人の生きざまは俗なものと裏腹の無常なり
これ、面白いですね。
チャン・リュル監督、知りませんでした。1962年生まれの中国籍の朝鮮族で、経歴は公式サイトの Director に詳しいです。アジアフォーカスや東京では上映されているようです。
一見、ホン・サンス監督を思わせるところもありますが、比べたら失礼なくらいこちらは上品です(笑)。
この映画、なにか起きそうなんですが、なにも起きません。いや、いろいろことは起きるんですが、主演のふたり、ヒョン(パク・ヘイル)とユニ(シン・ミナ)にはなにも起きません。ことが起きるのは周りの人間たちです。
画もフィックスが多くあまり動きもありません。それぞれのカットの間合いも長いです。なのにじっと見ていられます。カメラ位置がいいんでしょうか、どのカットも美しいです。
慶州(キョンジュ)という町もいいところです。ラスト近くの深夜の古墳のシーンもいいんですが、町の風景にも興味をそそられます。ユニが経営する茶屋もいいですね。
で、この映画、一体何なんだろうと考えてみますと、物語自体は、ヒョンとユニにしても、周りで起きることにしても、全て男女の色恋沙汰(ちょっと違うか…)で、語られることにしても下世話(これもちょっと違うか…)な話なんですが、ヒョンとユニにその実在感がないといいますか、ああ人間くささですね、人間くささがなくふわふわしているんです。
その感覚が新鮮で面白いです。
最初のシーン、先輩の葬式に大邱(テグ)に行った際に友人から聞かされる下世話な話、友人は先輩の死は年の若い妻のせいだ、妻は浮気をしていたと言います。あの友人、意図的にかなり下品に描かれています。なのにヒョンは、何ていうんでしょう、聞き流しているわけでもなく、嫌な感じを抱いてるわけでもなく、聞いてはいるのにそこにはいなく違うところにいるような存在感なんです。
その後ヒョンは、7年前に先輩とその友人と三人で行ったキョンジュへ向かいます。何が目的かと言いますと、その時茶屋で見た春画のことが気になっているからです。
普通、7年前の春画のことなんて覚えていないですわね(笑)。
さらにヒョンは昔つきあっていた後輩の女性をソウルから呼び出します。なにー!? ですよね。当然ヒョンはその女性と寝ることを考えているわけでしょう。そういうことをこのヒョンは飄々とやっていくんです。
その女性がやってきます。しかし、2時間しかないと言います。ヒョンはそれとわかってきたはずと思っていますから、普通なら、えー、何で? と言っちゃいそうですが(笑)、何も言いません。代わりに、その女性から思わぬことを聞かされます。あの時、先輩はひどいことをしましたね。私、子供ができたんです。女性はわざわざそれを言いにやってきたということです。そのまま女性は帰ってしまいます。
ヒョンの表情は変わりません。
映画の流れとは前後しますが、ヒョンは茶屋を訪ねます。オーナーのユニと出会います。
春画はありません。壁紙で隠したとか言っていたと思いますが、おそらく、この春画のもつ意味は、目に見えるものとしては描いていないがこの物語のベースにはずっと男女の交わり(セックス)というものがあるんだよということ、それを観客に意識させておくためじゃないかと思います。
それはともかく、この茶屋のシーンのユニ、佇まいが美しいです。ヒョンはやられちゃっていますし、そのように見せています。
茶屋のシーンは2度あります。2度めはかなりくつろいでいます。雨が降り始め、出してあった干し物(何だろう?)をユニが軒先にしまい、室内に入ってきますと、ヒョンがタオルを差し出します。雨がやみますと、今度はヒョンがその干し物を外に出します。庭でヒョンが写真を撮ろうとしますと、ユニは自分が写らないようにヒョンの後ろに背中合わせに立ちふたりでぐるりと一周します。パノラマ写真です。
このシーンで、映画的にはこのふたり、きっとなるようになるんだろうと思わせています。
それに、このシーンで、あるいはユニは幽霊なのかなとも思いましたが、これははっきりしないですね。最初の茶屋のシーンで、ヒョンが茶屋の外景を撮った際に、わざわざスマホのアップを見せていましたが、あれはユニが写っていないことを見せようとしたようにも思います。よくわかりません。
その後、ユニの友人たちと飲みに行くことになります。ユニの女友達、フローリストの男性、地元の男性大学教授、そして警察官の男性です。大学教授は最初ヒョンを無視していますが、北京大学の教授と知るやとたんにあの著名なヒョン教授かと擦り寄り、後には北京大学への口利きを依頼したりします。もちろん、ヒョンはあっさり断っています。
下世話です。それに、ユニと女友達と警察官は三角関係ですね。
二次会のカラオケ後、大学教授とフローリストと女友達が帰ります。警察官はユニとヒョンの気配を感じ帰ろうとしません。三人で古墳へいきます。古墳の上に転がり、あれこれ(映画的に)思わせぶりな台詞があります。そして、警察官は帰ります。
ユニのアパートメント、入ってというユニに、ほんとにいいのかなと白々しいことをいうヒョン、こうなると思っていたというユニ、ところがそうはなりません。ユニがヒョンに耳を見せてと耳に触っている時、ドアをノックする音がします。こういう時、普通は開けませんが、ユニは開けます(笑)。当然、警察官です。ヒョンにパスポートを見せろと言います。素直に見せるヒョン、すみませんと言って警察官は出ていきます。何をしたかったんでしょう? ここまできたなら最後まで居座らなくちゃだめでしょ(笑)。
ふたりがそうはならないようにうまくできています。ユニは寝ましょうと言い、寝室に入り、迷った末、ドアをかすかに開けておきます。ヒョンは行くべきかとどまるべきか、結局ひとりソファで寝ます。
朝、北京の妻からビデオメッセージが入っています。どうやらヒョンが出てくる時に喧嘩をしたようです。その謝罪と愛のメッセージです。
ユニのアパートメントを去るヒョン、どこかの店で朝食をとっているときだったと思います、後輩の女性から電話が入ります。夫があなたを追ってキョンジュへ行ったと告げられます。逃げるように立ち去るヒョンです。
何という下世話な話でしょう(笑)、なのにそうはみえません。
そして、ラスト、7年前のシーン、ヒョンたち三人が茶屋で春画を見て下品な話をしています。店の主がお茶を持ってきます。ユニです。
という、ホン・サンスばりに大笑いできる話のはずなのに、不思議な無常観ただよう映画です。
その理由にはふたりの希薄な実在感もあるのですが、多くの「死」が語られることもあります。先輩の死、後輩の女性との子どもの(多分)死、ユニが語る自殺したという夫の死、ヒョンがキョンジュの町でたびたび出会う母娘連れの心中、唐突に起きるバイクライダーの(多分)死、そして古墳という象徴的な死、しかし、この映画、それらの死で涙を誘うことはしません。
おそらく、この映画、極めて人間くさい俗なものが持つ、それとは裏腹の無常観がテーマなんでしょう。
他にもあれこれいろんなものが散りばめられており、見るのが楽しい、そして他の作品も見たくなるチャン・リュル監督です。