飯塚花笑監督の映画は「フタリノセカイ」「世界は僕らに気づかない」と見てきていますが、ちょっと変わったおもしろい映画を撮る監督でへえーと驚くことも多いです。それにことの本質を捉えるのがうまいです。

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ネタバレあらすじ
上の2本、どちらも社会的マイノリティを描いた映画で、「フタリノセカイ」ではFtMトランスジェンダーの恋愛と家族観を描き、「世界は僕らに気づかない」ではゲイの恋愛と家族観を描いています。ただ、どちらもマイノリティであってもその差別を描いているわけではなく、あくまでも恋愛感情であったり、行き違いがあったりの当事者の人間関係を描いている映画です。ですのでその価値観には驚くこともありますが基本的には恋愛映画、家族映画です。
この「ブルーボーイ事件」では、1960年代後半に実際にあった性別適合手術の違法性が争われた裁判を題材にしています。ですので必然的に社会的差別というものも描かれますが、それは本筋ではなく、やはり基本は当事者のアイデンティティという人間性を描いた映画です。それに事件や裁判そのものがテーマというわけではありません。
「ブルーボーイ事件」というのは
1964年に十分な診察を行わずに性別適合手術(当時は性転換手術と呼ばれた)を行った産婦人科医師が、1965年に麻薬取締法違反と優生保護法(現在の母体保護法)違反により逮捕され、1969年に有罪判決を受けた事件。
(ブルーボーイ事件)
です。
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売春防止法とは…
日活の昔(なのかな…)のオープニングロゴマークから始まり、1965年当時のニュース映像が流れます。街では警察による売春の一斉取締が行われます。逮捕された者の中に性転換手術(当時の表現であり今は性別適合手術…)を受けた戸籍上は男性がいます。売春防止法では男性を取り締まることは難しく(らしい…)、取り調べる刑事も地団駄を踏んでいます。
ところで、なぜ売春する側が「男性」だと取り締まることはできないかと気になりましたので「売春防止法」を読んでみました。
第二条 この法律で「売春」とは、対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう。
売春防止法には性別は入っていませんが、多分「性交」の定義が「男性器を女性器に…」だからですね。なおこの法律で「買春」を取り締まれないのは
第三条 何人も、売春をし、又はその相手方となつてはならない。
とあるものの、刑事処分の対象となるのは第五条に「売春の相手方となるように勧誘すること」などと勧誘した方だけで、勧誘された方はあたかも被害者のような文章になっています。
という基本がわかったところで(笑)映画に戻り、刑事が検事(安井順平)になにか方法はありませんかと相談をしています。検事は手術をした医師(山中崇)を優生保護法(1996廃止…)違反で逮捕します。
弁護士狩野(錦戸亮)が被告人の弁護を引き受け裁判となります。
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サチ、証言依頼に苦悩する
すでに書きましたがこの映画は裁判劇ではありません。法廷シーンとして描かれるのも医師の容疑である優生保護法違反を論点としておらず、当時ブルーボーイと呼ばれた(らしい…)MtFトランスジェンダー3人の証人尋問だけであり、そのうち主人公であるサチ(中川未悠)が語る性別違和の自分史が映画の主要なテーマです。
サチは喫茶店のウェイトレス(当時の表現…)として働き、恋人篤彦(前原滉)と暮らしています。ある日、篤彦が指輪を出しプロポーズします。しかし、サチは自分が完全な女性の身体になるまで待ってと言います。サチは逮捕された医師により性転換手術(当時の表現…)を受け、残るは膣形成だけになっています。
狩野がサチに証人として出廷してほしいと言ってきます。サチは今の幸せを壊したくないと断ります。
裁判ではメイ(中村中)、アー子(イズミ・セクシー)が証人台に立ちます。狩野の弁護方針は手術は正当な医療行為であることを証明しようとするもので、そのためにアー子は性的倒錯という精神異常者であり、手術は社会に適応させるための治療であったと主張します。アー子は私は精神異常者じゃない!と激怒します。
アー子はそのショックからか、居酒屋で飲んでいるときに男たちに絡まれ、その後死体で発見されます。喧嘩となり殺害されたと思われますが、映画はこれにはこだわらず次に進みます。
サチはそうしたアー子の姿を見たことや狩野から被告の医師を助けなければ手術もできなくなると言われたりし、証人となることを決意します。
証人となることは世間から注目を浴び偏見に晒されることになります。その影響はサチ自身が喫茶店から解雇されることにとどまらず、篤彦が職場での立場を失います。篤彦は仕事をやめて静かに暮らせるところに行こうと言い出します。
どうすべきか苦悩するサチです。
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サチ、性別違和の自分史を語る
そしてある日のこと、サチは篤彦に別れを告げ、再び証言台に立つ決心をします。
証言台に立ったサチは性別違和の自分史を語り始めます。
(以下、多分映画とは言葉は随分違うと思います)
子どもの頃から自分が男であると思ったことはない、オトコ女と虐められて田舎で生きていく術はなかった、だから東京へ出てゲイバーで働き始めた、でもそこでも自分らしさを感じることはできなかった、ゲイバーへ来る男たちは男と愛し合いたいのであって、女と自認する自分が求められているわけではなかったと語ります。
そして、性転換手術(当時の表現…)をする決心をし、被告の医師を訪ねた、医師は外見が女になるだけだと忠告したがそれが得られるのならと男性器を取る手術を受けたと言います。
狩野が、それで満足できたのかと質問します。
いいえ、女の姿形になっても人は女の姿をした男としか見ない、私は私でありたいだけなのに、と涙を流しながら訴えます。
狩野はサチの証言をうけ、自分があるがままの自分でいたいと考える行為を否定することは憲法が保障する基本的人権に反すると主張します。
そして、判決は、
性転向症に対して性別適合手術を行うことの医学的正当性を一概に否定することはできないが、生物学的には男女のいずれでもない人間を現出させる非可逆的な手術であるので、少なくとも次のような条件を満たさなければならない。
・手術前には精神医学や心理学的な検査と一定期間にわたる観察を行うべきである。
・当該患者の家族関係、生活史や将来の生活環境に関する調査が行われるべきである。
・手術の適応は、精神科医を交えた専門を異にする複数の医師により検討されたうえで決定され、能力のある医師により実施されるべきである。
(略)
(ブルーボーイ事件)
正確な判決は上のリンク先やググるなどしてください。
何年か後、狩野はサチと篤彦が幸せそうにしている姿を見ます。
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感想、考察:中川未悠さんがすばらしい
サチを演じている中川未悠さんは、
幼い頃から性別違和を感じており、2017年春に21歳で性別適合手術を受け、その手術を受けるまでを記録したドキュメンタリー映画『女になる』が2017年秋に公開。以後、学校・企業講師や絵本・漫画の監修など活躍の場を広げている。本作のオーディションで演技に初挑戦し、2か月に及ぶオーディションの上、主人公・サチ役に大抜擢された。
(https://blueboy-movie.jp/)
という方です。
証言シーンが素晴らしいです。想像ではご本人の心情そのままの台詞なんだろうと思います。それだけでに究極のリアリティが感じられます。
中川未悠さんにつきるという映画です。
それと飯塚花笑監督のうまさです。映画のつくりとしては隙があったり、チープなところがあったりと完璧とは言い難いのですが、この監督の映画は、最初に書きましたようにことの本質を的確にとらえて見るものにストレートに訴えてきます。