ペネロペ・クルス&ハビエル・バルデムは果たしてこれを望んだのか?
これまで「誰もそれを知らなかった」ことを撮ってきたアスガー・ファルハディ監督が、「誰もがそれを知っている」ことを、はたしてこれまで通りの重層的な人間模様として描けるかに挑戦した映画です。
…かどうかはわかりませんが、残念ながら、人間模様は重層とはならず一層、「疑惑や嘘が幾重にも錯綜(公式サイト)」せず、一重の2時間ドラマに終わってしまったという映画です。
ただ、そもそもの企画がペネロペ・クルスとハビエル・バルデムで映画を撮ってくれとオファーを受けたものだとすれば、二人がバランスよく立っていますし、スペインらしさが満喫できる映画だったとは思います。
冒頭の20~30分が映画の山場です。
というのも何ですが、えー、こんな画を撮る監督でしたっけ!? というくらい猛スピードで、ラウラ(ペネロペ・クルス)が妹の結婚式のために故郷の村に戻り、家族や村人に歓迎され、娘イレーネは村の青年とはじけすぎるぐらいにはじけ、もう一方のパコ(ハビエル・バルデム)はぶどう園で妻とともにワイン造りに忙しく働き、あれよあれよという間に、ラウラの家族が紹介され、村中あげての妹アナの結婚式に突入します。
で、その結婚式の最中、イレーネが誘拐されるわけですが、ここまでのシーンはアスガー・ファルハディ監督らしくないつくりで面白かったです。
イラン人のファルハディ監督にはスペインがこう見えているということなのかも知れません。気候が温暖で、人々は陽気で愛想がよくフレンドリー、やたらハグやキスをし、お祭り好き、多くの日本人が持つイメージとも近いようにも思いますが、そんなスペイン(らしさ)が描かれています。
ただ、それではサスペンスになりませんので、いくつかの伏線(的なもの)が織り込まれています。
ファーストシーンの教会の尖塔に閉じ込められた鳩はなんとも不穏なものを感じさせますし、後にそこにイレーネと村の青年が忍び込んできます。ラウラが車の中から見る村人の視線は田舎の親近さであるとともに、みんな知っているよという閉ざされた狭い世界の怖さでもあります。
そうしたつくりはファルハディ監督の得意とするところのはずですが、この映画ではあまり生きていません。映画のオチとなるラウラと姪ロシオとの会話、ロシオが「夫はドイツに行っている、離婚するつもりなの」なんて、その後、まったくロシオに注目するシーンがありませんので、オチが唐突すぎてサスペンスになりません。
この冒頭の2,30分の登場人物の多さに、この先、話が理解できるだろうかと心配になりましたが、それも杞憂に終わり、イレーネが誘拐された後は、本来サスペンス度が上がらなくてはいけないのに、映画は、ラウラとパコの過去の恋愛をめぐるメロドラマと化してしまい、正直、これなら誘拐騒ぎなどなしで、パコの妻ベア、ラウラの夫アレハンドロをいれた四人の大人の愛憎(ちょっと違う)物語にすればよかったのにと思うような展開になります。
俳優のビッグネームが邪魔したんでしょうか、ラウラがお金を出してもらおうとパコにイレーネの出生の秘密を話しに行くシーン、おい、おい、いくらなんでもストレート過ぎるでしょうというつくりで、ファルハディ監督、どうかしちゃたんじゃないのと思いました(笑)。
さらに、パコは、すぐにイレーネが自分の娘だとベアに話してしまいますし、さらに、さらに、それを聞いたベアは、ラウラに対してアレハンドロに言いつけてやるって、子どもの喧嘩のような展開じゃないですか…。
もうひとつおまけに、アレハンドロはそれを知っており、自分はそれによって救われたんだ!と、感動物語風になってしまうなんて!? どうなっちゃってるの?(涙)
とにかく、この映画はペネロペ・クルスとハビエル・バルデムのための映画です。結果として、こんなあからさまで、二人にとってよかったかどうかは甚だ疑問ですが、他の俳優が全部奥へいっちゃってます。特に「瞳の奥の秘密」「しあわせな人生の選択」「人生スイッチ」のリカルド・ダリンさん、俳優としてはしょぼい役がうまく演じられていましたが、ペネロペの引き立て役にされちゃっていました。
物語は、ラウラの娘イレーネが誘拐され、30万ユーロの身代金を要求され、ラウラ夫婦にはお金がなく、実は自分の娘と知らされたパコがぶどう園を売ってお金をつくり、無事イレーネは開放されるという話です。
犯人は、ラウラの姪ロシオがドイツへ行っていると話していた夫で、もちろんロシオも共犯です。
ん? これ、映画ではまったく問題にしていませんでしたが、考えてみれば、ロシオたちは、お金はアレハンドロが出すと考えていたことになりますね。アレハンドロは教会の修復費を寄付したとかで村では金持ちと思われており、今は失業中で破産状態ということは誰も知らないわけですから、すぐにでもラウラがアレハンドロに連絡してお金が取れると計画したと考えられます。
ということは、ロシオたちにしてみれば、次第にお金が取れないのではないかとわかってくるわけですから、それを生かせばもっとサスペンス度は上がりますし、イレーネがパコの娘だと明かされることは予想外の展開というつくりも出来ますし、考えてみれば面白い話になりそうな気がしてきました。
これこそアスガー・ファルハディ監督が撮るべき映画じゃないですか(笑)。
それに、この映画、基本的な設定から間違いを犯していますよね。
原題の「Todos lo saben」、英題の「Everybody Knows」、他の言語でもほぼみな「誰もがそれを知っている」という意味のタイトルで、映画の中でも言われているその意味は、イレーネがパコにそっくりであり、ラウラとパコが恋人関係にあったことから、イレーネはパコの娘だということは村中の誰もが知っているということです。
じゃあ、なぜパコは知らないの?
いずれにしても、シナリオがまずいですね。ペネロペ・クルスとハビエル・バルデムを立てるためにあれこれ力がかかったとかもあるのでしょうか。
エンディングは、ひいき目にみれば、ファルハディ監督のせめてもの自己主張なのかも知れません。
物語はこれから始まるのだと…。