オールド・フォックス 11歳の選択

よく練られたシナリオだが、やや盛り込み過ぎか…

「ホウ・シャオシェンが製作総指揮を務め、台湾ニューシネマの系譜を受け継ぐ」シャオ・ヤーチュアン監督と日本の公式サイトに紹介されています。2012年に「台北カフェ・ストーリー」という映画が日本でも公開されています。

オールド・フォックス 11歳の選択 / 監督:シャオ・ヤーチュエン

日本人好みのノスタルジック台湾…

1989年の台湾の物語です。1949年に布かれた戒厳令が解除されたのが1987年ですのでその2年後の話です。ただ、そうした政治的な情勢は映画には出てこず、社会的背景としては株価が上昇した後に一転して下落したことが人々の生活に影響してきます。

ロケーションは台北の郊外となっています。その地域の狭い範囲の人間関係が描かれていく映画です。台湾映画らしいノスタルジックな雰囲気が心地よい(日本人には?…)映画で、なんと! 門脇麦さんが台湾人の役で出ていました。さほど台詞はありませんが、あれ、多分吹き替えですね。まったく違和感がなかったです。

内容としては市井の人々の人情噺っぽい感じで、それを11歳の少年リャオジエ(バイ・ルンイン)を軸に描いていきます。

このバイ・ルンインくんは「MR.LONG ミスター・ロン」に出ていた少年らしく、あらためて予告編を見てみましたら確かにそうでした。この映画の監督はSUBUさんで、変な(笑)映画でしたので映画自体はよく覚えています。

リャオジエの父親リャオタイライを演じていたのはリウ・グァンティンさん、「1秒先の彼女」では主演でしたのではっきり記憶していますが、「無聲 The Silent Forest」にも教師役で出ていたようです。

そして、この映画のプロデューサーとなっているホウ・シャオシェンさん、昨年2023年10月にアルツハイマー病を患ったということで引退を発表していますので、これが最後に関わった映画ということになるのかもしれません。

よく練られたシナリオなのだが…

この映画、シナリオがかなり練られています。伏線ということではないのですが、いろいろな要素が全体に散りばめられており、それが最後にはすべて回収されていくという映画です。

11歳のリャオジエは父リャオタイライと長屋風の商店街のアパートの2階で暮らしています。1階には麺屋を営む夫婦が暮らしています。シャッター通りにも見えますが、エキストラをまったく使っていない映画ですので、郊外都市の寂れた感じを出そうとしているのか、貧しい地域の演出なのかはよくわかりません。

雨のシーンがとても多く、濡れた路面のカットが何度も入っていました。それに夜のシーンも多かったです。叙情的、感傷的な映画にしようとしているのかも知れません。

親子の夢は亡き妻であり母の夢であった理髪店を開くことです。前半はその親子の生活を描くことが主になっています。

リャオタイライは大きな、そしてよく繁盛しているレストランのホール係として働いています。堅実な考えを持っており、店の料理を持ち帰ったり(公認のよう…)、ガス代を節約したり、縫製の内職をしたりして資金を貯めようとしています。レストランのスタッフもみな優しいです。リャオジエは学校帰りに厨房で勉強するのが日常らしく、リャオジエに食べ物を与えたりしています。

リャオタイライがミシンを使ってリャオジエのスーツを手作りしていましたのでちょっと変わった人物像だなあと見ていたんですが、縫製の内職をしているからでした。スーツはリャオタイライの弟の結婚式のためのものでした。また、リャオタイライが髪のカットを練習するシーンも入れていました。

こんな感じでほんとに隙のないシナリオになっています。

台詞にもかなり気が使われている印象(字幕なのであくまでも印象…)です。前半にあるリャオジエが同級生たちにチクリ屋といじめられる台詞もそうです。その意味がわかるのはかなり後です。そうした台詞の作り込みは映画中盤に登場する「老狐狸 Old Fox」であるシャ(アキオ・チェン)の台詞が典型的で、みな意味ありげな台詞ばかりです。

前半に登場する人物としては、シャのもとで働くリン(ユージェニー・リウ)、リンはシャが所有している長屋に暮らすリャオタイライや麺屋の夫婦の家賃の集金に回っています。リンは日本のバブル期のボデコンスタイルでした。

麺屋の夫婦に株の投資を持ちかける中佐(だったか?…)と呼ばれる男がいます。麺屋に大金を持って現れるシーンがあり、夫婦が倍になったと大喜びです。

意味不明な門脇麦さんのキャスティング…

と、ここまではいいのですが、門脇麦さん演じるヤンジュンメイという人物の存在がなにゆえ? という気がします。

ヤンジュンメイがレストランにやってきます。リャオタイライがはっとした表情を見せます。ヤンジュンメイはその後も何度も店にやってきては食べ切れない料理を頼み残したまま帰っていきます。どうやらリャオタイライに持ち帰らせるためのようです。また、その後、2、3シーン、学生時代のヤンジュンメイとリャオタイライのフラッシュバックが入ります。つまり、二人は将来を約束し合った仲だったのに今のヤンジュンメイは裕福な男と結婚しているということのようです。

