原作を読んだ映画を見て、良かった試しはないのですが、やはりご多分に洩れずでした。
そもそもの映画化の発端が、佐藤泰志の地元、函館の有志によって成されていることに原因があるのかも知れませんが、映画そのものに心(シン)が感じられません。熊切和嘉監督の、これを撮りたいという、いわゆる映画的なるものが、私には感じられませんでした。
原作の18編連作のうち、5編ほどがオムニバス的に描かれているのですが、どのパートもなにやらぼんやりとしてはっきりしません。なぜなんでしょう? 多分、作り手の立ち位置がはっきりしていないということじゃないでしょうか。作り手自身がぼんやり眺めているように思えてなりません。
とても気になったことがあります。
まず、いつの時代の話なのか判然としないことです。原作はおよそ20年前に書かれていますが、映画は、携帯電話が日常的に使われており、「コジマ」の看板などもあり、現在の話として描いているようです。しかし、全体的なトーンは、原作の時代を感じさせるものであり、どことなく違和感があります。
もう一つは雪です。これは技術的な問題かも知れませんが、各シーンの雪の量が違うのです。原作の18作は、一部を除いて、季節的にも、もちろんストーリー的にも違う話ですが、映画では、12月から正月を経て、およそひと月くらいの話にまとめています。
この映画にとって、雪はかなり重要な要素になっているような気がします。特に、中心となっている、函館山に初日の出を見に行く兄妹のシーンに雪があったりなかったりは致命的です。
結局のところ、もう少し脚本を練り上げるべきではないかということが私の感想です。