実録ヤクザ路線の時代劇化を目指すも…
痛いし、汚い映画です(ペコリ)。暴力シーンや女性の扱いにもうんざりしましたが、でもまあ、そういう映画ですし、松坂桃李さんがよかったのでいいんじゃないでしょうか。
「凪待ち」を見て白石和彌監督の評価が上がりましたので見てみた映画です。
“血沸き肉躍る、男たち渇望の映画”ってか
東映ビデオの公式サイトを見てみましたら、いきなり「血沸き肉踊る」って言葉が飛び込んできました(笑)。
だめでしょ、この映画を見てそんなに興奮してちゃ! それに、そんなやつ、いないと思いますよ。
一概に映画が暴力を描くことを否定するつもりはありませんが、この映画には暴力しかありません。わざわざエグさを見せようと、そのことに力が注がれています。
それをマジで「男たち渇望の映画」と考えているとしたら時代錯誤も甚だしいです。宣伝コピーだとしてももう少しなんとかならないものかとは思います(笑)。
(2021.5.26追記)
上のリンク先の東映ビデオの記載内容が変わっていますね。スクショしておけばよかったです。
実録ヤクザ映画が時代劇になるとき
ただ、荒唐無稽の時代劇として東映ヤクザ路線をよみがえらそうということであれば腑に落ちないわけではありません。
時代設定は昭和63年(1988年)。昭和最後の年は64年のわずか1週間ですのでほぼ昭和最後の年の話ということになります。暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)が施行されたのが平成3年(1991年)ですのでその直前の「お話」です。
その時代のヤクザ(暴力団)と警察の関係を描いた映画ですが、そもそもヤクザ映画というものをほとんど見たことがなく、ただ、おそらくテレビからの情報(刷り込み)だと思いますが、高倉健さん、鶴田浩二さん、藤純子(富司純子)さんなどの映画の印象が漠然とした記憶としてある程度です。
その程度のヤクザ映画認識ですので、今、ちょっとだけウィキペディアで勉強してみました(笑)ら、この映画の紹介にもでてくる「仁義なき戦い」というのは健さんたちの流れとは別の路線なんですね。
1973年に『仁義なき戦い』が封切られると、義理人情に厚いヤクザではなく、利害得失で動く現実的なヤクザ社会を描く映画を「実録シリーズ、または実録ヤクザ映画」と呼び、それまでのヤクザ映画を“任侠映画”と区別されるようになった。(Wikipedia)
つまり、1973年の時点で、健さんたちの映画は時代物としての「ヤクザ」の世界を描いたものであり、菅原文太さんの「仁義なき戦い」は実録ものとして「暴力団」の世界を描いているということになります。
そうであれば、昭和も遠くなりにけりの今2021年の時点からみて、その実録(的)ヤクザ映画を現実と切り離して描くことができるならば、つまり時代物としてやれば、「昨今コンプライアンスを過度に重視する日本の映像業界と現代社会(映画『孤狼の血』特集)」であっても、あるいは受け入れられのではないかと考えたということであれば、この映画の意味合いも腑に落ちるということです。
しかしそれにしても、暴力に理由はいらないという映画です。むちゃくちゃ痛いです。
ネタバレあらすじとちょいツッコミ
いきなり男が豚小屋でリンチ(ヤクザはそんな言葉を使わないか…)にあっています。殴られるわ、蹴られるわ、豚の糞を口に押し込まれるわ、挙げ句の果にでかい剪定ばさみで指を2本も(イタっ!)切られるシーンです。
まあ映画なんですから何をやってもいいんですが、勘弁してほしいです(笑)。
こういうシーンで始めることからして、エグさで映画をもたせようとしていることの宣言だと思います。ただ、実はこの男、これから始まる五十子会と尾谷組の抗争とは直接関係がないのです…はあ?
