フィリップ

フィリップを演じているエリック・クルム・ジュニアさんがすごい…

映画の紹介文からの刷り込みや画像からの印象を捨てて見ますとこれがなかなかすごい映画なんです。まずは「ナチスの妻たちを次々に誘惑」とか「ナチスへの復讐」という言葉を忘れましょう(笑)。

フィリップ / 監督:ミハウ・クフィェチンスキ

1941年、ワルシャワ・ゲットー…

原作ではフィリップの行為の源は復讐心なのかもしれません。でも、映画から感じられるのはそれだけなく、むしろフィリップの行動は刹那的に見えますし、絶望した人間の死をも恐れぬ強さが感じられます。演じているエリック・クルム・ジュニアさんが見事です。

1941年のポーランド、ワルシャワです。ポーランドは1939年9月に西からはドイツに、東からはソ連に侵略され、10月には両国により完全に分割されています。ドイツに占領されたワルシャワのユダヤ人たちはゲットーという隔離区域に押し込められています。

ポーランド系ユダヤ人のフィリップ(エリック・クルム・ジュニア)もそのひとりです。その日、家族が見守るなか、フィリップは恋人サラと舞台でダンスを披露することになっています。

この冒頭のゲットーシーン、いわゆる強制隔離区域ということから想像するイメージとは異なり活気ある都市空間として描かれています。激しく動くカメラワークと流れるような編集は、この映画が迫害されるユダヤ人という固定化されたイメージをベースにしていないことを示しているのかもしれません(ちょっと穿ち過ぎかも…)。

映画からは離れますが、上のリンクのウィキペディアを読んでみますと、言葉としては適切じゃないかも知れませんがとても面白いです。

なお、以下しばらくは映画の内容とはややかけ離れてしまいましたので、映画の内容だけでいいという方はここをクリックして次項に飛んでください。

ゲットーと聞きますと、どうしても収容所的な画一的イメージを持ってしまいますが、ワルシャワのゲットーは1941年3月時点で人口44万5000人だそうで、これだけの人口を抱えていれば当然自治的な統治機構が必要になります。となれば同じユダヤ人の中にも支配被支配の関係も生まれますし、経済活動も市場原理主義で運営されれば経済格差も生じます。ウィキペディアには、

ワルシャワ・ゲットー内は貧富の差が顕著であった。ゲットー官僚・商人・投資家などが「上流階級」として君臨し、彼らはナイトクラブに通い、高級レストランで食事し、人力車に乗って移動していた。

ワルシャワ・ゲットー

などとあります。もちろん、経済格差というのは必然的に少人数の富裕層と多数の貧困層という構造に帰結していきますので、続けて、

ゲットーは、飢えと不衛生に苦しめられた。ゲットーの食糧配給は一日180カロリー程度しかなかった。そのわずかな配給も平等ではなく、ユダヤ人評議会役人など「有用な仕事に就いている者」が二倍のパン配給を受け、治安関係の仕事に就いている者は更に多い五倍の配給を受けていた。

(同上)

とあります。人間の本質は身勝手なものということでしょうか。やはり、国家だけではなく民族や人種なんてものも共同幻想ということかと思います。

なお、次項に飛ばずにここまで読んでいただいた方は、是非ヴァンゼー会議後の絶滅収容所への移送の項目もお読みください。

そして、2年後のフランクフルト…

映画に戻ります。ワルシャワ・ゲットーでの続きです。

フィリップとサラが舞台で踊っています。突然ドイツ兵が乱入し銃を乱射します。フィリップはちょっとした偶然から直前に舞台袖に引っ込んでいたために自らは災難を逃れることになり、しかし、逆にサラや家族が惨殺されるその姿を目の当たりにしてしまいます。

2年後のフランクフルトです。フィリップはフランス人と偽り、ホテルのウェイターとして働いています。ホテルの従業員は非ドイツ人ばかりです。つまり、1943年頃のヨーロッパはほぼ全域をドイツに支配されている状態ですので、非支配地域の若者たちが労働者としてドイツ国内で働いているということだと思います。逆にドイツの若者たちは招集されて前線に送られているということになります。

映画のつくりはグランド・ホテル形式っぽくなっており、フィリップがホテル内を軽やかに動き回る様子が、ここでも動き回るカメラと流れるような編集で美しく描かれています。

