ミレニアル世代アーティスト「アマリア・ウルマン」さんの映画です。
アマリア・ウルマン
アマリア・ウルマンさん、上の画像の女性ですが、初めて名前を聞く方です。1989年にアルゼンチンで生まれ、その後両親とともにスペインに移住し、この映画のロケーションでもあるヒホンで育ち、2009年から2011年までロンドン芸術大学のセントラル・セント・マーチンズというカレッジで学んだそうです。映画の中でしきりと足が痛いと言っていましたが、2013年にバス事故(具体的にはわからない)にあっているらしく、足が痛いというのは本当のことなんでしょう。
この映画を見ようと思ったのは、公式サイトの
2014年、ミレニアル世代の“リアル”と“虚構”を鋭く表現したパフォーマンス・アート“Excellences & Perfections”で一躍脚光を浴び時代を象徴するアーティストとなったアマリア・ウルマン。2021年、自身が監督・脚本・主演・プロデュース・衣装デザインを務めた『エル プラネタ』がサンダンス国際映画祭で話題をさらい、その映画的センスがジャン=リュック・ゴダール、ジム・ジャームッシュ、グレタ・ガーウィグを彷彿させる、と絶賛された。(公式サイト)
の紹介を読み、そそられたからですが…
率直なところ、映画は面白くはありません。ただ、この「エル プラネタ」を見ただけでどうこう語ってもあまり意味がないかもしれません。上の紹介にもある「Excellences & Perfections」など一連のパフォーマンスのひとつと考えるのが妥当ではないかと思います。
映画ではないかも知れない
さらに言えば、なんとなくですが、アマリア・ウルマンさんはこの「エル プラネタ」を「映画」という概念でとらえていないのではないかと思えてきます。
主な登場人物は「ロンドンでの学生生活を終えた駆け出しスタイリストのレオ(アマリア・ウルマン)」と母親(アレ・ウルマン)です。カッコ内は公式サイトからですが、それはまさにウルマンさんの経歴そのものですし、母親役(役と言っていいかどうかも?)も実の母親です。
つまり、あたかもウルマンさんの「リアル」を見せているかのような映画です。
2014年にニューヨークの New Museum で公開された「Excellences & Perfections」の紹介を読みますと、
この「Excellences & Perfections」は、ウルマンさん自身が Instagram と Facebook を使ってネット上に別人格をつくるパフォーマンスだったようです。
ということから考えれば、この「エル プラネタ」は、スクリーン(映画)上にその別人格の「リアル」を描くパフォーマンスなのかもしれません。もちろん、「Excellences & Perfections」を見てもいないものの妄想です。
これを映画としてみれば…
レオとその母親が自分たちの生きたいように気ままに生きている姿を描いているだけです。一般常識的に言えばまともではない行為が繰り返されます。万引きという犯罪を犯したり、誰かの名をかたり(よくわからなかった)、つけで食事をしたり、返品を前提に商品を購入したり、実際には成立しませんが性的行為で金銭を得ようとしたり、アパートメントの電気を止められてもなにかまうことなく毛布を羽織って過ごし、それでも見た目のファッションには妥協はありません。ただし、それを誰かに見せようとしているわけでもありません。ただそうしたいからしているだけに見えます。
「リアル」に見えることも「虚構」だということだと思います。
まあ、私にはこれが「リアル」にはみえませんが、それこそ現実にはこういう人たちはいると思います。
映像的には特に新鮮に感じることはありません。
で、結局なんなのか
多分、映画が映画として存在できなくなる時代が始まっているんじゃないかと思います。
時代が変わればその時代の思いが表現される形態も変わります。映画が「物語」=「虚構」を語るものの一形態であるとするならば、すでにネットを介する現実は「虚構」そのものです。そうした「現実」=「虚構」に生きる者は、およそ2時間、劇場という閉ざされた空間に押し込められて見る「虚構」などに大した意味を見いだせなくなるんだろうと思います。
いずれ、劇場で見る映画は、アナログレコードで聞く音楽のようになるのでしょう。
正直、つまらない母娘の「現実」=「虚構」をわざわざ足を運んでまで劇場で見たいとは、私は思いません。
この「エル プラネタ」を否定しているわけではありません。旧来の映画としてみればつまらないと思いますが、アマリア・ウルマンさんの一連のパフォーマンスの断片であると考えれば、一体その全体はどんなものなんだろうとの興味は湧いてきます。