え? 1977年、フランスではフーコーもサルトルもボーヴォワールもデリダもドゥルーズも性的同意年齢法に反対していた…
フランスの作家であり映画監督でもあるヴァネッサ・スプリンゴラさんの2020年の著書『Le Consentement 同意』の映画化です。その著書は、自身が14歳のときから1年あまり、当時49歳(50歳?…)だった作家ガブリエル・マツネフと性的関係を持っていたことを明らかにした回想録です。読んでいませんのであえて回想録としましたが、実質的には未成年者への性的虐待を告発したもののようです。
ガブリエル・マツネフ…
2020年1月の『Le Consentement 同意』の発刊はかなりセンセーショナルだったらしく、それまでガブリエル・マツネフと契約のあった出版社は契約を打ち切り出版を停止(正確ではないので調べてね…)したらしいです。
ガブリエル・マツネフの名でググればたくさんヒットしますが、フランスの検察はその機にマツネフの捜査を開始したものの最終的には起訴できなかったようです。現在マツネフがどうなっているのかはわかりませんが、当時はイタリアのリビエラに逃げていたらしく、本人への取材記事がネットにあります。
と、あれこれググっていましたら、フランスの日刊紙「リベラシオン」が今年2024年6月13日の記事で、フランスの検察がガブリエル・マツネフほか数人の知識人を未成年者に対する性犯罪に関与していたとして予備捜査を始めたと書いています。
フランス語からのGoogle翻訳でそう理解しただけですので正しくは読んでください。
というガブリエル・マツネフ、映画でははっきりとその名で登場しますが、原作では作家Gとなっているようです。ただ誰が読んでも当人であることはわかることらしく、なにせこのガブリエル・マツレフという人物は自らペドフィリア(小児性愛者)であることを公言しており、その著書にはフィリピンでの買春による少年への性的虐待を誇らしげに書いたものがあるそうです。映画の中でもヴァネッサがそれを読んでショックを受け、ガブリエルに猛抗議するシーンがあります。『16歳以下』という未成年者との性行為を美化したような著作もあるようです。
映画は、13歳のヴァネッサ(キム・イジュラン)が母親(は編集者らしい…)とともに作家や編集者たちの食事会に同席し、緊張しつつも背伸びしている様子のシーンから始まります。そして、すぐにガブリエル(ジャン=ポール・ルーヴ)から愛の言葉による攻勢が始まります。
今の言葉で言えばグルーミングです。ガブリエルはその非対称な力関係でもってヴァネッサを支配していきます。文学少女ヴァネッサにしてみれば作家は憧れの存在ですし、年齢的にも男性を異性と意識し始め、性的興味も生まれる年頃です。ガブリエルはヴァネッサに愛の言葉をささやき続け、自分に選ばれたヴァネッサは特別な存在であることを植え付けていきます。
そして、ガブリエルはヴァネッサを自らの仕事場に招き入れて性行為に及びます。
おぞましくも気持ちの悪いシーンが続きます。ヴァネッサを演じているキム・イジュランさんは大丈夫なんだろうかとそれが一番気になって映画どころではありません。
今調べましたら2000年生まれということですし、撮影は2022年に行われています。さすがに現在の映画で未成年の俳優はないだろうとは思いつつも、14歳でも違和感を感じませんでしたので気になって仕方がありませんでした。
性行為のシーンもかなり多いですし、率直なところ、このテーマをこの描き方でいいのだろうかと思うところもあり、あまり気持ちのいい映画ではありません。
振り返ってみれば日本では…
どういうことかと言いますと、すでに書きましたが、こうしたガブリエル・マツネフの行為がフランスで糾弾されることになったのはこの『Le Consentement 同意』の発刊によってです。2020年、わずか4年前のことです。それまでは見てみぬふりどころか、フランス文壇では擁護されてきたことらしいのです。
映画でも、食事会の席でマツネフが小児性愛を堂々と語り、周りの男や女たちが笑っているシーンが2シーンほどあります。
フランス語版のマツネフのウィキペディアは分量が多い上にGoogle翻訳では意味を掴みきれないところが多いのですが英語版は比較的読みやすすく、1990年のトーク番組の話が書かれています。それによりますと、カナダ人のジャーナリストがマツネフの話(未成年者への性愛の話…)を猛烈に非難したところ、逆にそのジャーナリストの方が作家や編集者や映画製作者たちから侮辱的な攻撃を受けたとあります。
※スマートフォンの場合は2度押しが必要です
この動画ですね。いろいろネットで見ているうちにわからなくなってしまいましたが、この動画、映画に使われていたような…。記憶が曖昧です。
映画の中のマツネフが、常にフランス大統領ミッテラン(1981〜1995)の手紙を持ち歩いていると語っていましたが、実際にミッテランはマツネフの愛読者だったらしく、また交流としてはサンローランとも親しかったようです。
フランス文壇だけではなく、政界や様々な文化界、そしてもちろんメディアが未成年者と大人との性愛を容認し、マツネフのような人物を野放しにしてきているのです。
1970年代にはミシェル・フーコー、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワールも未成年者との性行為を認めていたということです。もちろん「同意」を前提にしているわけですが、「解放」が時代の象徴している頃ですのでそうした時代的な空気もあったんだろうと思います。
映画からかなり離れてしまいましたが、この映画は『Le Consentement 同意』を映画化しているわけですから、その内容がどうこうではなく、このテーマを映画化するのであれば、その当事者ではなく、それを許してきた時代背景、文壇であれ、メディアであれ、そうした時代そのものを描くほうがいいのではないか思うだけです。
つまり、被害者対加害者の問題ではなく、それを許している社会、そして知りながら傍観していることも加害行為と同等であるとの視点ということです。
振り返って日本の現状をみてみれば、日本でジャニー喜多川による少年たちへの性加害が問題視され始めたのは2023年、昨年のことでした。それもBBSが取り上げたからという、いわゆる外圧によってです。
で、今はどうでしょう? すっかり過去のことになってしまった感があります。日本でこの事件をこの映画のような当事者の話として描くのはかなり難しいと思いますので、それを許してきた社会、つまりは見る者(我々に…)にぐさりと刺さる映画を撮って欲しいものだと思います。
ヴァネッサ・フィロ監督…
で、映画の続きですが、2年近く続いたらしい関係は、マツネフの興味が他の未成年者に移っていくことやヴァネッサがそうしたことや周囲との関係で精神的に不安定になっていったことからかなり曖昧に終えてありました。
そして、突然2020年ごろのヴァネッサのシーンになります。ヴァネッサは編集者として活躍しています。そして『Le Consentement 同意』を書くことでこれまでの苦しみを本の中に閉じ込めるとして映画は終わっています。
監督はヴァネッサ・フィロ監督です。前作はマリオン・コティヤールさんがネグレクトの母親を演じた「マイエンジェル」でした。ネグレクトを愛情でくるんでしまうような映画でしたのでダメじゃないかと思いますし、子どもにああした酷いことを演じさせることにも反対ですので評価は低いです。
この「コンセント/同意」も焦点が絞りきれているとは言えず、原作の映画化ではなく、やはり創作ものとしてつくり手の視点を明確にして描くべき題材だと思います。