不思議な映画ですね。まるであらすじを読んでいるような断片的な描かれ方しかされていないのですが、印象は悪くなく、見入ってしまいます。
ユダヤ人排斥、さらにジプシー(映画の中で使われているのでそのまま使用)差別の問題、もちろん恋愛も当然ながら重要な要素なのですが、冒頭にも書きましたが、それらにさほど迫ろうという意図はないようで、各シーンが断片的につなげられている印象が強いです。
たとえば、フィゲレは、ロシアからイギリス、フランス、そしてアメリカへと渡って、ついに父と再会するわけですが、それらの行動はフィゲレの意思というよりは、むしろ偶然性を強く感じさせるものであり、エンディングにしても、願いが叶ったといった熱いものを感じさせるようには作られていないようです。それは、ジプシーの青年チェーザーとの恋愛にも同じことが言え、出会いも別れもかなりあっさりしています。
こうしたことは、「ジンジャーの朝 〜さよなら、わたしが愛した世界」でも同じようなことを感じましたので、あるいはサリー・ポッター監督の手法なのかも知れません。「愛をつづる詩」がどうであったか記憶がありませんので、もう一度見てみようかと思います。未見の「オルランド」や「タンゴ・レッスン」も…。