娘の死のせいか、色濃く漂う破滅欲求
「What is youth? A dream. What is love? The dream’s content.」
キェルケゴールの言葉から始まります。直訳では「若者とは何ですか?夢。愛とは何ですか?夢の内容」となりますが、映画を見た印象からすれば、「若さとは何だ? 夢さ。愛とは何だ? 夢を見ていただけさ」といったニュアンスを感じます。
中年のオッチャンたちの切ない悪あがきのような映画です。少なくとも「人生讃歌(日本の公式サイト)」ではありません。
監督の娘、イーダ(Ida)の死
トマス・ヴィンターベア監督は、この映画の撮影がスタートしてすぐに19歳の娘イーダ・ヴィンターベアさんを交通事故で失っています。
2019年5月4日のことで、イーダさんの母であり、ヴィンターベア監督の前妻 Maria Walbom さんが運転する車に携帯電話に気を取られていた車がぶつかってきたということです。Maria Walbom さんの方は命はとりとめています。
また、完成版ではマーティン(マッツ・ミケルセン)の子どもはふたりとも男の子でしたが、もともとはひとりは女の子で、それをイーダさんが演じることになっていたとのことです。学校のシーンのロケはイーダさんの通っていた学校だそうです。
ヴィンターベア監督の悲しみは察するにあまりあります。そのまま撮影を続けることは困難だったと思われ、この映画の共同脚本になっているトビアス・リンホルムさんが、多分いっときという意味だと思いますが、監督を引き継いだということです。
不思議なハッピーエンド(っぽさ)
そうしたヴィンターベア監督の心情が映画に反映しないわけはありません。映画の中でも友人のトミー(トマス・ボー・ラーセン)が自殺しています。
それでも強引にハッピー(っぽく見えるよう)なラストシーンにもっていっています。おそらく、最初のシナリオから書き換えられているんだろうと思いますが、逆にいえば、それまでかなりつまらなかった(ペコリ)映画があのラストシーンでやっと見られるものなっています。
マッツ・ミケルセンさんは元ダンサーだったらしく、映画の中でも当初からマーティンはジャズバレエ(字幕)をやっていたと語られ、なのに踊るシーンはないし、何の前振りだんだろうと思っていましたら、ラストシーンで爆発していました。
音楽は「What a life」、気持ちいぃ~とか、いいねぇ~とかのニュアンスかと思いますが、なんだか切ないですね。
話は飛びますが、ヴィンターベア監督の現在の妻は俳優さんでこの映画にも出ているヘリーヌ・ラインゴー・ノイマンさんです。ニコライ(マグナス・ミラン)の妻アマリー役です。
ドグマ95
1995年にラース・フォン・トリアー監督らとともに始めた「ドグマ95」、すでに20数年たっていますのでどの程度意識されているのかはわかりませんが、自然光、ハンディカメラ、すべてロケ(多分)などのつくりはそのものです。
ドグマ95の公式サイトはすでに2008年に閉鎖されていますので、ヴィンターベア監督にしても、もうすでにその役目は終えたという意識はあると思われますが、なにか思いがあるのか、この内容にはこの手法がしっくりくると考えたのかもしれません。
今から思えば「ドグマ95」というのはハリウッド的なものへのアンチテーゼとしての映画運動だったんだろうと思います。デンマーク版ヌーヴェルバーグとでも言うような…、と思いググってみましたら、やはりそういう論説があるようです。
ネタバレあらすじとちょいツッコミ
いきなりお祭りのような若者たちの馬鹿騒ぎです。湖のまわりをビールケースを持って走り、戻ってくるまでに全て飲み干したら勝ち(なのかな?)みたいな競争で、吐いたらどうこうとか言っていました。
エンドロールでデンマークでは16歳から飲酒ができるというスーパーが流れていました。ヴィンターベア監督の長女が参加したことがあるとの記事もありましたので、デンマークでは実際にやっているお祭りなんでしょう。
マーティン(マッツ・ミケルセン)は高校の社会の教師です。しかし、やる気は失っているようで授業内容はメロメロ、生徒からもブーイングです。後に、生徒の親たちからのクレームがあり、あれこれ非難されるも検討するとか答えていました。
