葡萄畑に帰ろう

権力の象徴「椅子」をめぐる映画、ではなく音楽とワインの映画かも?

この映画は結局のところ、と、いきなり結局というのもなんですが、英題(原題も?)が「The Chair」であるにもかかわらず、邦題を「葡萄畑に帰ろう」とせざるを得ないという、そのことがもっともよくこの映画を現しているのだろうと思います。

葡萄畑に帰ろう

公式サイト / 監督:エルダル・シェンゲラヤ

The Chair は、もちろん単純に椅子ではなく「権力者の地位」を意味しているわけで、実際、映画も難民追放大臣(字幕は違う訳)になったギオルギ(ニカ・タバゼ)が特注でジャガーに発注した「椅子」に始まり「椅子」で終わっていることからも、監督の意図がそこにあることは間違いありません。

つまり、この映画は「権力」で動く社会や人間を風刺しているわけですが、なぜだかこうした映画は日本ではあまり受け入れられなく(興味を持たれられなく)、ならばということで、視点を変え、ギオルギが大臣を解雇された後、職を失い、家も失って、田舎の母のもとでブドウ栽培とワイン造りに戻ることに注目して「葡萄畑に帰ろう」となったんだろうと思われます。

配給会社「MOVIOLA ムヴィオラ」にはこの映画がさほど受ける映画ではないことくらいわかっているでしょうから、苦肉の策なのかも知れません。MOVIOLA のサイトを見てみましたら結構見ていますね。ざっと見たトップページの一覧から一本選ぶとしたら、「ラサへの歩き方 〜祈りの2400km」でしょうか。

で、この「葡萄畑に帰ろう」です。

基本、風刺劇ですが(私の感覚で)笑えるところはほとんどなく、当然ながら象徴的なシーンが多くなり、コメディタッチではありながら、印象としてはシリアスタッチに感じるところも多いです。

ギオルギが難民追放大臣に就任します。ギオルギがどういう人物でどういう経緯なのかは一切説明されません。ただ、意図的に悪いことをしないという意味においてはいい人っぽいです。ああ逆で、いい人じゃないかもね(笑)。

ギオルギが何をするかといいますと、難民を強制的にある地域(なのかな?)から排除します。本人は、近々選挙をひかえているので選挙後にやろうと思っていたところ、大統領の命令で実行していました。やっぱり悪いやつですね(笑)。

それに、結構いい住まいに住んでいるのですが、それも裏口から安く手に入れたもののようです。これが後々の物語展開の軸になっています。

で、選挙がありギオルギを登用した勢力、おそらく難民排斥の右派政党でしょう。ギオルギがその勢力に所属しているのか、あるいは単に抜擢されただけかははっきりしませんが、おそらく後者で、映画はそのあたりにほとんど力を注いでおらず、単に一旦権力を手に入れたギオルギがそれを失うことから起きる顛末を風刺したかったのだと思います。

選挙に勝った左派勢力の大臣がやってきます。この人物がかなり尊大でスターリンを思わせるような風格と髭の人物を当てていましたので、あるいは監督に何か思いがあるのかも知れません。ちなみにスターリンはジョージア(グルジア)出身です。

難民追放省には大臣補佐官などの公務員がおり、政権が変われば自分の首があぶなくなります。一般的な描き方としては、次の権力に媚びたり、あっけなく態度を豹変させたりということが考えられ、この映画でもそれらしきところはあるのですが、かなりあっさりしており、執着しているようなところがありません。

こういう描き方が風刺劇としてはかなり中途半端に感じられます。あるいは、監督の意図は違うところにあるのかもしれませんね。風刺しつつも、すでに気持ちはもうそんなことよりも美味しいワインと音楽さえあればいいよみたいな。その意味では、「葡萄畑に帰ろう」のほうが監督の本音に近いのかも知れませんね(笑)。

大臣の椅子は失いましたが、住まいは大丈夫だろうと思っていたところが、使用人の裏切りにあい、不正に取得したものだということが明らかになり、住まいからも追い出されることになります。

ギオルギには亡くなった妻の姉がおり、同居してギオルギの収入に頼っています。明け渡し期日の日、その姉が使用人の裏切りを知り、怒り心頭、その使用人を人質にとって立てこもってしまいます。

その時、ギオルギも家にいるのですが、アライグマの掘った穴を通って脱出、母がひとりで守っている故郷へ逃げます。

話を端折って書いていませんが、ギオルギには、(多分)20代の娘がおり、父親の政治行動に反対して家を出て、(多分)アフリカ系の黒人と結婚してしまいます。途中やや唐突に、その娘たちのパーティーでアフリカ系の音楽で皆が踊り楽しむシーンがありましたが、あれも監督の希望的シーンかも知れません。その娘たちはすでにギオルギの母親の元で暮らしています。

ギオルギにはもうひとり10歳くらいの息子がおり、一緒に暮らしています。また、難民追放の際に知り合った女性と結婚します。その結婚式の際にも音楽と踊り、そしてワインでした。で、その二人は家の明け渡しが迫った頃に母親の元に避難させています。

ということで、映画のラスト、5年後のスーパーが入り、ギオルグと妻、娘には3人の子供が生まれ、息子も健やかに育ち、音楽と踊りと、そしてワインのある生活で幸せに暮らしています。

ジャガーの「椅子」がどうなったかといいますと、もちろん権力の象徴なんですが、あまり理論的に意味づけされているわけではなさそうで、喋ったり、ひとりで動いたりし、ギオルグが家から脱出する際にはギオルグを乗せて追跡する警察をまいたりします。

そして、5年後、息子が椅子にすわっています。それを見たギオルギは、息子に立てと命じ、取り上げて崖から捨ててしまいます。椅子はバラバラに壊れます。しかし、その椅子はすぐに合体し、空を飛んで、もといた場所、大臣室へと舞い降ります。

わかったようでわかないオチではあります。

エルダル・シェンゲラヤ監督、85歳、公式サイトの紹介をみますと20年ぶりの映画みたいです。やはり、単純な風刺劇だけではなく、音楽とダンスと、そしてワインかも知れません。

MOVIOLA さんが正解かも。

弟さんは「放浪の画家 ピロスマニ」の監督、ギオルギ・シェンゲラヤさんとのことです。この映画はとてもよかったです。

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