C.R.A.Z.Y.

ジャン=マルク・ヴァレ監督追悼、2005年からの1970年代青春回顧

昨年2021年の12月25日に亡くなったジャン=マルク・ヴァレ監督の2005年の映画です。

亡くなった時はケベック州の湖畔のコテージにひとりだったそうです。警察発表では「Mr. Vallée’s death was not caused by the intervention of another party, a voluntary act, or a known disease.(ヴァレ氏の死は他者の関与や自殺、または病気によるものではありません)Deadline.com」ということで、死因はアテローム性動脈硬化症だったということです。

C.R.A.Z.Y. / 監督:ジャン=マルク・ヴァレ

「普通」に疎外されるつらさ

ついつい日常的に「普通」という言葉を使ってしまいますが、その「普通」がいかに人を苦しめるかという話です。「普通」というのはいわゆるマジョリティということですので、描かれるマイノリティは性的指向が同性に向かう人物です。

2022年の今ではLGBTQという言葉も日常的に使われるようになっていますが、これは1970年代の話です。自らに湧き上がる自然な気持ちを、自分が間違っている、自分は普通じゃないんだ、隠さなくちゃいけない、変わらなくちゃいけないと自分自身を偽り続けることのつらさはどれほどのものでしょう。

という、自分は「普通」じゃないんだと悩み続ける男の子ザックの誕生から成人するくらいまでが軸となった映画なんですが、ただ、映画の全体的な印象はむしろ家族物語といったほうがより正確です。

IMDbのリリース情報を見てみますと、この映画、2009年までは各国の映画祭や一般公開での上映が続きますが、それ以降プッツリとなくなり、突如、2022年6月になってアメリカで一般公開され、続いて日本でも今回公開となっています。ウィキペディアには音楽の著作権絡みのような記述もありますが、内容的なことで何かあるのかもしれません。もちろん何かあるにしてもそれはアメリカのことで、日本の公開はアメリカ公開の流れによるものでしょう。

家父長制と宗教

2022年の時点でこの映画を読み解こうとすれば、家父長制、男性中心主義、ホモフォビアに凝り固まった父親と宗教にハマった母親に抑圧される子どもたちということになります。

主人公のザックは5人兄弟の4番めの男の子として生まれます。母親が破水して早産で生まれ(多分)、集中治療を受けてなんとか命はとりとめます。しかし、喜びもつかの間、兄のひとりがザックを抱こうとして落とすという苦難の人生の始まりです。

ザックの誕生日は12月25日、そのため母親はこの子は特別な子だと思っています。誰かが怪我をすればザックにお祈りをさせてそのおかげで治ったと考えています。ただし、この映画は基本コメディですので、母親の宗教性にカルト的なところはなく、キリスト教的家族観の良い母親として描かれています。ああ、でもタッパーウェアは買わされていましたね。

父親は家父長制に疑いを持たない男です。ザックにも男は男らしくあれと教えています。ただ傲慢なところはありませんし暴力的でもありませんので、同じくキリスト教的家族観でいけば一般的な父親なんだろうと思います。

という1970年代の北米(この映画はカナダの家族)のごく「普通」の両親のもとに生れた子どもたちの苦悩が割と図式化されて描かれていきます。

ザック幼少期 6〜8歳

ザック幼少期の悩みは、おねしょをすること、兄レイモンドが大嫌いなこと、そして父親の期待に添えないことです。

兄弟は上から、本ばかり読んでいる活字中毒のクリスチャン、2番めがザックの天敵の不良少年レイモンド、筋肉バカのアンソニー、そしてザックをはさんで後に生まれるイヴァンの男ばかり5人です。

この幼少期ではあまり兄弟との関わりは描かれません。後半にはレイモンドの扱いが大きくなりますのでその前フリ的にザック自身のナレーションでレイモンドを嫌いだと入れたりしています。

父親は当然のこととしてザックに男らしさを求めます。誕生日のプレゼントにはテーブルサッカー(だったと思う)を贈り、音楽が好きだとみればバンジョー(じゃなかったかも)を贈ります。それらはザックの望むものではありませんが笑顔を見せれば父親は喜びますし、ザックが自分は贔屓されていると語るように関係は良好です。

イヴァンが生れます。ザックは赤ん坊をあやすことがとても上手です。母親が困っていてもザックが抱けば赤ん坊は泣き止みます。ザックはベビーカーを押すことが大好きです。母親と出掛けるときには父親に隠れて母親がベビーカーを押させてくれます。

そして、ある日事件が起きます。ザックが母親の赤いガウンを着てネックレスを首にかけ赤ん坊をあやしているところを父親に見られてしまいます。それ以降、父親のザックを見る目が変わります。

ということが、あくまでもパターン化されて描かれていきます。それにこの幼少期のパートはかなり冗長です。シーンが変わるたびにやっと成長したかと期待しますが、相変わらず幼少期のままです。