この二人の最後のシーンは雨の路上でのキスシーンでした。

まったくもっておさまりの悪い設定です。ましてや門脇麦さんが演じているのは台湾人の役です。日本人の役ならまだしも、この人物を演じる俳優なら台湾にもいるでしょう。

私は日本向けのPR戦略だと勘ぐっています。仮にそうだとして、そのこと自体は否定しませんが、もう少しおさまりのいい方法を考えるべきだと思います。誰の発案かはわかりませんが、シナリオの流れから想像しますと、これは後付ですね。

老狐狸 Old Fox の処世訓…

映画中盤になりますと、貧しかった子供時代から資産家にのし上がってきたシャが登場します。この人物の登場で映画が締まってきます。

善き人ばかりのところに狡猾な裏のある人物が登場し、やっと映画の軸が見え始めたということです。

シャはこのあたりの土地や建物を所有しているようです。また、ごみ処理の事業(よくわからないが…)もやっているようです。高価な車を数台もっており、通常は運転手付きでリャオタイライの店に出入りしたり、麺屋で食べたりしています。

シャが雨宿りをしているリャオジエに近づきます。車に乗せたり、家に入れたりして、処世訓を授けます(ちょっと大層か…)。ただこの処世訓がなかなか複雑な上に含みがある言葉で、その場ではよくわからなくても、後にリャオジエがそれを実践することで意味が生まれるというつくりになっているのです。

アキオ・チェンさんという俳優さんもとてもいいです。単なる悪人ではない感じがよく出ています。車の窓の開け閉めを使ったり、ゴミ集積場でのシーンなど、シャオ・ヤーチュエン監督の映像演出もうまいです。

そもそもなぜシャがリャオジエに近づいたかといいますと、自分に似ているからだといいます。リャオジエにのし上がっていく能力を見ているということです。シャはリャオジエに、お前の父親は他人を思いやる人間だ、そうした人間は自分のような社会的強者にはなれない、強くなりたければ自分のような強い人間と一緒にいろと言います。

自分の車に乗せたリャオジエをいじめっ子たちに見せるシーンとか、その一人の母親が自分の経営する工場から物を盗んでいることをジャオジエに話すこととか、悲しい時は(違うねえ、なんだったか忘れた…)氷水を飲んで自分とは関係ないと思えとか、リャオジエがチクリ屋とからかわれていたリャオタイライのフラッシュバックシーンとか、リンがシャを裏切った(わけではないが話がややこしすぎる…)ような話とか、このシャにまつわる話は単にこの映画を人情噺ではない深いものにしています。

ああそう言えば、シャには息子がいたが、シャの生き方を嫌って海外へ行き、そこで亡くなったという話も盛り込んでいました。余計なことですがなくてもいいと思います(笑)。

株価が暴落し、土地が倍になります(そんなことあるのかな…)。お金を借りて計画を早めようとしていたリャオタイライでしたができなくなります。そんな時、株で全財産を失った麺屋の夫が自殺します。リャオジエはシャにその店を安く売ってよと頼み、シャは受け入れます。

シャが麺屋に行き、妻や息子たちに立ち退きを迫りますと、その息子が店を買いたいと申し出ます。シャが事故物件にして安く買うつもりだったのか!と怒りますと、息子は、いや元の値段で買うと言います。シャは、もう遅い、〇〇元の大損だとつぶやきます。

後日、シャはリャオタイライにリャオジエに約束したとおり店を売ると言います(台詞は聞こえないので多分…)。リャオタイライの「譲ってください」の声が聞こえます。シャは「君は思ったとおりの人間だ」と褒め称えるように笑顔を浮かべて言います。

2021年(だったと思う…)、建築家として成功したリャオジエが小綺麗な事務所からオンライン通話で顧客に設計の説明をしています。やり取りの内容はうまくつかめませんでしたが、意味合いとしては、リャオジエが自分には関係ない、知ったことかと高く売りつけたということのようです。

2021年のシーンの意味はよくわからない…

ただ、悪徳的な印象は残らず終わっていましたので、どういう意図を持ってこのエンディングにしているかはよくわかりません。シャという人物もそうですが、人を踏みつけにしてのし上がっているというところを見せていませんので、シャオ・ヤーチェエン監督にどういう意図があるのかは曖昧なままという映画です。