教師仲間にニコライ(マグナス・ミラン)、ピーター(ラース・ランゼ)、そしてトミー(トマス・ボー・ラーセン)がいます。ただ、トミーは小学生くらいのサッカーチームのコーチのようでもあり、しかし後半には酔っ払って職員会議の場にフラフラと迷い込んできていましたのでどういう立場かよくわかりません。
という4人の中年男たちの話です。
血中アルコール濃度0.5‰
マーティンの無気力さは家でも同じで、妻のアニカ(マリア・ボネビー)の仕事が夜勤ということもあり、すれ違いが多く夫婦関係もうまくいっていません。
マーティンはニコライの40歳の誕生パーティーに出かけます。マーティンは車があるからと酒も飲まず憂鬱そうです。そうしたことから、ニコライが、ノルウェイの精神科医 Finn Skårderud が人間は0.5‰(パーミリ)の血中アルコール濃度を保つほうがいいという主張をしているという話を持ち出し、それならばやってみようということになります。
マーティンも朝から飲んだり、水筒にお酒を入れて授業中に飲んだりします。ろれつが回らなくなることもありますが、次第にほろ酔い気分になり、生徒に次の三人の政治家から誰を選ぶかと、1,いつも酔っ払っている男、2,アルコール中毒でヘビースモーカーの男、3,酒も煙草もやらず礼儀正しい男(もっと詳細にだが)の三択問題を出し、生徒たちがそろって3と答えたところで、1,ルーズベルト、2,チャーチル、3,ヒトラーと答えを明かします。生徒に大受けになります。
といった感じでマーティンは気力を取り戻し、授業も順調、そしてアニカにも家族4人のカヌー旅行を提案します。旅行では久々のセックスもあり、アニカからはどうしたの?と言われています。
エスカレートは必然?
映画の中盤は調子に乗ってどんどんアルコール濃度を上げていく話だけです。
正直言ってつまらないですし、どうでもいい話ばかりです。先はわかっているわけですから見ていて面白くありません。
多分、なにか娘の死が影響しているんだと思います。
記憶しているエピソードだけ書いておきますと、サッカーチームのコーチのトミーはひとりの子ども(除け者にされている?)を勇気づけ、後にその子どもが活躍してゴールするシーンがあります。
ピーターは、ひとり教室に残っている生徒の相談にのり、それが試験の時に緊張して落第するかもしれないとの不安だと知り、酒を飲んだらどうかと勧め、実際、試験の時に酒を飲ませ合格させています。
ニコライには幼い子どもがふたりいてニコライのお腹の上におねしょされるシーンがあり、後半には泥酔した自分が妻や子どもたちと一緒のベッドでおねしょ(というのかな?)してしまいます。
この流れでいくのであればコメディーにすべきだと思いますが、妙にシリアスなんです。ニコライでしたか、論文調でパソコンに濃度何%ならどうこうとかと打ち込んで、それがスクリーンにも表示されるといったことをしていましたが、真面目すぎてブラックにもなりません。
破滅願望、破滅欲求
私はこの映画から「破滅願望」や「破滅欲求」を読み取ります。
ある日、4人そろって飲みまくり泥酔します。バーではぶっ倒れて什器を壊したり、パンツ一丁で夜の街を徘徊したり、そして、翌朝ニコライはおねしょをし、マーティンは咎められたアニカに逆ギレして、男がいるのだろう!とちゃぶ台返しをして出て行け!と暴言を吐いてしまいます。アニカは息子二人を連れて出ていってしまいます。
この泥酔の一日を機に血中アルコール濃度の限度を測る実験は中止になります。
後日、マーティンはアニカを呼び出し、もう一度やり直したいと訴えますが、アニカは無理の一言でとりつく島もありません。
そして職員会議のある日、校長が校内で飲酒している者がいると指摘しているその時に、トミーが泥酔してフラフラと入ってきます。皆言葉がありません。
トミーはひとりヨットで海に出て自殺します。
What a life
卒業試験も終わり、ピーターが相談にのった生徒も無事に卒業となり、生徒たちはお祭り騒ぎです。
皆で波止場で大騒ぎ、そしてマーティンは踊り、海に向かってジャンプします。
忘れていました。アニカから「寂しい」とショートメールが入ります。
アカデミー賞国際映画賞
今年2021年のアカデミー賞国際映画賞を受賞しています。
レオナルド・ディカプリオさんがリメイクを計画しているとの話もあるそうです。
この映画の何がアメリカ的価値観を刺激するんでしょう?