バグダッド・カフェ 4Kレストア

I am calling you. Can’t you hear me? I am callin you.

昨年2024年あたりからリバイバル上映が特に多くなっているように感じます。洋画の新作に客が入らなくなったからなのか、名作と言われる映画の 4K修復作業が進んでいるからなのか、まあその両方なんでしょう。

バグダッド・カフェ / 監督:パーシー・アドロン

ミニシアターブームなんてあったかな…

リバイバル上映はあまり見た記憶がなく、多分この「バグダッド・カフェ」が2本目です。もう1本は「ベティ・ブルー」でした。日本での公開年は1987年、そして「バグダッド・カフェ」が1989年、近いですね。

この「バクダッド・カフェ」の宣伝コピーに「ミニシアターブームの象徴となった珠玉の名作(公式サイト)」なんて言葉も使われており、ちょっと盛っている感じはするものの今から振り返れば確かにそういう時代でした。

「ベルリン天使の詩」1988年、「グラン・ブルー」1988年、「ニュー・シネマ・パラダイス」1989年など、今ふっと思い出す映画だけでも、その公開年を調べますとこんな感じです。ただ、当時ミニシアターという言葉があったかどうかも含め、特別意識はされていなかったと思います(少なくとも私は…)。

パーシー・アドロン監督は「バグダッド・カフェ」のすぐ後の1989年に「ロザリー・ゴーズ・ショッピング」という映画を撮っており、日本では1990年に公開されています。主演は同じくマリアンネ・ゼーゲブレヒトさんでした。私の記憶にはいい印象が残っていますがあまり評判にはならなかったようです。

その後はあまり名前を見なくなったんですが、突如(日本では…)という感じで2011年に2010年製作の「マーラー 君に捧げるアダージョ」が公開されています。息子さんのフェリックス・アドロンさんとの共同監督になっていますのでいろいろ事情があったのでしょう。内容はまったく記憶していないです(ゴメン…)。

その間のことを IMDb で見てみましたら、2000年くらいまでは数本クレジットされており、1991年製作の「サーモンベリーズ」が1995年に日本でも公開されています。見ていませんし記憶にないですね。

そしてパーシー・アドロン監督は昨年2024年の3月10日に88歳で亡くなられています。

「Calling You」がなかったなら…

あらためてこの映画を見て思うことは、やはりこの映画の評価の何割かは主題曲の「Calling You」の評価ですね。上の「マーラー 君に捧げるアダージョ」のレビューにも書いていますが、「I am calling you …」が耳について離れません。

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作詞作曲のボブ・テルソン Bob Telson さんが1989年のアカデミー賞の Best Original Song 賞にノミネートされています。歌っているのはゴスペル歌手のジェヴェッタ・スティール Jevetta Steele さんです。

そしてその曲と結びついて浮かんでくるのは、ヤスミンがモップをかける黄色い給水タンク、青い空、そして砂ぼこり舞う砂漠、立ち寄る人もいない寂れたモーテル、言うなれば地の果てイメージです。

そのイメージと音楽がピッタリあっています。「♪ I am calling you〜」がすーと青空に消えていくような感じがします。それに歌詞をみますと、この映画のことを歌っています。

A desert road from Vegas to nowhere
ヴェガスからどこまでも続く砂漠の道
Some place better than where you’ve been
今までよりもいいところがきっとあるさ
A coffee machine that needs some fixing
壊れたままのたった一つのコーヒーマシン
In a little cafe’ just around the bend
それは曲がり角を過ぎた小さなカフェに

I am calling you
Can’t you hear me
I am calling you

A hot dry wind blows right through me
熱く乾いた風が私の中を吹き抜けていく 
The baby’s crying and I can’t sleep
赤ん坊が泣いていて眠れない
But we both know that a change is coming
でも私たち二人には変わるときがやってくる
Coming closer, sweet release
もうすぐやってくる 飛び立つときが

I am calling you
I know you hear me
I am calling you

という、この曲で持っている映画の印象が強かったのですが、しかし、今回見直して気づいたのはそれだけの映画ではなかったようです。

シスターフッド…

いきなりヤスミン(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)と夫の諍いシーンで始まっています。セリフなし、カメラを左右に傾けて撮っています。どういう効果を狙っての手法かはわかりませんが、本編ではなく導入という感じは出ています。

