映画菅田将暉、高畑充希共演を期待したのにお茶くみだけだった
これまでですとDVDでは見るにしても公開日に劇場へ足を運ぶような映画ではないのですが、菅田将暉さんと高畑充希さんの共演であればと早速見に行きました。
それに、新型コロナウイルスのせいで製作される映画も少なくなっているのか、特に海外からはあまり映画が入ってこなくなっているような気がします。見たいと思う映画が少ないんです。
高畑充希さんをお茶出しだけに使わないで
映画全体としては、面白いところもありますし、え?!と驚くところもありますが、深さを期待させながらも、え? なんだよ、それだけかよ?! みたいな映画でした。
そうした内容のことは後にして、まずは高畑充希さん、なに、この扱い?! 最後にはそれなりに重要な立場におかれるのにまったく「キャラクター」造形されていないじゃないですか?! 脇役扱いにもなっていません。
お茶出しだけのために高畑充希さんを使わないでください(涙)。
山城圭吾(菅田将暉)の妻となる川瀬夏美を演じているのですが、徹夜明けの圭吾にお茶(水だっかな?)を持っていき、また徹夜したの? とか、からだ大丈夫? とか言って引っ込んでいくだけですし、編集者や刑事が訪ねてくれば、お世話になっていますとか、仕事場はこちらですとか応対して、これまたお茶を出すだけですし、両角(Fukase)と初めて対面するシーンでも、お世話になっていますとか言わされていました。
典型的なのがクライマックスの圭吾と両角の対決シーン、両角に刺されて倒れている圭吾の傍らに置かれた夏美はなにもさせてもらえません。ただそこにいてくださいと言われているのでしょう。俳優の演技って勝手にできるわけではなく、必要とされない演技はやっちゃいけないわけで、泣き叫ぶわけにも、警察を呼ぶわけにも、両角に向かっていくわけにも、なにもすることを許されず、ただそこにいるだけって、俳優にとっては屈辱的だと思います。
映画全体に言えることですが、この映画はその場で起きることを表面的に追っているだけです。逆の言い方をすれば、そうではないものを求める者が見てはいけない映画ということです。
まあ、さほど怒っている(笑)わけではなく、勘弁してよ…と心の中でつぶやきながら見ていたということです。それにしても高畑充希さんがかわいそうだなあ…。
プロットが甘い
こういうサスペンス系の映画、ましてやサイコパスの犯罪映画をほとんど見ていないのに言うのもなんですが、物語に新鮮がないです。多くの映画や小説で使われてきたプロットを継ぎ接ぎしている感が強いです。
模倣犯罪、サイコパス、カルト教団コミュニティ、戸籍売買による成りすまし、マインドコントロール、警察内部の事なかれ対応、冤罪、一匹狼刑事の直感…。
目新しいプロットなんてそう簡単に考え出せるものではありませんので、そのこと自体はどうこういうことではありませんが、少なくともそのプロットを肉付けして厚みや深みを出すとか、リアリティを持たせるとかをしないとダメじゃないですかね。
いずれにしても各シークエンスが断片的過ぎて、ああそうだったのと思うしかありません。圭吾が実際の殺人現場に遭遇して、殺人犯を目撃し、猛然と漫画を書き始めたと思いましたら、もう次のシークエンスでは億単位の金を稼ぎ億ションに引っ越しているという…、ああ、そうなんだ…と思うしかないです。
これじゃ、見る側の心に物語は生まれません。
そんな映画じゃない! って言ってるのに(笑)。
ネタバレあらすじとちょいツッコミ
へぇ~と思った新鮮なこともあります。
主人公である圭吾が中頃であっさり本当のことを話してしまうのはちょっと珍しいんじゃないでしょうか。普通ですと、主人公ですからもっと裏があって二転三転するのがこうした映画の常じゃないかとは思います。
結局、圭吾の「キャラクター」はいい人ってことのようです。
いい人、山城圭吾
有名漫画家の助手をやりながら一本立ちを目指している山城圭吾(菅田将暉)は、これが最後と徹夜で書き上げた作品を有名編集者に見てもらいます。しかし編集者からは、画はうまいけれどもキャラクターが魅力的ではないと言われてしまいます。
