カーテンコールの灯

プロットがあまいですし、シャロンの悲しみや相手の女の子のこころのケアは?と思います…

セイント・フランシス」でシナリオを書き、主役のブリジットを演じていたケリー・オサリヴァンさんと、その映画の監督のアレックス・トンプソンさんが二人で監督をしたという映画です。この映画でもケリー・オサリヴァンさんがシナリオを書いています。二人はプライベートでもパートナーとのことです。

カーテンコールの灯 / 監督:ケリー・オサリヴァン、アレックス・トンプソン

母親の悲しみはどこへいってしまった?…

もうこういう映画は素直には見られなくなってしまいました(笑)。

息子を心中による自死で失くした父親ダンの喪失感が主題の映画なんですが、とにかく最初から最後まで父親だけが苦しんでいるように描かれています。母親シャロンの悲しみはどうなってるの? と思いますけどね。

ダンがシャロンの悲しみに気づくシーンさえありません。シャロンが自死の場所と思われる庭を花壇にしようとするシーンがあります。その時でさえシャロンの心情を描くことなく、ダンにやめろ!と怒らせているだけです。そんな仕打ちを受ける(映画の展開の話…)シャロンですが、それでも映画終盤には、健気にもダンのために演劇の発表の場を手配する(教師なのかな…)という良妻ぶりを演じさせられています。

完全なる家父長制家族ですね。多分これはシナリオを書いているケリー・オサリヴァンさんの価値観でしょう。

実は「セイント・フランシス」でも同じことを感じて書いています。その映画は、ある種のタブー破りの映画で、生理、中絶、産後うつといったことをかなり生々しく具体的に描いており、その点では評価できるのですが、一方でレズビアンカップルを家父長制家族のように描いたりしています。その時はステレオタイプな設定を使ってドラマを作ってるなあと思った程度ですが、この「カーテンコールの灯」を見ますと単に構成上のことではなく、本人も気づいていない内面化した価値観じゃないかと思います。

まあ、他人の価値観をどうこういっても始まりませんが、映画として世に出しているわけですから他人のこととはいえ気にはなります。

ジュリエットの死に重なる息子の死…

ダン(キース・カプフェラー)は道路工事作業員です。その作業中、どことなく身が入っていないようには見えるのですが、それがなぜなのかわかるのはかなり後になってからです。

妻のシャロン(タラ・マレン)ともども娘の学校に呼び出されます。高校生くらいの娘デイジー(キャサリン・マレン・カプフェラー)が教師を突き飛ばしたということで退学の可能性があると言われます。

結局、セラピーを受ける条件で2週間の停学におさまるのですが、このデイジーの素行の悪さ(校長が今回だけではないと言っていた…)や頻繁に汚い言葉を使うことが単にデイジー本人の問題にしか見えないように描かれています。それもダンの悩みのひとつということなのか、あるいは兄の死が影響しているのかははっきりしません。

ある日、ダンは作業中にその場を通行しようとした車とトラブルになります。それを見ていたひとりの女性が自分たちの演劇サークルに加わらないかと話しかけてきます。仕事中にいいの?とは思いますが(笑)、なんとなく勢いに押されたのか加わることになります。その演劇サークルは「ロミオとジュリエット」を上演しようとしています。

ということで、この後はこの演劇サークルでのダンを描くことを軸にして、デイジーのセラピーや何か訴訟を抱えているらしく弁護士とのシーンなどが入り、徐々にダンはつい最近息子を失っていること、それが心中であること、そして相手の女の子は生きていることやその相手の家族を訴えていることが明らかになっていきます。

演劇サークルではロミオ役の青年がジュリエット役の女性に年を取りすぎていると言い出してあれこれあり、ダンがロミオを演じることになります。しかし、ジュリエットが横たわりロミオが毒薬を飲むシーンでは息子を失った思いが湧き上がって芝居を続けることができません。

息子の死の詳細を明かしたのはこの時でしたね。皆の前で話したことから胸のつかえが取れたのか、この後は演劇サークルに居場所を見つけたような流れになっていきます。

ある時、稽古が終わってジュリエット役の女性と別れのハグをしているところをシャロンとデイジーに目撃されます。これはその後事情を知ったデイジーを仲間に入れるための仕込みであって、咎めるシャロンのシーンはデイジーが説明することであっさり片付けています。

ダンの証言で明らかになる息子の死…

普通なら、私の悲しみやつらさを気に掛けることもなく勝手にしたら!(笑)なんですが、シャロンはやさしいと言いますか、そういう役回りの存在でしかなく、発表する場がないと聞き学校の体育館を使えるように手配します。

そして「ロミオとジュリエット」の発表会となるのですが、その前に息子の心中相手である女の子の家族への訴訟に関しての Deposition(証言録取)というシーンがあります。

シーンとしては、お互いの家族が向き合って座っており、相手の弁護士がカメラを回してダンの証言を取るという画づらになっています。日本にはない裁判手続きのようで、裁判の前にお互いの証拠開示(ディスカバリー)をする手続きらしく、その一環として原告側の証言を取るということなんだろうと思います。裁判官が同席するわけではなく法廷外で弁護士が行うもののようです。

そこには、心ならずも心中未遂となってしまった相手の女の子も同席しているんです。えーーー?! こころのケアは大丈夫? と思いますけどね。実際にこういうケースがあるんでしょうか。

とにかく、ことの経緯はこういうことのようです。息子とその女の子は好き同士であり、その女の子の家族がどこか遠くへ引っ越すことになり、息子が自分も一緒にその地へ行きたいと言い出し、それをダンが許さなかったために、ある夜のこと、ふたりは女の子の母親の睡眠導入剤のような薬を大量に摂取し心中を図ったということです。

翌朝、ダンはふたりを発見して蘇生を行い、女の子は息を吹き返したものの息子は助からなかったと語ります。そして最後に、君(女の子のこと…)は悪くないと言い、訴訟自体が成立しなくなります。

かなり曖昧な設定です。心中という設定も、それも家の庭でということも、訴えているのは相手の母親の薬の管理不十分なのにこれで訴訟不成立も変です。

それにしても、こういうシーンでシャロンや相手の女の子を描かないということにすごい違和感を感じます。なぜ父親をそんなにヒーローにするのかということです。ああ、それに近いことをシャロンに言わせていましたね。

とにかく、ということで「ロミオとジュリエット」の発表会も大成功に終わり、それを見たシャロンに涙させていました。

そしてダン家族は安らぎを得るのでした。

ああ、本当に素直に見られなくなっている(笑涙)。