人は死を覚悟してしか自由になれない、という皮肉
ジョニー・デップさん、もう長らく(私は)新作のプロモーションかスキャンダルネタでしか目にしなくなっており、映画は「スウィーニー・トッド(2007)」か「パブリック・エネミーズ(2009)」以来かと思います。
もともと二枚目タイプじゃありませんしコミカルな雰囲気もある俳優さんですのでこういう役柄はよくあいます。キャラものじゃないジョニデが見られます、という映画でした。
余命半年とがん宣告された男が多少ハメを外しながらも素直に受け入れ静かに去っていきます。もちろん映画ですからいろいろありはしますが、これといって何かが起きるわけでもなく、また死を前にした悲しみや嘆きに焦点をあてていませんので涙を求められることもなく、ふむふむといった感じで楽に見終えられます。
逆に言えば映画としてあまり残るものはなく、ただジョニー・デップさんの映画を見たという感じです。
監督のウェイン・ロバーツさんはこの映画が「Katie Says Goodbye」に続く2作とのことです。主演がジョニー・デップさんにプロデューサーがグレッグ・シャピロさんということですので抜擢ということなのかも知れません。1983年生まれの37歳くらいと思われます。
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で、「グッバイ、リチャード!」です。
大学教授のリチャード(ジョニー・デップ)が初っ端から余命半年宣告を受けます。続いて八つ当たりのFワード連発が何カットかあり、ついには腹立ち紛れにスーツ姿のまま学校内の池に入ってストレスを発散、それ以降リチャードの苦悩や迷いが直接的に描かれるシーンはありません。癌で余命半年を言い渡され残りの人生をどうするかという話です。
公式サイトなどには「ありのままを生きる」とか「人生の愛おしさを見つける」とか「人生を自分のために謳歌する」とか、何かリチャードが一歩踏み出すような表現が使われており、私も何となくそんな言葉を思い浮かべていたんですが、よーく考えてみますと違いますね。
ひとことで言いますと、リチャードは(この世のことが)何もかも嫌になって放り投げただけです。自由になるという意味ですので批判ではありません。
もちろん映画ですからそれをファンタジーとして描いているわけですが、まず家族、余命宣告され、告白しようとしたその日、逆に娘と妻から衝撃の告白をされてしまいます。リチャードが話したいことがあると言い出しますと、娘がいきなり自分はレズビアンだと告白し、リチャードはそれはよかったくらいに返しますが、妻の方がいっときの迷いよと強く否定しようとしますので、娘が自分のことは自分が一番わかっていると言い合いになり席を立ってしまいます。妻は口論の興奮の余勢をかってか、突然私にも言いたいことがある、あなたの学校の学長と浮気をしていると言い放ちます。
死期を告白すれば妻も娘も泣きながら死なないでとすがってくれる姿をイメージしていたのにこの有様です。こんな家族のことなどどうでもよくなりますわね。
結局、妻も娘も特別な存在ではなくなり、最後までリチャードの死期を知らされることはありません。
次に学生たち、30名くらいの学生を前にした講義、リチャードにはほとんどの学生たちがただ単に単位のためにここにいることがわかっているのです。何もしなくてもC(単位)をやるからそれでいいやつはここから出て行け、スウェットパンツで来ているやつは出ていけ(これは意味がわからん)など他にもいくつか出ていけ条件をつけていましたが忘れました。
これ、映画ですから数人は残りますが、リチャードにしてみれば気持ちはみんな出ていけということだと思います。
残った数人には「白鯨」を読んで皆の前で発表する課題を与えていましたが、その発表シーンもリチャードにやる気があるようにはみえませんし、学生たちになにか伝えようとしてはいません。「自分に忠実に生きろ」とか「チャンスをつかめ」とか言っていましたが、それって普通すぎるでしょう(笑)。
映画的にも、ジョニー・デップさんを立てることに力が注がれていますので学生たちに生気がありません。言われるがままそこにいるだけのようにみえます。
バーの女性(従業員?)とトイレでやったり、マリファナを吸ったり、ゲイの学生とやったりすることがまさかありのままを生きたり、人生を謳歌することではないでしょう(笑)。まあ映画的色付けでしょう。
と考えてみれば、実はリチャードが自らの意志で始めたことは何もないのです。家族を捨て、職を捨て、つまりこれまで大切だと思ってきたことをすべて捨てているだけです。
死期が近いことを告白するふたりがいますがいますが、どちらもリチャードに影響を与えていません。教授仲間の友人は研究休暇をとってもらうためともいえますし、学長の姪は酔っ払ってのことです。一番の目的はどちらも物語の色付けでしょう。
そしてラスト、リチャードは学長主催の打ち上げ会(のような場)で「私はもうすぐ死ぬ」と告白します。妻は初めてそれを知りますがさほど驚くこともなく、じゃあね(みたいにあっさりした台詞)と別れます。
この映画がコメディでありファンタジーであることの証明のようなシーンです。
ひとり車を走らせるリチャード、大笑いしています。カメラが俯瞰になり、車がT字路に差し掛かります。車は暗闇の中、T字路を真っ直ぐに突き進んでいきます。
人は死を覚悟してしか自由になれないという悲しい物語です。
リチャードは学生たちに「チャンスは一度しかない、しっかりつかんで離すな」と言い残していきますが、リチャードが生きてきた社会は狭い世界とは言えども成功した者たちの世界です。リチャード自身大学教授であり妻はアーチストで、どちらも日々の生活のことなど気にする必要もないくらい裕福です。
つまり、リチャードは一度しかないチャンスをつかんだ人間です。なのに死を前にして、そんなものに何の意味があるのだとすべて捨て去ってしまう、「The Professor」はそういう何とも皮肉の効いた映画だということです。