母の身終い/ステファヌ・ブリゼ監督

静かに始まり、静かに終わるといった感じです。自らの最期もそうありたいものですが…

母の身終い(字幕版)

母の身終い(字幕版)

ステファヌ・ブリゼ監督は、「自殺幇助はこの映画の主題ではありません」と語っている(プレスリリースなのか出所が分からない)らしいですが、自殺幇助のインパクトからして、そう捉えるのはかなり難しい映画です。


映画『母の身終い』予告編

自殺幇助自体が合法というのは、オランダやベルギーもそうらしいのですが、スイスには、外国人も受け入れている自殺幇助団体があるようです。「ディグニタス」、これですね。

映画は、静かに始まり、静かに終わるといった感じです。

「魔が差した」と本人は語っていましたが、ヤバイもの(麻薬だったと思う)を運んだ罪で18ヶ月服役していたトラック運転手アラン(ヴァンサン・ランドン)は、出所後、母の元に身を寄せて、やり直そうとしていますが、思うような仕事に就けず、また、偶然出会った女性と恋に落ちますが、服役していたことをうまく告げられず、別れることになってしまいます。

母イヴェット(エレーヌ・ヴァンサン)は、息子が犯罪者になったことが整理できないのか、またかなりの潔癖症のようで、ちょっとした日々の生活にも、二人の言い争いは絶えません。

イヴェットは、悪性の腫瘍が脳に転移し、いずれ「自分を失う」ことを知り、その時が来たら、自ら命を絶つことを決意して、上記の団体と契約しています。映画の中頃で、アランは偶然そのことを知るわけですが、母とは言え、自由な個々人の決断を尊重しているということなのか、取り立てて強く反対する描写はありません。

ということで、後半、「自分を失う」時期が近いと知ったイヴェットは、見た目全く元気なんですが、その決断をし、アランと共にスイスの最期の場所となる家に向かいます。映画では、その場所は個人の家のような作りになっており、ひとりの女性が迎えて、まず、リビングのようなところで最初の薬(吐いたりしないようにでしたか…何の薬か忘れました)を渡し(飲ませ)、その後寝室のベッドのようなところで、最期の薬(ペントバルビタールらしい?)を渡します。もちろん、本人の意思で飲むわけです。

映画とはいえ、このシーンを見ているのは結構きついですね。

映画は、イヴェットの選択を良いとも悪いとも、またアランに母親の選択に対して何かを語らせたり、大げさに感情をさらけ出させたりは全くさせず、静かに終わっていきます。

そうしたつくりには好感を持ちますが、やはり、親子の関係の物語というより、安楽死、自殺幇助が際だつ映画のように思います。