この幼少期のザックを演じているのはエミール・ヴァレくん、ヴァレ監督の実の息子です。まさか親バカの結果ではないとは思いますが…。

青年期のザック 15〜21歳

中盤になってやっと15歳のザックになります。そしていよいよザックのセクシュアリティがはっきりしてきます。従姉妹と出会い、その恋人のことが忘れられなくなります。

なんとなくカップルになっている女性(女の子)がいます。ふたりで自宅の部屋に入っていきます。父親は庭で洗車しながらニヤニヤしています。その女の子が迫ってきますがザックはやめろと言っています。そんな繰り返しがあり女の子は怒って帰ってしまいます。父親は触ろうとして怒られたかとつぶやいています。

学校などでも「ホモ(映画の最初にあえて使用していると但し書きが入っていた)」と揶揄されたりするようになります。ある時、同年代の男の子と車から出てくるところを父親に見られます。股間に手を当てて別れるような仕草をしていることからなのか、父親はザックを罵倒します。すでに父親にはそのようにしか見えなくなっているのでしょう。

兄のレイモンドはさらに不良度が上がりドラッグ(マリファナじゃないよね)に手を出し始めています。かなり細かくカットが割られていますので前後がはっきりしませんが、ザックが父親に罵倒されたとき、やけっぱちになってレイモンドが隠しているドラッグを使ったらしく(よくわからない)、その噂が広がり、警察が家にやってきます。母親がパニックになり、ドラッグを発見します。

ここの展開もはっきりしませんが、レイモンドが逮捕されます。後に1年服役したと言っていました。とにかく、レイモンドは家を追い出されます。その後は恋人と一緒に暮らしていますが、金をせびりに来たりとかなり荒んだ生活ということでしょう。

ザックは学校を卒業したのか、音楽の何か(DJかな?)でかなり稼ぐようになっています。その経緯も何も描かれませんが、レイモンドには父親よりも稼いでいるんだから金を貸せと言われていました。ザックは貸さないときっぱり断ります。しかし、後日、誰からとも示さずお金がレイモンドに渡るようにしていました。こうしたところでも家族愛、兄弟愛が描かれている映画です。

セクシュアリティについては例の女の子(当然成長しているので女性)とセックスを含め恋人関係になったようです。ザックが何をどう考え自らを偽ったのか、このあたりのザックのことは描かれていません。

そして、長男クリスチャンの結婚式で大事件が起きます。ザックがある男性を誘い車に入ります。映画の流れとしては煙草を口移し(火のついた方を口に入れフィルターから煙を出し相手がそれを吸う)で吸っているのですが、それを通りがかりの者が見てキスをしていると言い、それを聞いたレイモンドが殴りかかり結婚式が無茶苦茶になってしまいます。

ザック、放浪の旅に出る

ザックは放浪の旅に出てエルサレムを訪れます。ザックははっきりと自分のセクシュアリティを自覚します。意を決してゲイクラブに行き、キリストに似た長髪で細面の男性と関係を持ちます。ザックはエルサレムから母親に絵葉書を送ります。母親は大いに感動しています。いまだ特別な子との思いを抱いているのでしょう。

レイモンドがドラッグ中毒で亡くなります。ザックは故郷に戻り両親と再開し抱擁し合います。

C.R.A.Z.Y、そして音楽

映画のオチともなっているのは、パッツィー・クラインの「CRAZY」という曲であり、その曲が入ったLPです。

ザックの音楽好きは父親譲りのものですが、その父親が大切にしているパッツィー・クラインの輸入盤を幼いザックが割ってしまいます。ザックは一度そのLPを自ら買って父親にプレゼントしますが、それは国内盤であり、父親は喜びません。ザックはそのオリジナル版をエルサレムの露店で見つけ、父親に贈ります。父親は感極まった表情を見せますが、その時、末っ子のイヴァンが再びそのLPを落として割ってしまいます。

そのLPに入っている曲「CRAZY」、5人の子どもたちの名前はその一文字ずつを当てたものだったのです。Christian, Raymond, Antoine, Zachary, Yvan、ザックはエルサレムでLPを発見した時、そのことに気づきます。

この映画は音楽が重要な要素になっています。パッツィー・クラインもそうですが、父親はことあるごとにシャルル・アズナヴールの「世界の果てに(Emmenez-moi)」や「帰り来ぬ青春(Hier encore)」を歌います。

ザックは音楽を糧にそれなりに稼いでいると語られている割にはあまりそれらしきシーンはないのですが、それでもデヴィッド・ボウイばりのメイクをして「スペース・オディティ」を当て振りで歌うシーンがあります。部屋にはデヴィッド・ボウイのポスターが貼られ、ピンク・フロイドの「狂気(The Dark Side of the Moon)」のジャケット風の画が書かれています。ザックのシーンには、ピンク・フロイド、ローリング・ストーンズ、ジェファーソン・エアプレイン、ザ・キュアー、ジョルジオ・モロダー、エルヴィス・プレスリーなども使われていました。

2005年に1970年代を描いていることから言えば、この映画は、ヴァレ監督をはじめ映画製作陣全体の青春回顧の映画なんだろうと思います。