河瀬直美監督の原作ものを見る(原作:辻村深月)
河瀬直美監督の映画で原作ものを見るのは初めてです。そのせいか物語の芯はしっかりしていますし、物語としてはきっちり収まっています。
ただ内容が内容なだけにこれだけリアルさを求めてつくられていますと(私は)かなり引きます。
ネタバレあらすじ
子どもを欲しくとも不妊症で持てない夫婦と望まぬ妊娠で男の子を出産した中学生の間でかわされた養子縁組をめぐる物語です。6年後の現在にそれぞれの過去がフラッシュバックで挿入されます。
佐都子(永作博美) と清和(井浦新)は東京湾岸のタワーマンションで暮らしています。6歳になる朝斗は幼稚園に通っています。
最近頻繁に無言電話があります。
その日も恐る恐る出ますと、幼稚園からの電話で朝斗が友だちをジャングルジムから落として怪我をさせたと言われます。朝斗に尋ねますと押していないと言います。どうすべきか悩む佐都子です。しかし、後日、幼稚園から電話が入り相手の子どもの嘘だとわかります。
また別の日、電話が鳴ります。しばらく間があった後、相手は朝斗の母親を名乗り、子どもを返してほしいと言います。佐都子が訝しく思い拒絶しますと、じゃあお金をください、だめなら近所に朝斗が養子であることを言いふらすと脅します。
佐都子夫婦は電話の主と自宅で向かい合います。朝斗の母と名乗る女に、私たちは朝斗の母親に会っているがあなたではない、朝斗にはわからないながらももうひとり広島のお母ちゃんがいることは話しているし、近所も幼稚園も皆そのことは知っていると話します。
佐都子たちの6年(以上)前です。
子どもが出来なく夫婦で悩んでいます。原因は清和の無精子症です。手術療法(かどうかよくわからないが)を受けるかどうか悩んでいる時にベビーバトンという特別養子縁組を斡旋するNPOを知ります。
ふたりは講習会に参加します。ベビーバトンは、望まない妊娠で生まれる子どもと育ての親を結びつける団体で「子どもが親を探している」がコンセプトです。必ず真実告知をすること、必ず夫婦のどちらかが子育てに専念できること(共働き不可)、性別の希望は出せないので男女2つの名前を用意してもらうことなどの説明をうけ登録することにします。
養子縁組のその日、佐都子と清和は生みの親に会うことを希望します。母親はひかり(蒔田彩珠)という14歳の中学生です。ふたりは「産んでくれてありがとう」と言い、ひかりは「ごめんなさい、お願いします」と手紙を佐都子に渡します。
ひかりの6年(以上)前です。
中学生のひかりは学内の男子に告白されつきあい始めます。セックスがなんであるかわからないままに妊娠してしまったようにもみえます。(どういう経緯か語られませんのでわかりませんが)医師の診察をうけ妊娠がわかります。同席した母親は、まだ生理も来ていないんですよ!(そんなはずはないから違ったかな?)とヒステリックに叫びます。医師は中絶できる期間は過ぎていると告げます。
両親はひかりを休学させベビーバトンで出産させることにします。
ベビーバトンでは何人かの少女が出産を控えて暮らしています。ひかりも次第に穏やかな気持ちを得たようで無事に男の子を出産します。
家に戻り復学したひかりですが、つきあっていた男子と話し合える機会もなく、親族が集まった会食では何も知らないと思っていた叔父(だと思う)から興味本位に話しかけられ思わず殴りかかってしまいます。
ひかりは家出をしベビーバトンに向かい、ここに置いてほしいと懇願します。しかし、ベビーバトンはもう間もなく閉鎖されます。ひかりはベビーバトンの書類から自分の産んだ子の養子縁組先をみつけて東京へ向かいます。
そして現在、ひかりは住み込みで新聞配達をして暮らしています。新しく同年代の女が入り親しくなります。その女から化粧することを教わったり、お互いの境遇を話したりしているある日、二人連れのチンピラが借用証書を見せ保証人なんだから金を返せと脅しにきます。その女が勝手にひかりを保証人にしたのです。
