フランケンシュタイン

ギレルモ・デル・トロ版「フランケンシュタイン」は父子の物語だった…

フランケンシュタインの話というのは、メアリー・シェリー著『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』という大もとの小説があるのですが、その派生物たるや映画だけではなく小説、演劇、ミュージカル、漫画、アニメなどあらゆる創作物に渡っています。それだけ創作意欲を刺激する何かがあるのでしょう。

フランケンシュタイン / 監督:ギレルモ・デル・トロ

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ネタバレあらすじ

ギレルモ・デル・トロ監督はインタビューで次のように語っています。

7歳のときです。日曜日のミサから家に戻り一日中ホラー映画を見ていたそうです。その時初めて「フランケンシュタイン」を目にし、ポリス・カーロフ(フランケンシュタイン役の俳優)が敷居をまたいた瞬間、啓示を受け、日曜のミサよりも「フランケンシュタイン」を通して自分の信仰と教義を理解できたと感じ、そして、7歳にしてフランケンシュタインという怪物を自分のアバターであり救世主とすることにしたそうです。

And it was the first time I saw “Frankenstein.” And the moment Boris Karloff crossed the threshold, I have an epiphany.
I realized I understood my faith or my dogmas better through “Frankenstein” than through Sunday Mass.
And I decided at age 7 that the creature of Frankenstein was going to be my personal avatar and my personal messiah.
https://www.npr.org/transcripts/nx-s1-5577963から抜粋)

デル・トロ監督が見たのは1931年のこの映画ですね。

というデル・トロ監督の強い思いのつまった「フランケンシュタイン」、どんな映画になっているのでしょう。

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ヴィクター・フランケンシュタイン

前半は怪物を作るヴィクターの視点、後半は怪物の視点と分かれています。先に書いておきますと、怪物視点の後半はおもしろいのですが、前半はかなり冗長でどこかポイントが定まっていない感じがします。

まずプロローグとして、北極海で氷に閉じ込められた大型帆船のシーンから始まります。乗組員たちが懸命に氷を砕き脱出を試みています。遠くで爆発音が聞こえ、その場に向かいますと男が倒れています。男は重傷を負い、片足は義足です。男を船に連れ帰りますとその後を怪物が追ってきます。怪物は銃で撃っても、なんとか銃と言っていましたが、三連軽量ロケットランチャーみたいな強力銃で撃っても死にません。船長は怪獣が立っている氷を強力銃で打ち砕きます。怪獣は海に沈んでいきます。

助けられた男はヴィクター・フランケンシュタイン(オスカー・アイザック)と名乗り、自らの過去と怪物の正体を語り始めます。

幼いヴィクターは母を愛し、威圧的な父を恐れ憎んでいます。母は弟ウィリアムを出産中に亡くなります。ヴィクターは医師である父が母を助けなかったとさらに憎しみをつのらせていきます。

ヴィクターは成人し、外科医となり、死体を蘇生させる研究をしています。教授陣(かな…)の前でその成果を発表するも神を恐れぬ行為であることから不興を買い解雇されます。

しかしその研究に興味を示す人物が現れます。弟ウィリアムの婚約者エリザベス(ミア・ゴス)の父親で武器商人のハーランダーです。ハーランダーは実験の場として廃墟となった塔を提供し資金援助を申し出ます。ヴィクターは塔を実験室に改造し、処刑された犯罪者の死体や戦場で戦死した死体を集めてつぎはぎの人造人間をつくります。しかし、その創造物を蘇生させるにはリンパ系から心臓や脳に電流を流す必要があります。

と、ここまで1/3くらい、幼い頃の思いや記憶が後の怪物創造につながっているとしたいようにも感じられますが、それもはっきりしていません。その後の実験パートにしても冗長かつ中途半端です。塔の改造や死体集めのダークファンタジー的ヴィジュアルを見せたかったんだと思いますがインパクト薄めです。

物語的にはヴィクターがエリザベスに好意を持ち、またエリザベスにもなにか心の動くものがあるような描き方がされています。しかし、エリザベスはヴィクターの求愛を拒みます。

このエリザベスは後に怪物に何らかの感情をもって近づいていく人物ですので物語的には重要だとは思いますが、結果としてやはり中途半端でうまくおさめられない人物で終わっています。

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傲慢なヴィクター

嵐の日、ヴィクターは落雷のエネルギーを利用しようと塔の先端に登り避雷針を取り付けて嵐の到来を待ち受けます。その時、パトロンのハーランダーは自らが梅毒で体中が冒されていると告白し、自分の脳を人造人間に移植して欲しいと懇願します。ヴィクターは脳も冒されているからと拒否し、揉み合ううちにハーランダーは転落死します。

この梅毒の話も唐突です。それにここで争って死なせるにしてはハーランダーの存在の描写がなさ過ぎます。

とにかく、落雷により人造人間は蘇生します。その創造物(以降、怪物…)は強靭な肉体を持ち、肉体の損傷は即座に自然治癒してしまいます。ヴィクターは怪物(ジェイコブ・エロルディ)を鎖につなぎ、言葉を教えようとします。しかし、一向に知能が発達しない怪物にヴィクターは苛立っていきます。

