新聞記者というより内閣情報調査室の官僚たちという映画
政治ネタを映画にするのは難しいですね。
圧力があるからということではなく、リアリティを求めれば地味だと言われたり、エンターテイメントに走ればわかっていないと言われたり、まあ、映画の題材には向いていない、特に日本ではということだと思います。
この映画も、これだけ現実を模して、それとわかるのに別名で描くのであれば、そんな中途半端なことをせず、ドキュメンタリーとして捨て身の撮影をすればいいのにと思います。
描かれているのは、国家戦略特区にまつわる加計疑惑を軸に、官僚の自殺、公文書偽造、野党議員陥れ謀略、山口敬之レイプ事件もみ消し疑惑など、ここ数年の間に次々と起きている安倍政権下の不正にまつわるあれこれです。
ただ、政治家はひとりも出てきません。出てくるのは官僚たちです。主要な人物は、内閣情報調査室の内閣情報官多田(田中哲司)とその部下杉原(松坂桃李)です。
最初に、この映画が、結果として、まるで現政権に忖度したかのようなつまらないものとなっている理由を書いておきますと、権力を悪魔の如きひとりの人間(多田)に集約させ、その命令によってあらゆる陰謀、謀略が行われているように描いているところです。
そんなことはありえません。権力の悪事はそれに関わるすべての人間によって行われています。もし本気で権力批判をするのであれば、描くべきは、多田や杉原ではなく、あの内調の部屋でまるでロボットのようにパソコンに向かっている官僚たちです。
怒りを一個人に向けてウサを晴らすような描き方はガス抜きみたいなものです。
ただ、ラストは評価できます。杉原は、吉岡(シム・ウンギョン)に声に出すことなく「ごめん」とつぶやいた瞬間、ロボット(悪の凡庸)になったということでしょう。
ただし、そうした圧力が一個人からではなく組織全体として覆いかぶさってくると描いていればですが。
この映画、タイトルが「新聞記者」となっていますが、内容は「官僚死す」みたいな話で、新聞記者はほとんど活躍していません。
吉岡はどこへも取材に足を運んでいません。ネットでググっているだけです。情報はすべて官僚からやってきます。
シナリオの問題だと思いますが、吉岡が何を追っているのかがはっきりしません。映画が注目しているのは、新聞記者としてネタを追う吉岡の行動力よりも、新聞記者であった父親が誤報の呵責に耐えかねて(とは違うと思うけど…)自殺しているという無念さの思いです。
冒頭からしばらくは、悪く言えばかなり散漫で映画がつかみきれません。吉岡が自宅で机に向かい何かしているシーン、杉原が内調で徹夜作業しているシーン、テレビ番組の映像、新聞の記事(だったかな?)のアップ、翌朝でしょうか、新聞社のごちゃごちゃシーン、それらが切り返しされて始まっていたと思います。映像も超アップやブレを利用したカットが続き、たとえば新聞記事のアップが出ても読みきれなかったりします。
狙いはわからなくもないのですが、あまり成功しているようには思えません。それに、テレビ(インターネット?)の討論番組を背景に流しているシーンが結構ありましたが、あれは鬱陶しかったです。それも、実在の望月衣塑子氏、前川喜平氏、マーティン・ファクラー氏が現在のメディアのあり方について話しているわけですから、それを映画として描こうとしているんじゃないの? と思ってしまいます。
という導入があり、翌日でしょうか、吉岡は、上司から国家戦略特区疑惑の鍵を握る神崎(高橋和也)からの情報リークのFAXを受け取ります。もちろんここでは誰からかはわかりません。
一方の杉原は、野党議員と大学教授の不倫でっち上げ謀略に関わっています。あれは山尾志桜里さんの話なんでしょうかね? 正直、いろいろなことをごちゃごちゃ詰め込み過ぎで、映画が浅くなっています。
話を戻して、リークしてきた神崎は杉原の元上司、5年前、公文書偽造の責任をとっています。
あれ? これも変じゃないですかね。神崎は、今、国家戦略特区の責任ある立場についているって、どういう責任のとり方だったんでしょう? それに、神崎は外務省出身ですよね、外務省時代に公文書偽造の責任を取らされ、その2,3年後に医学部新設の特区に関わるのはちょっと不自然じゃないんでしょうか?
また話がそれてしまいました(笑)。笑っている場合ではないのです、神崎は久しぶりに杉原を飲みに誘い、その後、官庁街のビルから飛び降り自殺してしまいます。
神崎の葬儀の日、吉岡は杉原と出会います。その後、吉岡は神崎宅を訪ね、送られてきたFAXが神崎のものであることを知り、またそこで細菌兵器に関する本をみつけます。
杉原が吉岡に呼ばれ駆けつけます。そこまで親しくなっているの? という気はしましたが、杉原がすでに自分のやっていることにかなり迷いを感じ始めているということでしょう。
松坂桃李さん、かわいそうなくらい苦悩しっぱなしの役です。もうとっくに自殺しているんじゃないのというくらいです。関係ない話ですが、この映画の前に見た松坂桃李さんの映画は約1年前の「娼年」、セックスシーンだけのびっくりするような映画でした。同じくらいの年齢の男性俳優は結構たくさんいますが、こういう役をやるんだと感心した映画です。
迷い始めた杉原は、吉岡とともに、神崎の残した資料から国家戦略特区事案の裏に何かあると感じ、上司の資料を(写真で)盗み出すことを決断し、それを吉岡に渡します。
国家戦略特区として新設される医学大学で細菌兵器の研究をするという計画で、すでに多額の資金が流れているというものです。
杉原と吉岡、そして吉岡の上司が記事にするかどうかを話し合います。上司がスクープとして記事にしたとしても、政権が誤報だと声明を出したらそれを覆す証拠がないと言います。その時、杉原が自分の実名を出してくれと言い、それに対して、吉岡は、それはだめ、あなたには家族がいるでしょうと止めます。
「君だったら、父親に何と言ってほしいのだ!」
(みたいな台詞を)杉原が声を絞り出すように叫びます。書いていませんが、杉原には子供が生まれたばかりです。父親としてどういう人間であるべきかということと吉岡の父親が自殺していることにかけているということです。
正直、この台詞には、感動して、瞬間涙がこぼれました(笑)。
そして、記事はスクープとして一面トップに掲載されます。対して、内調は、吉岡の父親の過去を持ち出し、記事がその恨みによるものだと手をうち始めます。
吉岡は上司に杉原の実名記事を出しますと宣言、しかし、杉原は多田に懐柔され転向してしまいます。
という映画なんですが、問題は、最後に、見るものが、ああ…とため息をもらすようにできているか、あるいは、そりゃそうだよねと思ってしまうかによって、この映画の存在価値が決まるということではないでしょうか。