナナ
ヘンリーは「The Ape of God」を名乗るスタンダップ・コメディアンです。フード付きローブのフードをすっぽり被り、煙の中から登場し、客席に挑発的な言葉を投げつけて客の笑いやブーイングを誘います。フード付きローブは悪魔の衣装でもありますし、The Ape of God はサタンや悪魔を指す言葉と解されることもあるようです。もちろんここではヘンリーそのもののことでしょう。
ヘンリーはタバコを吸いながらバナナを食べます。灰皿のタバコをバナナの皮でもみ消すカットが強調されています。Apeだからバナナなんでしょうか。「知恵の樹の実」はバナナとの説もあるそうです。
リンゴを食べるアンの死
聖書には「知恵の樹の実」が何であるかは書かれていないそうですが、いずれにしろ、その実を食べれば必ず死ぬことになるということです。アンがリンゴを食べるカットも強調されていますのでその暗示でしょう。ヘンリーがしきりにオペラ歌手のアンに対して毎日毎日オペラの舞台で死を演じることを揶揄するように歌うシーンもあります。
ヘンリーの暴行疑惑
かなり唐突に感じますが、アネットが生まれた頃にヘンリーの暴行疑惑が糾弾されるシーンがあります。なぜこのシーンが唐突に入っているかはカラックス監督やスパークスに聞かないとわかりませんが、現実世界の何らかの反映(男性の?)であることは間違いないでしょう。
ところで、私は気づきませんでしたが、このシーンの糾弾する女性のひとりは水原希子さんだったとのことです。
マリオネットのアネット
これもよくわかりません。ただ、人形にすれば、それがどういう意味であれ映画が意味深になりますし、CGやデジタル技術を使うことを避けたいと考えれば自然の成り行きに感じます。それに実際の赤ちゃんであったらと考えますと現実感が出過ぎます。
さらに勘ぐれば、この映画が「娘ナスチャに捧ぐ」となっていることからすれば、アネットにはカラックス監督から娘ナスチャへの、本人に聞かなくちゃわからない何らかの思いが入っていることは間違いないでしょう。
人形は人間に操られるものと考えれば、カラックス監督の娘に対する自己批判的な思いかもしれません。エンディングの面会シーンでは突然人間のアネットに変わり、ヘンリーは、そのアネットから絶望的な拒絶の言葉を投げつけられています。
なお、アンがアネットを生むシーンの医師は古舘寛治さんでした。これは見ていてわかったんですが、え?そうなの?と半信半疑ではありました。出産するアンに向かって Push! Push! と叫んでいました。
アリアがない
アダム・ドライバーさんもマリオン・コティヤールさんも実際に歌いながら演技しています。その音声自体が使われているわけではないとは思いますが、俳優としては大変なことだと思います。
ただ、オペラとしては音楽的に物足りないです。印象的なアリアがありません。やはりじっくり聞かせるアリアがないのは音楽映画としてはとても寂しく感じます。それにそれぞれの曲にぶつ切れ感を強く感じます。テーマやモチーフの繰り返しを多用するなど圧倒するような何かがないのは残念です。
なお、実際のオペラシーンのアリアを歌っているのはカテリーヌ・トロットマン(Catherine Trottmann)とのことです。
事前情報を何も入れずに見ましたので、もう一度見てみようかと思っています。