ウィリアムとエリザベスが訪ねてきます。エリザベスは怪物を発見し、恐れることなく近づき、自分の名前エリザベスを教えます。ウィリアムはハーランダーがいないことを不審に思い、ヴィクターを問いただします。ヴィクターは怪物が殺したと嘘をつき、二人を塔から去るよう仕向けます。

知性を持たない怪物の凶暴さを恐れたヴィクターは塔もろとも消し去ろうと塔を爆破し、その際、自らも片足を失います。

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死ねない怪物

ここから怪物視点に変わります。

怪物は鎖を切り、塔から脱出します。森をさまよい、狩人たちに追われ、農場の小屋に隠れます。その農場は狩人の家族のものですが、その家には盲目の老人と孫娘がいます。怪物は秘かに老人が孫に教える言葉を聞いて覚えていきます。そして老人たちが苦労して薪(だったか…)を集めているの見て、夜、秘かに家の前に集めたりと手助けします。孫娘は森の精霊がやってきたと大喜びです。

怪物はそうやって少しずつ言葉を覚えていきます。やがて季節は冬になり、狩人たちはここに残るという老人を残して出掛けていきます。怪物は老人の前に姿を現します。老人は怪物に読み書きを教え、これを読みなさいと聖書やミルトンの『失楽園』を与えます。

怪物は自分は一体何者なのかと自問し、廃墟となった塔に向かいます。怪物はついに自らの誕生の秘密と創造主たるヴィクターの存在を理解します。

怪物が老人のもとに戻りますと農家が狼の集団に襲われています。怪物は狼を追い払い、瀕死の老人を介抱しようとしますが、その時戻ってきた狩人たちに銃を向けられ撃たれます。しかし、怪物は撃たれても撃たれても即座に立ち上がります。死ねないのです。

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怪物の孤独

その頃、ウィリアムとエリザベスの結婚式が執り行われています。その場にやってきた怪物はヴィクターに死ねないことの苦しみを訴え、それならば自分の伴侶となるもう一体の怪物を作って欲しいと懇願します。ヴィクターは拒否します。怪物はヴィクターに襲いかかりますが、その時エリザベスが間に入り、ヴィクターの発砲した銃で撃たれてしまいます。怪物はエリザベスを抱いて去っていきます。

怪物を追って北極圏にたどり着いたヴィクターはダイナマイトで怪物を無きものにしようとしますが叶いません。怪物はどんなに傷ついても死ぬことはできず蘇るのです。

そして、プロローグに繋がります。

怪物が海から氷上に上がり船に迫ってきます。事情を知った船長は怪物への攻撃をやめ、船に上げます。怪物はヴィクターに死ねない苦しさを訴え、自らの永遠の命を呪い、せめてもの伴侶を求めます。しかし、ヴィクターは受け入れず、自らの残酷さを詫び、その日を生きろ(だったような…)と言い残して息を引き取ってしまいます。

怪物は船を下り、氷に閉じ込められた船をその怪力で氷から押し出します。怪物は故郷へと帰っていく船を見送り、昇り始めた太陽に向かい、孤独を受け入れるかのように自らを抱きしめるのです。

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感想、考察:ヴィクターと怪物は父子の関係

ヴァンパイアもののテーマのひとつに永遠に生きることの孤独といったものがありますが、それをフランケシュタインに持ち込んだということでしょう。

ですので、後半の怪物視点のパートは面白く見られますが、前半のヴィクターにはフランケンシュタインもののテーマに成り得る、神に近づこうとする背徳性や生命をつくろうとする非倫理性といったいわゆる人間の傲慢さが欠けているために面白くないんだと思います。

ヴィジュアルでは怪物をイエスが十字架にかけられる姿に模したシーンはありましたが、ヴィクターの傲慢さが人間的な傲慢さにとどまっています。やはり、創造主たらんとする超越的な傲慢さがないと映画にテーマ性が感じられなくなります。

最初に引用したインタビューの中で、デル・トロ監督は「私はビクターの傲慢さをある意味でテックブラザーズに似たものにしたかったのです(I did want to have the arrogance of Victor be similar in some ways to the tech bros.)」と言っています。テックブラザーズってのは IT業界で働く男たちのことです。なるほどね(笑)、そりゃこうなりますね。

え? 同じ話の流れの中で、デル・トロ監督がヴィクターと怪物の関係を父と子の関係だと言っています。だからこそ共感を呼ぶし、ラストシーンで深く感動できると。

そういうことですか。インタビューでは、ヴィクターの父親にデル・トロ監督自身の父親像が反映されているとも言っていますので、結局この映画はデル・トロ監督の父子物語ということになりますね。

実は、デル・トロ監督の父親は1997年にグアダラハラで誘拐され100万ドルの身代金を払って72日後に解放されているんですよね。デル・トロ監督、33歳くらいのときです。これについてもインタビューで語っています。

ところで、このフランケンシュタインの話というのは誰もが知っているような話ですが、その作者であるメアリー・シェリーについてはあまり知られていないと思います。メアリー・シェリーを描いた映画があります。

エル・ファニングさんがメアリーを演じておりなかなかいい映画でした。当然ながら『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス(Frankenstein: or The Modern Prometheus)』が生まれる件も描かれています。メアリー・シェリー、18歳なんですよね。

時代が時代ですので女性の名前で出版することはできずに第一版は夫の序文をつけて匿名で出版されています。夫パーシー・シェリーも作家です。第一版が評判になったらしく第二版からはメアリーの名前で出版されています。