内容的にはまったく違いますが、雰囲気的には岩井俊二監督の「Love Letter」や「ラストレター」を想起させるつくりです。手紙を契機にして過去と向き合うことや全編通して叙情で押しまくるところからそう感じます。
叙情性で押すには流れが悪い
やはり、イム・デヒョン監督自身も「Love Letter」に影響を受けていると語っています。そういえば「Love Letter」も小樽が舞台の映画でした。
と、確かにロケーションも冬の小樽ですし、内容も20年前に愛し合っていたのにそれぞれ別の道に進みしかなかったふたりの女性の再会(したのかな?)を描いていいるわけですから叙情的にならざるを得ないのですが、それなのに最も重要と思われる語り口、流れが非常に悪いです。
一番の原因は編集なんですが、それは置いておいて内容で言いますと、ジュン(中村優子)とユンヒ(キム・ヒエ)の思いが前面に出てこないことです。そのように描こうとした可能性もありますが、ふたりの会いたいという気持ちの強さがあまり感じられませんし、逆に言えば過去を悔やむ気持ちも感じられません。
再会という行為がすべてふたりではない他人(ふたりではないという意味)によってもたらされているからでしょう。ふたりの意志がみえません。
「ユンヒへ」の書き出しで始まる手紙を実際に投函するのはジュンのおば(木野花)です。それもジュンの机の上にあった封のしていない手紙を盗み読むカットがあり、もうその次のシーンではポストに投函してしまいます。おばは雪の道路を歩いて行き、ふと立ち止まり、数メートル戻ってポストに手紙を投函します。
ふたりの話からはそれますが、この流れ、しばらくどういうことかよくわかりませんでした。私には人の手紙を黙って出してしまう人がいるとは思えませんし、封をして持って出たからには出すつもりいるわけですから、行き過ぎる理由がわかりませんし、迷いがあるのなら投函する時点で迷うと思いますので、とにかく、冒頭のシーンから、なんじゃ、こりゃ? と思ったわけです。
さらに、ユンヒの方でも、その手紙を読むのは娘のセボムです。こちらもポストの手紙を見ていきなり開封して読んでしまいます(だったと思う)。母親宛ですよ、いくら母娘関係によるといってもそんなことしないでしょう。仮にしたとしても、その後、母親を騙して相手に会わせようとしないでしょうし、手紙の内容自体もそれほどの強い思いのあるものに感じられなく、なぜセボムが母親を騙してまで会わせようとしたのかもよくわかりません。実際ジュンの手紙は日記のようなもので、これまでも何通も書いて出さないでいると言っていたものです。
という導入があり、これ以降、確かにジュンとユンヒには常に過去への思いに引きづられているといった演出はされていますが、ユンヒが小樽へ行くのもセボムが仕組んでのことですし、ジュンにいたっては会うまでユンヒが小樽に来ていることを知りません。
やはり、仮に再会が仕組まれたものであるにしても、ふたりの強い思いを前面に出して物語を進めていかなければ叙情性は立ち昇ってこないでしょう。
ネタバレあらすじ
ユンヒ
すでに書いたように、この映画の物語を動かしていくのは、ユンヒの娘セボムが母親に黙って小樽で暮らすジュンに会わせようとする行為です。セボムにはボーイフレンドがいます。ふたりでいろいろ策略を練り、セボムの卒業旅行と称してユンヒを小樽へ連れ出します。セボムとボーイフレンドの扱いがシーンの分量的にもかなり多かったと思います。
ユンヒは離婚しています。元夫がユンヒのアパートの前で帰りを待っているシーンが2シーンあり、1シーン目はまだ未練がありやり直せないか(見間違いかも)といった感じでしたが、2シーン目では結婚することになったと言っていました。ユンヒはおめでとうと言っていましたが、演じているキム・ヒエさんが一貫して思い悩んでいる演技で通していましたのでその心情はよくわかりません。
ユンヒは給食センター(かな?)で働いており、上司に休暇をとりたいと申し出たら、あなたが必要だと言いながら休むならもう来なくていいと言われ、じゃあ辞めるというシーンが入っていました。韓国の国内事情の何かを意図したシーンかもしれません。
後半でですが、ユンヒは20年前のことを、ジュンと愛し合っていることを母親(といっていたか?)に知られ、病気だと言われて精神科に通わされ、進学したかったのに、兄の紹介で早くに結婚させられたと言っていました。ということはユンヒとジュンは高校時代に愛し合っていたということなんですね。
ジュン
ジュンは母親が韓国人、父親が日本人で、両親の離婚を機に父親と一緒に日本で暮らすようになり、父の死後はおばと一緒に暮らしています。ジュンは動物医院を経営しています。おばは喫茶店をやっています。
ジュンの顧客でリョウコ(瀧内公美)というが女性がいます。登場シーンは2、3シーンで、なんともはっきりしないワザトラシーンには感じるのですが、リョウコがジュンに好意を持っていると示していることに対して、ジュンは、自分が韓国人であることを秘密にしていたことにかけて、あなたの秘密は誰にも言ってはいけないと言っていました。会話がファンタジー過ぎますね。
で、再会(したのかな…)
ユンヒはジュンが小樽にいることはわかっていますので、セボムが仕組む前にジュンの住まいを訪ね、物陰からその姿を盗み見します。
実際の再会は、最後の最後までセボムの策略で進みます。橋の上で娘を待つユンヒ、何も知らず行き過ぎるジュン、そして、ふと立ち止まるジュン、向かい合うふたり、「ユンヒ…?」「ジュン…」と声を掛け合います(だったか…)。
その後のふたりのシーンは雪の小樽を歩くワンシーンだけです。
その後、ふと、ふたりは実際には会っていないのではないかと思ったりもしたんですが、どうなんでしょう?
フィルム写真
この映画には写真に関わることがたくさん出てきます。スマホではなくフィルムのアナログ写真です。
セボムは常に母親のフィルムカメラを持ち歩き、日常的に見慣れたモノをオブジェとしてユニークな構図で撮っています。セボムのボーイフレンドも一眼レフのカメラを持っています。ユンヒの兄は写真館をやっているカメラマンで、セボムに才能があると言っています。セボムは撮った写真の現像を兄に頼んでいます。
その現像された写真を撮ったカットもありますし、フレームに入ったユンヒの学生時代の写真のカットも何シーンかあります。昔のアルバムを見るシーンもあったと思います。ジュンのシーンでも写真が使われていたと思います。
記憶ということなんでしょうか。
で、ユンヒとジュンが実は会っていないのではないかと思ったのは、ユンヒとセボムが韓国に戻り、ふたりで小樽の写真を見ているシーンだったと思います。なぜそう思ったのかわかりませんが、ふと浮かんだんですよね。
この語られた物語だけではつまらないと思ったからかもしれません(ペコリ)。