フィリップたち従業員は住み込みということのようで、その部屋はホテルの表の顔とは真逆で薄汚く狹っ苦しく演出されています。また、従業員たちは皆なにがしかホテルのものをくすねたり、また宿泊客の女性と寝たりしています。

フィリップも同室のピエール(ヴィクトール・ムーテレ)とともにプールでドイツ人の女性をナンパして自室に連れ込んだり、プールの更衣室で行為に及ぼうとしたりするシーンがあります。ただ、その一連の行動にはぎらぎらしたという意味では復讐の意図は感じられず、もしその意図があるとするなら、迷いのない行動という形で現れていると考えられ、つまり、女性に声を掛ける行為はナンパということではなく、フィリップの言葉(字幕…)で言えば、ドイツ女性を娼婦にして、そして捨ててやるという見下し感と言いますか、相手を人格ある人間として見ていないことかと思います。

エリック・クルム・ジュニアさんの演技からはその思いが強く感じられます。

ですので、フィリップは、時に相手への侮辱のために自分の素性を利用したりします。つまり、夫が戦場へ行っている女性をプールの更衣室に誘い、お前の夫はもう戻ってこない、そのお前はユダヤ人と寝ている(こうじゃないけどこんな感じ…)と言葉で相手の女性を貶めようとします。

こうした描写からフィリップの虚無感を強く感じることになります。

「次々に誘惑」といっても、シーンとしてはその女性と最初にプールでナンパし、最後に重要な役割(フィリップに恋をする…)として登場するブランカ(ゾーイ・シュトラウプ)の二人だけだったと思います。

リザ、マレーナ、スタシェク、3つの伏線…

そうした日常とともに映画終盤のクライマックスに向けて3つの伏線的な要素が準備されます。

まず、リザ(カロリーネ・ハルティヒ)との出会いです。フィリップはプールでリザに目をつけ声を掛けます。いや、声を掛けるなんてものじゃなく、その様子は強引なのに執着していない強さと言ったらいいのか、相手はその気がなくてもついついはいと言ってしまいそうなオーラのようなものがでているのです。

もちろんこれは映画ですのでそう簡単にはいきません。2度、3度とそうしたシーンがあり、やがてリザが変化していき、それとともにフィリップもまたリザに愛を感じるようになります。カフェで語り合う二人、フィリップはリザを見つめたままリザの言葉も耳に入りません。

後半になりリザの家(家族が出かけている…)で二人は愛し合います。残念ながら、ラブシーンを撮るのがうまくないようであまり美しいシーンではありませんでした。

とにかく、フィリップが二人でパリに逃げようと言い出し、クライマックスに向かいます。この逃避行が映画の主題かと予想しましたがそうではありませんでした。あくまでも主題は虚無です。

伏線のふたつ目はホテルで親衛隊の将校の娘の結婚式が行われることになることです。ある時、ホテルのレストランにポーランド人の女性マレーナがやってきます。マレーナはフィリップをよく知っています。テーブルに付いたマレーナからフィリップが注文を取るシーンはちょっとした緊迫感もあり、さらにそこに親衛隊(じゃなくドイツ軍将校?…)が同席しますので、これは何かが起きるなと予感させます。

同時に、その結婚式と関連してのことだと思いますが、親衛隊が従業員たちを調べ始め、ドイツ人女性と関係を持っていることやホテルのものをくすねていることがばれていきます。フィリップも尋問を受けますがまったく動じることなく突っぱね続けます。引用した画像やチラシでフィリップの顔が傷ついているのはその時の暴行の跡です。

3つ目は、伏線というよりもなぜ今のフィリップがあるかということです。フィリップが労働者たちが働く(これも非ドイツ人…)工場へ行くシーンがあります。この工場のオーナーであるスタシェク(ロベルト・ヴィエツキーヴィッチ)がフィリップをフランス人に仕立て上げたということです。恩人ということなのか関係がはっきりしませんが、フィリップはワインを持ってきています。スタシェクが棚にワインをしまいます。数え切れないほどのワインが並んでいます。

え? ワインが立ててある、と気になったのですが、このスタシェクは最後には自殺します。その時従業員たちがワインを見て酒も飲まないのにと言っていたこととつながっているのかも知れません。

