男たちよ、うるさいぞ!
SFはあまり見ないのですが、以前見た同じくダグ・リーマン監督の「オール・ユー・ニード・イズ・キル」には妙によかったとの印象が残っており、その名が目に入りましたので、ちょっと不安ながらも(笑)見てみましら…
いや、面白かったですよ。
意表を突く始まり方
SFといえば、映像処理の最先端をいくような迫力映像でどうだ!みたいな映画を想像します(私はですが)が、この映画、なんと緑豊かな森林空間から始まります。さらにそのシーンでは、ひとりの青年がその森の中を歩きながら飼い犬に「お前は食べてクソをするだけか」などと悪態(唯一の友ゆえの親しさをもって)をついているのです。その後もほとんどのシーン、9割以上が地球上の森林地帯と変わらぬ場所で物語が進みます。
設定は、西暦2257年、人類が入植したある惑星「ニュー・ワールド」ということなんですが、ヴィジュアルにほとんどSF感はありません。
最近のSF映画からすると物足りなく感じるのかもしれませんが、私は逆にこういう映画の撮り方は好きですね。現実空間の中でSFを撮るとか、逆に時代劇を現在空間で撮るとかです。「未来を乗り換えた男」みたいなことです。
ロケ地はカナダのケベック州のサンテリー(Saint-Élie-de-Caxton)というところのようです。
Gath, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
男性社会と共生社会
原作はイギリスの作家パトリック・ネス(現在50歳)のSF小説『混沌の叫び(Chaos Walking)』のうちの『心のナイフ』とのことです。三部作で『問う者、答える者』『人という怪物』と続きます。早速読んでみようと思います。
原作がどの程度反映された設定かはわかりませんが、この映画には男性社会と男女子ども共生社会の対立が主要なテーマとしてあります。
森の中を歩いていた青年トッド(トム・ホランド)が暮らすプレンティスという村には男しかいません。トッドはその訳をその惑星の先住生物スパクルが女性たちを皆殺しにしたからだと聞かされています。20歳前後のトッドが女性を見たことがないと言っているわけですからトッドよりも若い者がいない村ということです。
村には首長(マッツ・ミケルセン)がいます。首長が強権的に支配しているわけではなく、何かに取り憑かれているような霊的なものをもっているような感じです。しきりに「我は円環なり、円環は我なり(I am the Circle and the Circle is me.)」と言っていましたが、このあたりはあまり突っ込んじゃいけない映画です(笑)。
後半になりますと、実はニューワールドにはトッドの知らないファーブランチという村があり、トッドはそこへ逃げ込むわけですが、そこには女性も存在し、男性も女性も子どもも共に生活しており、首長も女性なのです。
プレンティスの男たちは攻撃的です。一方のファーブランチの住民たちは男女ともに争いを避けたいと考える人たちです。
あまりにもあからさま過ぎますが、明らかに人間社会を反映させた設定です。
ノイズ
ニューワールドでは、男たちの心の内がダダ漏れになってしまいます。つまり考えたりふっと想像したりする想念が音声や映像としてその周辺の人間に伝わってしまいます。それを「ノイズ」といっています。
女性には「ノイズ」は発生しません。
まあ心の中など誰にも知られたくないわけですから、「ノイズ」をコントロールできる者もいるようですが、トッドはまだ未熟なのか、しきりに「僕はトッド・ヒューイット…」と何も考えないようにしようとして自分の名前を頭の中で繰り返しています。
首長のパワーの源が何なのかははっきりしていませんが、おそらくこの「ノイズ」を自在に操る能力を手にしているといったことなんでしょう。後半では、「ノイズ」で自分の分身を登場させていました。
この「ノイズ」という設定が具体的に何を意味しているかははっきりしませんが、まあろくでもないことしか考えない男たちというところでしょうか(笑)。あるいは逆に男たちの表に出ない考えで動く社会に未來はない、ダダ漏れにさせておけば争いなど起きないということかもしれません。
実際にプレンティスは滅びるしかないわけですし、ファーブランチは共生社会でうまくまわっています。
ネタバレあらすじとちょいツッコミ
ニューワールドのトッド
西暦2257年のある星、地球からやってきた第一波の入植者たちが農耕生活で暮らしています。その村プレンティスには男たちしかしません。女性たちは先住生物スパクルに虐殺されたとされています。男たちは心の中の考えや思いを「ノイズ」として音声や映像として発生します。
「ノイズ」は頭のまわりの霧のようなものとして表現されます。何色か色がついていたと思いますので、何かの意味があるのでしょう。
トッドが犬のマンチーを連れて森を歩いています。心の中が漏れてしまうとか、漏れないようにトッド・ヒューイットと繰り返しているとか、女性を見たことがないとか、母親は自分が生まれてすぐにスパクルに殺されたとか、村には首長がいるとか、得体のしれない牧師のこととか、そういった大まかな映画の背景を「ノイズ」が教えてくれます(笑)。
