魔法少女ユキコは、男たちの欲望を一身に受け止め、ソウルジェムは濁りきり、やがてメンヘラ魔女と化す
これだけ作り手の才能が感じられる映画はめずらしいです。もちろん、その中心はカルロス・ベルムト監督でしょう。
物語は、父が娘を思うヒューマンストーリーであり、何が起きるかわからないミステリーであり、また、そのテイストは、サスペンスであり、ブラックなコメディであり、ダークなサイコ的要素も匂わせつつ、映像的には、冷たく静謐であり、計算された美しさを持っています。
白血病で余命わずかな少女アリシアは、日本のアニメ「魔法少女ユキコ」の大ファン。彼女の願いはコスチュームを着て踊ること。娘の願いをかなえるため、失業中の父ルイスは高額なコスチュームを手に入れることを決意する。この行為が、心に闇を抱える女性バルバラ、訳ありの元教師ダミアンを巻き込んでいく。出会うはずのなかった彼らの運命は予想もしない悲劇的な結末へ…。(公式サイト)
とどのつまり、これは、ファンタジーなアニメ的映画なのではないかと思います。
冒頭の「2+2は必ず4だ。真実はいつも変わらない(こんなような意味)」といったナレーションや「世界」「悪魔」「肉欲」といったタイトル付けにみられる一見哲学的なテーマ提示、行間を極端に省いたくっきりしたカット割り、二次元をイメージさせる静的構図、そして曖昧さのない落ち、と、魔法少女アニメなど「魔法少女まどか☆マギカ」しか見たことがないアニメ音痴が、「日本のアニメを見て育ったカルロス・ベルムト監督」との宣伝コピーに乗っかって考えたこの映画の解釈です(笑)。
この映画は、先を読みにくくすることが大きな映画的要素になっていると思われますので、未見の方は、以下読まれない方がいいかもしれません。
アメリカ映画ではまずないと思いますが、この映画、躊躇なく人が撃ち殺されます。そのシーン、一人目はともかく、二人目、三人目は想像を超えています。外から店内をとらえたカット、やがてその銃口は本人のこめかみか口内を向くのだろうと想像しましたが、とんでもなかったです。
躊躇なくと書きましたが、躊躇はあったとしてもほぼ完全に削ぎ落とされています。特に四人目の殺人は、対象が対象なだけにだと思いますが、画までも削ぎ落とされ、音のみで表現され、そこに感情の入る余地はありません。
この結末が、この映画の意味を決定づけているように思います。「魔法少女」の衣をまとってはいますが、いわゆる「ブラック的な渇き」がこの映画の本質なのだと思います。
この映画を見て、私は「父の秘密」を思い出します。考えてみれば、こちらもスペイン語圏の映画です。
映画の構成としては、前半はややもたつきます。中盤から終盤にかけては結構引き込まれるのですが、バルバラとダミアンのプロローグ、アリシアと父ルイスのシーン、バルバラと夫とのシーンは、行き先がみえず、集中力が途切れます。
それに、ダミアンのシーンの時間軸が掴みづらいです。集中力が切れていたこともあるのでしょう、最初のダミアンのジグソーパズルのシーンが、いつ、何の前後に入り、どんなシーンだったのか思い出せません。
宝石店の前で、ルイスがジグソーパズルの一片を拾って捨てたカットがあったと記憶していますが、あれはダミアンのシーンで一片が見つからず完成しないその一片なのではと思うのですが、もしそうだとするとダミアンがうまく時間軸に収まらないのではないかと思います。どうなんでしょう?
編集過程でかなり構成を練った結果の齟齬ではないかと思います。
次回作はアルモドバルのプロデュースという話(何かで見かけた情報ですが今は見つかりません)もあり、いずれにしても楽しみな監督です。