スタシェクの自殺の理由は生きていても仕方がないといった感じで、やはり虚無です。この雰囲気は最初のフィリップとのシーンにも漂っています。スタシェクにどういう過去があるのはわかりませんが、二人共に未来を見ているような印象はなく、特にスタシェクの体にはやるせなさが染み付いているような感じさえしました。

そのスタシェクがフィリップにお前のためにパスポートを用意した、国籍はあけてある、好きなように書けばいいと渡そうとします。フィリップはそっけなくいらないと言います。さらにスタシェクは拳銃を持って行けと言います。フィリップは頑なに拒否します。

そして、クライマックスへ…

親衛隊の検査が厳しくなります。ピエールのロッカーからワインが見つかります。親衛隊はピエールにワインの栓を開けさせ5つ数えるうちに飲み干せと命じます。恐怖にひきつるピエール、飲み干せるわけもなく、ピエールが撃ち殺されます。

フィリップの怒りが沸点に達します。自分はユダヤ人だ! 今すぐ撃ち殺せ! と親衛隊に詰め寄ります。親衛隊はその迫力に気圧され立ち去っていきます。

その後のフィリップの数分に及ぶかという慟哭シーンはすごいです。

そしてクライマックスに向かうわけですが、残念ながらこのあたりからの展開がギクシャクしてうまくいっていません。ここがうまくいっていたらエリック・クルム・ジュニアさんだけではなく映画全体としても評価は高かったんですが残念です。

とにかく、結婚式の前日でしょうか、マレーナがフィリップにフロアが貸し切りになったため部屋を移動しろと言われているがこのままとどまれるよう手配してほしいと頼んできます。

フィリップはリザとパリ行の列車に乗る約束をしています。スタシェクのもとに一旦は断ったパスポートを取りに行きます。スタシェクが自分の頭を拳銃で撃ち抜いています。フィリップはパスポートを手に取り、駅に向かいます。しかし、連合軍の空爆が始まり駅にたどり着けません。

翌日(かな…)、リザと会います。リザは近くまで行ったのにたどり着けなかったと言っています。フィリップは、突然、パリへ行くつもりはない、お前を娼婦にし、そして今こうやって捨てるのが目的だったと言い放ちます。

もちろん本心ではないのですが、あるいはこのシーンの前にこう決断する理由になるシーンがあったのかもしれません。ピエールが殺されるシーンがここだったのか、ドイツ女性と寝た従業員たち3人が絞首刑にされるシーンがあり、あるいはそれだったのか、いずれにしても一旦は芽生えた希望のようなものがフィリップの中で断ち切られたということです。それにしてもリザが可愛そうです。

これまたシーンの順序をはっきり記憶していませんが、ホテルに戻りますと、ブランカが部屋にやってきます。髪が切られています。ドイツ人ではない男と寝たことがバレたということです。男たちは処刑され、ドイツ人女性は純血を汚したということで髪の毛を切られて屈辱を与えられるということです。

ブランカは人恋しげにフィリップにすがろうとします。しかし、フィリップは愛している人がいる(あれ? このシーンもっと前かも…)と言って去っていきます。

親衛隊の将校の娘の結婚式が始まっています。バックヤードにいたフィリップは大きな音を耳にし客室側に出ていきます。マレーナが軍服を着た男(レストランでマレーナと一緒にいた男だと思う…)と走り去っていきます。将校の部屋のドアが開いています。中に入りますと将校が撃ち殺されています。フィリップは落ちていた拳銃を取り、結婚式会場を上から見下ろせる場所に行き、踊り狂うドイツ人たちめがけて銃弾がある限り発砲します。親衛隊の男が倒れ、ドレスを着た女が倒れ、子どもが倒れます。しかし音楽は止むことがなく皆踊り続けています。

フィリップはひとり駅に向かいます。ごった返しています。すでにドイツの敗北が濃厚になっています。軍人がパリ行きはこっち、前線行きはこっちと振り分けています。軍服を着た若者たちが前線行きに向かっていきます。人混みの中、フィリップがパリ行に向かう姿が見えます。

クライマックスからエンディングに向けてがうまくまとめられていればとてもいい映画だったのにと思います。それにしてもエリック・クルム・ジュニアさん、すごいですね。