映画というよりビデオアートと思って見たほうがいい
「あまりに衝撃的な内容に各国の映画祭で途中退場者続出!」と煽っていますが、もしそれが本当だとすれば、それは映画がつまらないからでしょう。
つまらないというのも正しくないかもしれません。
まず、この映画、たとえば、カニバリズムであるとか、佐川一政という人物であるとか、一体どういうことなんだろう? などと思って見にいっても何も得られません。そのようにつくられていません。
映画として考えたら、映像がむちゃくちゃあざといです。
これ、予告編からとった画像ですが、こういう画を延々90分見せられます。
すべて画はどアップです。それも半分以上はピントがあっていません。わざと何かの影で見えなくしたりしています。意図的にやっているんでしょうが、その意図がわからないといいますか、わかる以前に、まあどうでもいいやという気分になります(笑)。
ドキュメンタリーと考えますと、こういう手法で何が見えてくるんだろうと懐疑的になってしまいますので、ビデオアート、ビデオインスタレーションと思って見ればいいのかもしれません。
私は何も読まずに行きましたので、最初一体何を撮っているのか、誰が喋っているのか、どういう状況なのかさっぱりわからず、ちょうど中程に入る過去のホームビデオで、ああ弟さんなんだとやっとわかったくらいです。
前半が佐川一政さんと弟の佐川純さん二人のシーンで、純さんの自宅でしょうか、とにかく顔のどアップしかありませんので、どういう状況で画が撮られているのか、誰が誰に話しているのか、よくわからないまま進みます。
続いて、佐川純さんが「まんがサガワさん」をめくりながらところどころ台詞を読むシーン、これは佐川純さんのインタビューによりますと、監督たちが持ってきて音読させれれたと言っています。
そして、ふたりが幼少の頃のホームビデオ、8ミリでしょう。
ああ、どこかに佐川一政氏の性交の画がありました。アダルトビデオに出演したことがあるとのことですのでその映像でしょう。
そして、突然、有刺鉄線のどアップがあって、誰かがごちゃごちゃ何か言っているなあと思いましたら、佐川純さんが腕に有刺鉄線を巻いたり、包丁で腕を刺したり、何だかよくわからないどアップの映像がありました。
まあ、次第にわかってはくるんですが、とにかくどアップで何やってんだかよくわかりませんので、途中でどうでもよくなるわけで、何でも佐川純さんには自虐的な性癖があるとのことです。
そして最後に、メイドのコスプレをした里見瑤子さんという俳優さんと佐川一政さんのシーンがあって終わります。
事前にいろいろ読んでいかないといけない映画ですね。それに、映画を見るつもりで行きますとかなりつらいです。
弟の佐川純さんのインタビューを読んで行くとまた違った見方ができたかとは思います。