最初に映画の構造を整理しておきますと、大きくは暴力団の抗争と警察の腐敗の2つが軸になっています。
暴力団の抗争の方は、
- 五十子会と尾谷組は14年前に戦争をしている(参考「仁義なき戦い」1974年)
- その戦争による尾谷組組長の服役中の今、五十子会は傘下の加古村組を使って尾谷組をつぶそうとしている
という単純なことであり、それに対して警察の腐敗の方はちょっと複雑で、
- 大上(役所広司)は暴力、脅迫、放火など犯罪行為も厭わない捜査方法をとるマル暴であり、県警本部から送り込まれたのが日岡(松坂桃李)が内偵中である
- 内偵より数々の違法行為とともに14年前の五十子会幹部殺害容疑が浮上する
- 上司の監察官はそれには興味を示さず、大上の日記(ファイル)を手に入れろと指示する
- 大上は県警本部内部の腐敗を握っておりそれをファイルに書き残している
という、本来映画にするのであれば警察の腐敗の方がネタになりそうなものなのですが、そちらはかなり適当に流されて、あくまでも暴力団や大上の暴力を見せる映画になっています。
そして、なぜか映画の前半は、大上と日岡が抗争とは直接関係のない冒頭の男の失踪事件を調べることで費やされます。それも、男が殺された最初のシーンは4月であり、その妹が大上に相談に来て失踪事件として調べることになる映画的現在は8月です。
さらに、その男は加古村組の集金装置であるサラ金の経理担当者であり、本店から金をくすねたということのようですが、なぜ殺されなくっちゃいけないのかよくわかりません。くすねた金は加古村組に尾谷組を潰すための資金として提供されているわけで、それは五十子会の利益でもあるわけで、本店というのは五十子会の経営であり、じゃあなぜくすねる必要があるのか、なぜ五十子は男を殺せと言っているのか、まったくわかりません(笑)。
それははてなのままですが、とにかく、大上の意図はこういうことのようです。
大上は暴力団の抗争で迷惑するのは世間であり、それを避けるために暴力団を生かさず殺さず抑え込むのが一番だと考えており、五十子会と加古村組にサラ金男殺害容疑を突きつけて尾谷組への仕掛けをやめさせようとしているということです。
ただ、大上の行為は度が過ぎています。
- 加古村組のサラ金男拉致の防犯カメラ映像を手に入れるために放火する
- 加古村組の男を美人局(的)で拉致し、男が男性器に入れている真珠を刃物で取り出すことで脅す
- サラ金男殺害現場である養豚場の男を言葉では表現不可能なほどの暴行で白状させる
ただ、こういうシーンがないとこの映画、カスみたいなものでしょう。
埋められていたサラ金男の腐乱死体が見つかります。他にも死人は出ているのになぜこの男にこだわるのかは、男がかたぎだからだそうです。大上は「加古村を壊滅に追い込むど!」と叫んでいます。
完全に尾谷側ですね(笑)。弱い方についてバランスを取って生かさず殺さずってことなんでしょうか。ただ、実際は金をもらっていますので、時代劇で言えば、お前も悪よのう、ってことになります。
ここらあたりで映画の半分くらいです。
日岡の内偵情報を上司が新聞にリークし、大上が自宅謹慎になります。
- 戦争が始まり、尾谷組の鉄砲玉が加古村組の幹部を襲撃する
- 尾谷組に家宅捜索が入るが、幹部は地下に潜る
- 大上は直接加古村に会い手打ちを求めるが、加古村は尾谷組が壊滅するほどの条件を出す
当然尾谷組が受け入れるはずもなく、大上は日岡に、加古村と県警上部の癒着をネタに加古村を脅すと言い、再度加古村との交渉に向かいます。そのまま行方不明になります。
大上は、極道と関わるのは曲芸師になったようなもの、極道の側に傾いても警察の側に傾いても落っこちてしまう、落ちんようにするには歩き続けるしかないと最後の言葉を残しています。
- サラ金男殺害の容疑で加古村組の組員が逮捕される
- 加古村組の組長以下幹部も逮捕される
日岡に大上のファイルが残されています。そこには県警上層部の悪事が記されています。大上はその情報を美人局で得ていたということです。時代劇で言えば、クルクルクルってやつですかね。
日岡は自分が県警の上層部に利用されていたことを知ります。また、14年前の五十子会の幹部殺害も、殺したのは尾谷組の組員である夫を殺され復讐した女をかばうために有耶無耶にしたということです。
大上の死体が上がります。サラ金男と同じ手口で豚小屋で豚の糞を食わされ、そして刺殺されたということです。県警は、五十子会との癒着隠蔽のためでしょう、事故死と発表します。
日岡は大上の殺害現場である豚小屋に行き、五十子会の組員となった養豚業の男を殺すほどの勢いで叩きのめします。
日岡が大上となったということでしょう。
日岡が仕掛けます。県警幹部も出席する地元のパーティーです。五十子も出席しています。地下に潜っていた尾谷組の幹部を引き入れトイレの五十子を襲わせ殺害させます。
ここも映画としては見せ場なんでしょう、切り取られた五十子の首が便器の中にという結構エグいシーンです。
そして、身代わりの組員を差し出す尾谷組幹部(江口洋介)を殺人容疑で逮捕します。ハメたということです。
役所広司と松坂桃李がいい
役所広司さんと松坂桃李さん、このふたりがとてもいいです。それゆえ見られる映画になっています。
松坂桃李さん、「孤狼の血 LEVEL2」 の主役のようですので見てみようと思います。
出番は少ないのですが、最後に五十子を殺害する尾谷組の幹部役の江口洋介さんもいいいです。
他の俳優さんは、さすがにヤクザ映画は無理じゃない? という方が多いです。そのこと自体は悪いことではありませんが、こういう映画を成立させられる俳優の層ってかなり薄くなっているということでしょう。
やっぱり時代劇にはならない
という俳優の薄さもありますが、そもそも30年くらいじゃ時代劇化は無理なようで、見るに堪えないシーンも多いです。暴力シーンは所詮映画ですからウソだと思って見ればいいわけですが、女性に対する下品さはクルクルクルにはなりませんね。
ということで、おそらくこのシリーズは2、3作で終わると予想します。