これが最後の挑戦と決めていた圭吾は先生に漫画家の道をあきらめると伝えます。
先生はそうかと言い、数人の助手を前に誰か幸せな一軒家をスケッチしてくれと言います。皆が渋っている中、圭吾は僕が行きますと出掛けていきます。
圭吾は「いい人」との設定です。それゆえサスペンスものの作家を目指しているのに悪人キャラが描けないということです。
圭吾は自転車であっちこっち幸せな一軒家を探し回ります。夜になっています。やっと見つかりデッサンします。玄関ドアがガチャっと開きます。圭吾がなにか言われると思い、すみませんと言いますとドアは閉まってしまいます。その家からは大きな音で音楽が流れています。隣人が静かにしろと叫びます。住人に伝えようとしますが応答がありません。家の中に入っていきます。
両親と子ども2人の4人が切り裂かれて血みどろのままダイニングの椅子に縛り付けられています。
あたり一面血の海です。立ち去ろうとしたその時、ひとりの男の影が。圭吾ははっきりと男の横顔を見てしまいます。
ツッコミどころ満載ではあります。なぜ圭吾が家の中に入るのかの理由付けのために大音量の音楽や隣人の苦情を入れ、当然それにより新たな疑問が発生するのですが、それには目をつむってしまうという安易さです。最後までそのパターンで進みます。
菅田将暉さん、間のとり方や台詞のない時の演技がとてもうまい俳優さんですので、いい人設定の圭吾にはピッタリです。高畑充希さんも同じタイプの俳優さんですので二人のシーンは特になにもないシーンでもとにかく持ってしまいます。
でも、この殺人現場目撃シーンやラストの格闘シーンなどは菅田将暉さんには合わないですね。そう感じられる理由は俳優のキャラだけではなく、演出であるとか、画の撮り方であるとかいろいろありますが、結局のところ、映画としてこの山城圭吾を主人公にしたサスペンスもの自体に無理があるのだと思います。
一匹狼刑事、清田俊介
事件の担当となる刑事は清田俊介(小栗旬)と真壁孝太(中村獅童)です。清田は暴走族あがりの一匹狼的キャラの刑事です。真壁は清田の才能を認めていつもかばう役回りのキャラです。
圭吾は清田から犯人を見たかと問われますが、見ていないと答えます。
一家惨殺事件の捜査は過去に犯罪歴のある辺見という男が浮上し、あっけなく辺見が自白してしまいますので、警察上層部は清田たちの反対を押し切りこれでいこうと辺見を逮捕してしまいます。
そして、時は経ち…って、ここ何ヶ月経過しているんでしょう?
圭吾はすでに連載ものを持ち独り立ちしています。夏美とも結婚しメゾネットタイプの億ションに住み2階を仕事場にしています。作品は目撃した殺人事件をそのまま書いた「34(さんじゅうし)」でその殺人鬼はあの日見た男そのもので「ダガー」と名付けられています。
第2の殺人事件が起きます。山の中の転落した車の中から4人家族の惨殺死体が発見されます。
サイコパス、両角
その前のシーン、山道を宿泊予定の民宿に向かう両親と子ども2人の4人家族がいます。故障車が道路脇に止められ、その先を男が歩いています。運転する父親は男を乗せます。同乗した男は、車中で漫画を読む男の子に、「その漫画、34だね。そのダガーって男、僕に似ていない?」と話しかけます。男は圭吾が見た第1の殺人事件の犯人です。
その山中の殺害現場に清田と真壁がやってきます。清田は崖の上から転落した写真を撮った後、転落した車の天井に手を入れ、凶器と思しき刃渡り30センチほどの包丁を発見します。
なぜわかった? と尋ねる真壁に清田は「34」を見せます。その漫画の初回は第1の殺人事件そのままの内容ですし、第2話はまさにこの殺人事件そのままであり、その犯人は凶器を天井に隠しているのです。
清田と真壁は圭吾を訪ねます。清田が「34」と酷似していると指摘しますが、圭吾は漫画は創作だと答えます。漫画を愛読している清田は天井裏の凶器のオチはもう考えているのかと尋ねます。これから編集者との打ち合わせで決めると答えます。
あざとい!