ひかりはそれ以前から佐都子夫婦に電話をしては無言で切っていたようです。ある日、意を決して、母親を名乗ります。
再び、ひかりと佐都子夫婦が向かい合う場面です。
6年前の面影もないひかりに佐都子夫婦は、あたなは一体誰ですかと問います。その時、チャイムが鳴り朝斗が帰ってきます。どうするんですか?(朝斗に会うか?との意味だと思う)と問われたひかりは(残念ながらどうだったか記憶がないが会わずに去ったと思う)…。
佐都子は養子縁組の時ひかりから渡された手紙を読み返します。最後に消された(か筆圧だけかの)文字のあとを見つけ鉛筆をこすりつけますと、「なかったことにしないで」の文字が浮かび上がります。
ひかりを追いかける佐都子、そしてやっと見つけたひかりに「ごめんなさい、わかってあげられなくて」と声をかけ、朝斗にこの人が広島のお母ちゃんよと話します。
で、終わりです。
ラストシーンはふたりで夕陽(朝日か?)に手をかざし(なにか意味ある形だったかも知れない)ひかりが差し込む画で終わっていたと思います。
河瀬直美監督らしさ?
と語るほど見ていませんが、おそらくそうだと思えることを2つ。
ひとつは、ラストカットもそうですが、シーン替わりなどに自然描写の映像を頻繁に入れています。
夕陽、風、海、森、風にゆれる木々、桜、秋や冬を感じさせる季節感のある画を頻繁に使って情感を出しています。
もうひとつは、徹底的なリアリズム、と言うべきかどうかはちょっとばかりクエスチョンですが、俳優の台詞回しにかなりこだわって自然であること、リアルであることを目指しています。かなりリアルです。
ベビーバトンのシーンでは取材映像のようにインタビュー形式も入れています。ベビーバトンの責任者は俳優の浅田美代子さんですが、テレビ番組の取材インタビューをうけているように撮られたシーンがあります。エンドロールに有働由美子さんの名前が出ていたような…。
俳優は皆うまい
永作博美さんのこういう役は適役でしょうし、井浦新さんも、あまり重要な役どころではありませんが丁寧に演じています。
蒔田彩珠さんは「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」以来注目している俳優さんですが、こちらも適役でしょう。
浅田美代子さんもいいですし、ひかりの母親役の中島ひろ子さんのヒステリック演技は映画にかなり効いています。
俳優は皆、役を自分のものとしています。
自然という意味では、俳優ではない一般の人もかなりいたのではないかと思います。そのあたりは河瀬直美監督の得意とするところだと思います。
映画としては単調でつまらない
で、映画は面白かったかと言いますと、こうしたシリアスドラマにこういうことをいうと非難されそうですが、単調である上に丁寧すぎてくどいです。
このシーンをカットすればもっと見やすく伝わるものも多いのにと思うことが頻繁です。
電話の主が誰であるかとか、訪ねてきたのは本当にひかりなのかといったことをミステリーっぽく描く意図はなさそうで全て明かして描いてなおどうだ!といった映画づくりがされています(多分)。
もしそうだとしたら映画にそのパワーはありません。
ミステリーという言い方はオーバーにしても、そう言えば、ひかりがチンピラにお金を渡していましたがあれはどうしたんでしょうね、新聞店から盗んだんでしょうか。
それに、警察が訪ねて写真を見せていましたがあのシーンはどういう意味があったんでしょうか。
ということで、疑問も結構多いのですが物語の芯はしっかりしています。ただ、こだわるところがちょっとずれていたのではないかと思います。
未読での想像ですが、そもそも原作はもっと日常的なテレビドラマ向けではないかと思います。