トッドはベンとキリアンという二人の成人男性と暮らしています。関係はよくわかりませんが、信頼関係で結ばれています。
ヴァイオラ、ニューワールドに舞い降りる
入植者第二派の宇宙船です。何人かが先遣隊として星に降りるようです。ヴァイオラ(デイジー・リドリー)もいます。着陸船にトラブル発生です。着陸船が不時着(追突)します。
トッドは家の中で何者かの気配を感じます。逃げる何者かを追い、森に入ります。大破した着陸船を発見し、黄色いものを着た何者かを発見し、頭の中のグルグルが「ノイズ」として発生します。
トッドは首長に知らせ、そしてその何者かであるヴァイオラが確保されます。ヴァイオラは第二波の入植船が待機していること、自分が本船に状況を知らせることになっていると告げます。
首長は自分の支配を維持するために本船の乗っ取り(違うかも)の策略をめぐらしヴァイオラを拘束し本船への連絡を妨害しようとします。
この首長の考えやら行動やらは辻褄が合いませんのであれこれツッコミを入れてはいけない映画です。
ヴァイオラとトッド、逃亡する
首長のもとから逃走したヴァイオラはトッドの家の納屋に隠れます。再びヴァイオラに遭遇してトッドは戸惑いながらも初めて見る女性を意識します。ヴァイオラの方は警戒心を緩めません。
トッドはヴァイオラを助けることにし、ベンとキリアンに相談します。ベンはファーブランチという村に向かうよう指示します。首長が男たちを引き連れ馬でやってきます。ヴァイオラは納屋にあったバイクで逃走します。その混乱の中でキリアンが撃たれて死亡します。トッドは馬で後を追います。さらにその後を男たちが追います。
バイクと馬の逃走活劇があり、ヴァイオラとトッドが崖から転落し、怪我をするもののさらに逃走します。
この逃走中に、ヴァイオラは、地球を出発したのは祖父母の代であり、自分は宇宙船の中で生まれ、惑星に降り立ったのは初めてであることを話し、トッドはプレンティスが男だけである理由や母親のことを話します。
そのたびにトッドからは「ノイズ」が発生しますので、ヴァイオラが可愛いとかキスする自分を妄想したりします。困惑するトッドに余裕のヴァイオラです。
これは何を見せているのでしょう(笑)。
スパクルと遭遇し、トッドとの格闘になります。とどめを刺そうとするトッドにヴァイオラがやめて!と止めます。
これも象徴的ですね。
男女子ども共生の村ファーブランチ
ふたりはファーブランチに到着します。そこには女性も子どももいます。首長は女性です。プレンティスから来たと言いますとひとりの男(プレンティスから移った男)が罵声を浴びせ入村を拒否します。しかし、首長はふたりを受け入れてくれます。
ファーブランチでの安らぎのある時、トッドはヴァイオラに母親の日記を持っていることを話し、自分は文字が読めないので内容は知らないと言います。ヴァイオラが読んでくれます。日記には、プレンティスの女性たちはスパクルに殺害されたのではなく、首長が自分たち男の本音がダダ漏れになり、逆に女たちは何を考えているのかわからないことを恐れて男たちに殺害させたことが記されていたのです。
ここはもうちょっとなんとかすれば映画が深まったのになあと思うところです。
再び逃走、そして…
ファーブランチにプレンティスの首長たちがやってきます。プレンティスとファーブランチの対峙、高圧的で攻撃的なプレンティス、片や非暴力のファーブランチです。そのスキをぬってヴァイオラとトッドは再び逃走します。
この逃走ではプレンティスの牧師が前面に出てきて何やら訳のわからない(笑)ことを言っています。もうちょっと整理してほしいところです。
ふたりは第一派の宇宙船の残骸にたどり着きます。残骸ではありますが、ヴァイオラは緊急用の通信装置が使えるかも知れないと言い、巨大な宇宙船の残骸をめぐり通信装置にたどり着きますがアンテナがつながっていません。
テレビのアンテナか?とちょっと笑っちゃいます。こういうアナログ感がいいんですけどね。
トッドがアンテナをつなぎに上っていきます。首長たち追手の男たちが現れます。あれこれあって(省略)、首長はトッドの「ノイズ」が生み出した、首長に殺された女たちの幻によって宇宙船の残骸の底深い闇に落ちていきます。
第二波の宇宙船の中、怪我の治療で横たわっていたトッドが目覚めます。かたわらにはヴァイオラの姿があります。ふたりはキスをします(ん? だったと思いますが間違っているかも)。
ニューワールドは男女子ども共生社会として真の「ニューワールド」となっていくことでしょう。
ダグ・リーマン監督
ダグ・リーマン監督の映画は「オール・ユー・ニード・イズ・キル」しかみていないと思っていましたが、ボーンシリーズの何か(監督は一作目だけ)とか「Mr.&Mrs.スミス」を多分DVDでだと思いますが見ているような気がしていきました。
いずれにしても「オール・ユー・ニード・イズ・キル」しかはっきりした記憶はないのですが、今回この「カオス・ウォーキング」を見て、さらにダグ・リーマン監督のセンスが肌にあう感じがしてきました。
それが何かはわかりませんがダグ・リーマン監督の名前を記憶した映画でした。