アジアの天使

俳優たちの本音のぶつかりあいがなく緊張感がない

昨年(2020年)末の「生きちゃった」から今年に入ってついひと月前の「茜色に焼かれる」、そしてこの「アジアの天使」と続けざまに石井裕也監督の映画を見ています。

たまたま公開が重なったということなんでしょうが、映画の内容や出来からすると、何を撮り急いでいるんだろう、焦りでもあるのかしらと思ってしまいます。

アジアの天使

アジアの天使 / 監督:石井裕也

テーマもやりたいこともわかるのだが… 

上のタイトルにしたとおりで、戦後最悪の日韓関係と言われている現実の中での人間関係を描こうとしているの(だと思うの)ですが、率直に言って浅すぎます。

それに俳優も自分が何をすればいいかわかっていないかのようです。韓国の3人はある程度一貫しているようにはみえますが、池松壮亮さんとオダギリジョーさんは一貫した人物造形ができていません。シーンごとバラバラでどういう人物で何をしようとしているのか浮かび上がってきません。

俳優が何をすればいいのかわかっていないということでしょう。シナリオが出来上がっていないんじゃないですかね。

とにかく早く仕上げなくてはいけないとかの理由があったのかもしれません。テーマとしては映画にすべき内容ですので、もう少しじっくり作り上げるべきだったと思います。

ネタバレあらすじとちょいツッコミ

ストーリーもあるようなないような感じで漠然としています。ロードムービーにしたかったのかなとも思いますが、とにかく映画に軸がありません。

戦後最悪の日韓関係の表現か?

青木剛(池松壮亮)が息子の学を連れてソウルにやってきます。渋滞に遭遇したタクシーの運転手の暴言を聞いて、学にこの人怒ってるよね、何言ってるんだろう(こんな感じ)と言っていますので韓国語は全くわからないということなんでしょう。

兄である青木透(オダギリ・ジョー)を訪ねます。韓国人が出てきていきなり、なんだ、テメェは! と暴行されます。透が戻ってきます。弟が暴行を受けているところに遭遇してもどこ吹く風で、仕事のパートナーである韓国人に、これ、弟、と軽く流しています。そのパートナーは、スマン、スマン、と言葉もなく謝っています。

もうこの一連のファーストシーンで集中力が霧散します。

あるいは現在の日韓関係を表現しようとしたのかも知れません。相手のことを理解しようとすることなくとにかくねじ伏せようとする、あるいは相手に理解してもらおうとせず相手のことも理解しようとしない状態です。

もしその意図があったとしたら描き方が浅すぎます。

日本の兄弟2人と息子

剛と透の話から、剛は妻を亡くし、透から韓国に仕事もあるし、学が通う日本人学校も話をつけておくから来ればいいと言われ、日本のすべてを引き払ってソウルに来たことがわかります。

透はちゃらんぽらんのC調男です。何も準備などしていません。剛もそれを怒るわけではありません。透は韓国人のパートナーと韓国のコスメを日本に密輸して稼いでいると言っています。

パートナーにすべて商品を持ち逃げされます。

結構適当な段取り展開で先に進めようということのようで、透は大丈夫、大丈夫、まだワカメがあるからと3人で江陵に向かいます。

韓国の兄姉妹3人

チェ・ソル(チェ・ヒソ)がスーパーのようなところのイベントコートで歌っています。ソルはアイドルでしたが今は落ちぶれているということです。

ソルには兄ジョンウと妹ボムがいます。母親は亡くなっており、兄の台詞で、母親の墓をおばさんが管理してくれているみたいなことの先への振りが入っています。

この兄姉妹は、貧しい家族をソルひとりが支えているという設定らしく、ジョンウは兵役が終了したばかりなのか仕事がみつからないのか働いている様子はなく、ボムは一家の期待の星なのか、ソルがしきりに公務員試験がどうのこうのと言っており、その反動なのかボムは喘息持ちなのにこれみよがしにタバコを吸っていました。

女性が体を売って一家を支えるという、かつてよく使われたパターンを(あえて)やっているのかなと思って見ていましたが、どうなんでしょう。

ソルは事務所から契約を切られます。ソルは事務所の社長と親密な関係にあります。ホテルです。社長がシャワーを浴びているときに電話が入ります。「女3」と表示されています。ソルが自分の携帯から電話をしますと「女6」と出ます。ソルは社長と決別します。