そして、夫と喧嘩別れしたヤスミンがスーツケースを引きずってたどり着いた先がルート66沿いのモーテル兼ガソリンスタンド兼ダイナーのバグダッド・カフェです。

カフェのオーナーであるブレンダ(CCH・パウンダー)はその時、のんびりした性格の夫やピアノに向かっているばかりの息子や男たちと遊びまわる娘にイライラして夫に当たりまくり追い出してしまっています。そこにヤスミンがやってきます。腹立ち紛れのブレンダはヤスミンに対して客商売とは思えない対応です。

という夫を追い出した二人の女性が友情(シスターフッド…)を築くまでが描かれている映画でした。ヤスミンの方はいたって平常心ですので、どちらかと言いますとブレンダのほうが偏見をなくすことで変わっていくというつくりです。ああ、ヤスミンの方には表に出さない偏見はありますね。

ブレンダが誤解と偏見を解いていくきっかけはヤスミンの打算のない行為です。部屋が汚れていれば自分で掃除をし、ブレンダの息子のピアノ演奏に理解を示し、娘の好奇心にはやさしく応え、孫(息子の子ども…)が泣いていればあやすといった具合です。

ただ、そうしたヤスミンの行為も当初は逆にブレンダの気持ちを逆なでします。それが変わるのは、ある時ブレンダが、孫をあやしてくれているヤスミンに自分の子どもをあやしなと冷たく突き放しますとヤスミンは子どもはいないと悲しげな表情を浮かべながら答えます。ブレンダはふっと自分の過ちに気づきます。

それからはもう早いです。すっかり場に馴染んだヤスミンはバグダッド・カフェの一員のように店を手伝い、なぜか夫が持っていた手品セットを使って皆を楽しませます。それがトラックドライバーたちに受けてたちまち店は大繁盛です。

しかし、それもつかの間、ヤスミンはビザ切れと不法就労で強制送還(多分…)されます。途端に店は閑古鳥です(わかりやす(笑)…)。

そして月日は過ぎ(どれくらいかわからない…)、バグダッド・カフェはすっかりもとの気だるい空気漂う店に戻っています。そのとき店の前に一台のタクシーが止まります。真っ白いドレスのヤスミンが降り立ちます。驚きと喜びが入り混じった表情のブレンダ、見つめ合うブレンダとヤスミン、ふたりの間にはシスターフッドを越えた感情が生まれているのかもしれません。

バグダッド・カフェは再び大繁盛、そこではブレンダとヤスミンの歌と踊りとマジックのエンターテインメントショーが繰り広げられています。

追い出されていたブレンダの夫(遠くから双眼鏡で店を見てブレンダ、ブレンダとつぶやいていた…)が戻っています。ブレンダはしっかりと夫を抱きしめます。

そしてラストシーン、トレーラーハウス暮らしで絵描きのコックス(ジャック・パランス)がヤスミンに求婚します。ヤスミンはブレンダに聞いてみると言って店に向かって歩いていきます。

しゃれた終わり方です。

2024年から見る人種差別とLGBTQ…

以下はちょっとうがった見方をするとということで、2024年の今から見ますと当時は見えなかったことが見えてくるという話です。

最初に少し書きましたヤスミンの表に出ない偏見は2024年の今じゃないと気づかないことのひとつでしょう。この映画にはところどころにヤスミンの妄想シーンが入ります。最初はヤスミンの釜ゆでシーンだったと思います。あれはヤスミンの黒人のイメージということなんだと思います。2024年的には完全に人種差別ですが、多分当時は気になっていなかったと思います。

偏見という意味では、そもそもの設定が黒人と白人ということが意識されていると思いますし、実際、ヤスミンは親しくなってからでもブレンダの手をとって手のひらは白いのねなんて言っています。そう考えてきますとブレンダの息子に若くして子どもがいることもなんだか気になってきます。

異文化の出会いみたいな意識もあるかもしれません。ヤスミンはババリア(バイエルン)から来ているということでブレンダの娘はヤスミンの服や持ち物に興味津々でした。

パーシー・アドロン監督はドイツ人ですので現実的になにか感じるものがあったのかもしれません。

偏見とは関係ありませんが、あの記憶に残るビジュアルである給水タンクのシーンはヤスミンの妄想シーンだったようです。モーテルの部屋を自分で片付けるシーンあたりにワンカット挿入されていました。何を妄想したのかはよくわからないカットではありますが、それだからこそなのか、この映画を象徴するぴったりのビジュアルです。

ヤスミンが再び戻ってきたあたりだったと思いますが虹が出ていました。レインボー・フラッグ? なんて見ていました。

さすがにそこまで考えられてはいないとは思いますが、少なくとも女性二人が対男性という一般的に異性の視点で自分を見ることを離れてあらためて自分自身を見直す姿が描かれている映画なんだろうと思います。