両角が圭吾に接触してきます。
両角のキャラはサイコパスです。後に明らか(と言うか、あっさり語られるだけ)になりますが、両角は両親と子ども2人の家族こそが幸せの原点というカルト教団のコミュニティで生まれ、その妄想が逆転して4人家族を殺害することに快感を覚える人物です。出生届が出されていないために戸籍がなく、両角という名前は買ったものです。
両角は圭吾に「僕を有名にしてくれてありがとう。僕、車の天井に隠した凶器のオチ、いいの思いつきました。僕たちは34の共同制作者ですね」と言い、圭吾の耳元で囁いて去っていきます。
キャラクターはこれで終わり
以上の3人以外の人物はおまけです。後はあらすじだけをざっと。
- 天井裏の凶器から第1の殺人事件の被害者のDNAが検出されます。清田は真壁に「34」の第3話(かな?)を見せます
- 逮捕勾留されていた辺見が冤罪だったとして釈放されます
- 第3の殺人事件が発生します
これまた「34」の内容のままです - 夏美は妊娠しています
圭吾とふたりで検診に向かった帰り、両角が現れます
夏美は、知り合い? と圭吾に尋ね、口を濁す圭吾を横目にお世話になっていますなどと声を掛けています
この病院のシーンは夏美が努めていた職場から双子用のベビーカーを購入することとともにラストシーンの伏線なんですが、あまり生きていません。
- 圭吾は夏美に、あいつが犯人なんだと告白し、これまでの苦悩を訴えます
- 圭吾は清田を呼び、すべてを告白します
- 圭吾は雑誌社を訪れ、連載中止を申し出ます
編集長は連載休止を提案し圭吾も受け入れます - 両角が圭吾に接触し、なぜ休止したのかと問い詰め、先生も楽しんで書いていたじゃないか、僕たち共犯だよねと言い去っていきます
本当はこの圭吾と両角の共犯関係をもっと濃厚に描かなくてはいけない物語だったんだろうと思います。それが出来ていないのでツギハギだらけの薄っぺらい映画になっているのでしょう。
- 圭吾のスケッチから両角の素性が割れます
しかし、両角を訪ねてみれば別人で、戸籍が売られたものであることが判明します - さらに第2の殺人事件の写真と圭吾の漫画から両角の過去が判明します
両角は4人家族原理主義のカルト教団が「九条村」につくったコミュニティで生まれた戸籍のない人物です
さすがにここはよくわかりません。圭吾は自分の持っている資料から「九条村」の山中を背景に使っただけなのに、その「九条村」は両角の原点たる村なわけです。どういうこと? なにか見逃していますかね。
こういうところがむちゃくちゃ雑な映画です。ツギハギ映画そのものです。
- 清田が辺見に刺され亡くなります
さすがにびっくりしましたが、でもなぜ? これまた雑に両角が辺見をマインドコントロールしたとしていました。
- 圭吾は「34」の最終回を書き始めます
自分の実家が両親と妹の4人家族であることから自分の家族を囮にしようとそれを漫画に書き上げたのです - 「34」最終回が出版され、真壁が警護するなか圭吾の実家で両角を待ち受けます
- 両角から圭吾に電話が入り、先生の家族は幸せな家族ではない(父の再婚だからってね(涙))、本当に幸せな家族が憎いと言い電話は切れます
- 圭吾が夏美に電話をし、双子か?と尋ねますと、夏美はどうしてわかったの?と答えます
- 圭吾は夏美に電話を切るなと言い家に駆けつけます
クライマックス!
- 圭吾がオートロックを解錠しようとしたその時、両角が現れ、圭吾を刺し、そのまま引き連れて部屋に入ります
- 刺されて横たわる傍らに夏美、両角は圭吾の作画用パソコンをどうやって立ち上げるのだ?と騒いでいます
これ、両角は何をしたかったんですかね?
- 夏美も刺されます
- 圭吾と両角が格闘となり、圭吾が両角を刺します
圭吾の表情が変わってい(ると見せたかったのだと思い)ます - 真壁が駆けつけます
まさに圭吾が両角に最後の一突きという瞬間です
真壁は圭吾にやめろ!と叫び、圭吾に向けて拳銃を発射します
両角が襲った4人家族そのものは違っていますが、両角の上に覆いかぶさる圭吾の姿は漫画の最終回そのものです。
後日譚
圭吾が入院しています。圭吾の実家囮作戦の際、全員防弾チョッキをつけていたのです。もちろん真壁はそれをわかって撃っているということです。
両角の裁判シーンがあります。
病院のベットに横たわる圭吾の表情は物憂げです。
真壁が病室を訪ねますと、圭吾が眠るベッドの横に清田の顔がスケッチされた紙が置かれています。
映画としてみるのは難しい
おっ! と思うシーンも結構あります。タイトルバックも結構うまいです。
ただ、やはり映画は断片的にストーリーを綴っていくだけでは物語は生まれません。シナリオもかなり(映画的には)雑なんだろうと思います。
永井聡監督、CMディレクターとのことです。「帝一の國」をDVDで見た記憶がありますが、このブログには何も書き残していないようです。
やはりDVDで見るべき映画でした。