ここまでのシーンの中には後半への振りとして、ソルが歌っているところを剛が見ているシーン、そしてソルが市場のようなところひとりで悲しそうな顔をして飲んでいるところに剛が出くわすシーンが入っています。剛がソルをじっと見つめていることに対して、ソルが韓国語で、何を見てるの! と言いますと、剛は日本語で、そういう気持ちわかります(みたいな感じ)と(池松節で)語りかけます。ソルは、なんだ、こいつ!といった顔で去っていきます。もちろんお互いに言葉では伝わっていない設定です。

日韓6人、列車で遭遇する

ソルたち3人は母親の墓参りに行くことにします。ジョンウが仕切ったのでしょう、ソルがKTXを取れば早かったのにと愚痴っていました。

列車の中で日韓6人が遭遇します。そして、ソルたち3人が降りる駅で透たちも降りてしまいます。設定としてはC調な透がソルを見てついてきたというようなことでした。ただ、透は最後にもともとワカメの話などなかったと明かしています。

で、どういうロケーションなのかと気になり、残念ながら降りた駅の名を記憶していませんでしたので、KTX、海沿い(ラストシーンが海)、江陵(ワカメ)などから地図を見ていたのですがよくわかりませんでした。どこだったんでしょう?

日韓はわかりあえるのか…

日韓の6人はわかりあえるのかということを石井監督がやろうとしたのかどうかわかりませんが、ここからラストまではそれがずっと続きます。

ただ、コミュニケーションシーンはかなり少ないです。なぜもっと6人に俳優としてぶつかり合わせないのか不思議でなりません。

それはともかく、どうやら(裏)テーマは、まあいろいろあるけど、まずは飲んで食べよう、話はそれからだということのようです。

食べるシーンはさほど多くはありませんが、印象的だったのは最後におばさんの家で全員が黙々と食べるシーンです。ひょっとして会話シーンを作り出せなかった? そんなことはないとは思いますが。

ビールと愛

透が剛にこの国でやっていくには「맥주 주세요(メクチュ チュセヨ/ビールください)」と「사랑해요」(サランヘヨ/愛しています)」の2つを知っていればいいなどとうそぶいていました。言葉通り、2人はやたらビールを飲んでいました。

そして「愛」の方は、剛とソルです。

一度は剛がソルに、子どもの頃に天使を見た、その天使はおじさんだった、そして天使に肩を噛まれたと肩をみせますと、実はソルは事務所を解雇され落ち込んでいるときにおじさんの天使を見ており、2人の気持ちが通じ合い、あわや熱い抱擁かというところまでいきますが、突然剛がその場を逃げ出します。

いくらなんでもこれじゃ映画になりませんので、最後に海辺で剛がソルに「사랑해요」(サランヘヨ/愛しています)」を連発して告白していました。ただ、直接的なサランヘヨではなく、将来的にサランヘヨになる予感がするというサランヘヨでした。

家族、あるいは母?

もう一つ、家族、あるいは母というテーマがあるようです。

映画の冒頭、子どもが天使のスノードームを手にするイメージシーンのようなものが入っており、なんだろう?と思っていましたら、ソルの子どもの頃のシーンでした。幸せな家族だったという表現のようで、ソルが大切にしていたものだったということでしょう。

で、その母親はがんで亡くなっているということです。父親もその後事故で亡くなっています。

それが3兄姉妹の不幸の始まりということなんでしょうか。ちょっと安易でいただけませんし、石井監督には家族=母親なんでしょうか。

剛の妻もがんで亡くなっています。これもソルと剛が心を通わせることに使われていました。

やはり、いろんなことが安易に持ち込まれすぎている感じがします。ほかにも映画を進めるために、車を故障させたり、ソルが体調を崩して倒れたり、学を行方不明にして皆で探したりといったこともありました。

日韓の俳優をぶつかり合わせるべきだったのでは? 

せっかくの日韓俳優の共演、もっと俳優同士がぶつかりあう映画にすべきだったと思います。

剛兄弟、そしてソル兄姉妹、ともにパターン化された描写であることは置くとしても、そのふた家族がなぜともに行動するのか、互いに何を求めているのか、そうしたことを本音でぶつけ合うことなくしては何も生まれないと思います。

生きちゃった