エディントンへようこそ

アリ・アスター監督の映画は相変わらずしょうもない冷笑系(ゴメン…)

まったく趣味ではないのにデビュー作から見続けているというアリ・アスター監督、相変わらずしょうもないですね(笑)。この映画、多分自分でも何やっているのかわからなくなっていますね。

エディントンへようこそ / 監督:アリ・アスター

スポンサーリンク

ネタバレあらすじ

ネタバレあらすじなどと書きながら、この映画のあらすじを書くことなど無理です。いや、無理ではありませんが、物語の流れ自体に大した意味はありませんし、書いてもせいぜい2、3行ですむでしょう。じゃあ、この映画、1時間30分、何をやっているかといいますと、今の社会に現れている象徴的な事象を並べ立てているだけです。ですので、ネタバレといってもネタは映画を見ている我々の現実ですのでバラすほどのこともなく、あなたの周りを見なさいということになります。

人口2000人の町エディントンはアメリカの縮図ですし、この日本だって、BLMの現実感がちょっとだけ薄かったり、銃社会ではないためにマシンガンをぶっ放すヤツもめったにいないだろうという程度の差こそあれ、まあ似たりよったりの社会ということです。

スポンサーリンク

発端はジョーとテッドの対立、そして…

時代は2020年、新型コロナウイルス(COVID-19)が蔓延し、エディントンでもロックダウンが施行され、マスク着用が義務化(推奨?…)されています。しかし、保安官ジョー(ホアキン・フェニックス)はマスクをするしないは個人の自由だと言い、市長テッド(ペドロ・パスカル)と対立します。ジョーは主張が通らないとみるや市長に立候補することにします。

市長選はSNSを使った中傷合戦の様相を呈し、町中が混乱(これが映画のポイント…)した状態になります。そして、テッドが衆目の前でジョーの頬を叩いたことからジョーがキレてテッド親子を射殺します。しかし、今度はジョーが何者かに狙われることになり、ながーい襲撃シーンがあり、最後はジョーがナイフで頭を突き刺されます。

数年後(かな…)、ジョーは全身不随状態のまま市長となり、エディントンにはテック企業のデータセンターが完成しています。

スポンサーリンク

SNS社会が生み出す罪悪、そして…

この映画の構造がどうなっているかをみています。

まず、映画の表面的な軸となっているのはジョーとテッドの対立です。そこには自由に対する考え方の違いがあります。リバタリアニズム対パターナリズムみたいな感じですね。

さらに、これはかなり無理くりですが、ジョーの妻ルイーズ(エマ・ストーン)への性的虐待疑惑が持ち込まれています。ジョーはルイーズがテッドから未成年に対する不同意性交によって妊娠させられたことがあると疑っており、それをSNSで選挙運動に使ったことからテッドがジョーの頬を叩くという侮辱行為に結びついています。

ただし、実はルイーズへの性的虐待はすでに亡き元保安官であった父親からのもので、妻でありルイーズの母親のドーン(ディードル・オコンネル)もそれを知っています。

このジョーとテッドの対立を基本軸して、そのまわりに今の社会、特にアメリカ社会が抱える様々な問題が散りばめられているというのが2つ目のポイントです。

ルイーズへの家庭内性的虐待、ペドフィリア(小児性愛)もそのひとつですが、この映画全体を覆っているものにSNSによる誹謗中傷、フェイク、デマ拡散が社会の分断や混乱を生み出していることがあります。映画の中では、なにかことが起これば町の住民たち皆がスマホのカメラを向けるシーンとして描かれ、その切り抜き動画が拡散され炎上していきます。

そうしたSNSを使った運動が生まれます。善悪は別にして、映画の中ではBLM(ブラック・ライブズ・マター)、陰謀論者、ANTIFA(Anti-fascism, 反ファシズム)が登場します。また、運動にはならなくても一個人が大きな力を持つこともあります。それともうひとつ、白人はネイティブアメリカンの土地を略奪したと主張する白人の男が登場しますし、それと対になるようにプエブロ(ネイティブアメリカンの居住地)の保安官が登場します。

黒人の保安官助手マイケルがテッド親子殺害事件の容疑者にされてしまうのも、BLM運動の活動家である白人のサラに気があるブライアンのSNSを使った策略からですし、ジョーがキレる一因にもなっているルイーズの失踪は陰謀論者ヴァーノンが絡んでいます。数年後のラストシーンではお腹の大きくなったルイーズがヴァーノンと一緒にいるSNSの画像が映し出されています。プエブロの保安官はテッド親子殺害事件の真相を追ってジョーに迫るのですが、最後の銃撃戦で撃たれてしまいます。ANTIFAは、ジョーが記者会見でテッド親子殺害事件はANTIFAの犯行の可能性があるということで利用されています。

これがこの映画の二層目です。そして…

スポンサーリンク

テック企業が世界を支配する

という感じでかなり雑多かつ混乱状態で映画は進み、そして最後にそうした地上の混乱を空から見下ろす存在が登場します。

はっきり描かれているわけではありませんが、プライベートジェットでやってきたその者たちが、おそらくドローンを使ってマイケルを爆死させたのであり、その後に「no peace」の火文字を残します。

「No Justice, No Peace」はANTIFA系の集会などでよく登場するスローガンですのでその仕業を装うためと考えれば、また、これは映画ですので一般的に最後に残ったものが勝利者ということを考え合わせればおのずと答えは出ます。

データセンターですかね。つまりはテック企業、さらに言えばGAFAMやイーロン・マスク氏を映画の中のテック企業になぞらえているのかも知れません。

スポンサーリンク

感想、考察:現実を皮肉っても何も変わらない

ただ、最初に書きましたように、こうしたことはもう誰もが知っていることですのでそれをこんな大層な形で映画にしても意味がありません。問題はこうした社会から抜け出すにはどうしたらいいかであり、映画は見えない現実を描かなければ意味がないと考えれば、この映画は現実を斜めから見て知ったかぶりをしているだけの単なる冷笑系映画ということになります。

アリ・アスター監督の映画はデビュー作からそうしたところがあります。