青春ものとしてはクリアさに欠け、社会批判ものとしては煮えきらず、方向性に迷ったのかも…
空音央監督、「そら ねお」と読むそうです。1991年生まれとありますので33歳くらいの方です。坂本龍一さんの息子さんなんですね。
この映画は今年2024年のヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ部門に出品されています。受賞はなかったようです。
近未来というよりも現代日本のうつし画…
「今からXX 年後、日本のとある都市」とありますが、近未来の話というわけではなく現在の日本の社会情勢のいくつかを学園内に反映させたドラマです。単なる青春ものではなく現代日本のうつし画の映画です。
台詞が聞き取りにくいシーンが多いですのでなんと言っていたかはわかりませんが、鬼頭(だったと思う…)首相によってなにかの法令が強行採決されそうになっているようなテレビ映像が流れたり、それに反対するデモが行われていることがドラマの社会背景となっています。安倍晋三元首相が安保法制制定を強行に押し進めていたことが反映されているものと思われます。
その法令と直接的には関係ないものの、同時に進行しつつある監視社会というものが学園にも押し寄せることがドラマの軸になっています。学園内に取り付けられた監視カメラで生徒たちを常時監視し、AIが即座に違反行為を判定するシステムが導入されます。
また、学園内の生徒の構成には外国にルーツを持つ生徒の存在が強調されています。主役のひとりコウは在日コリアンですし、その音楽仲間5人には黒人系と中国系の2人がいます。その他エキストラ的な生徒たちにも外国ルーツの生徒が目立つようにつくられています。映画後半のクライマックスともいうべき学校への抗議行動をする生徒のほとんどは外国ルーツの生徒です。20人くらいいたような印象です。
そしてもうひとつ、このところの日本社会に顕著になってきていることが後半に強く反映されています。
現状を好意的に受け入れることをよしとする層が多数派になってきていることです。ドラマ後半になり、「一部の」生徒たちが監視を止めてほしいと訴えますと、それに対して、一人、二人と監視カメラはあったほうがいいという生徒が現れ始めます。映画ではその声が大きくなり…というところまでは描いていませんが、それが多数派であることがわかるようにはつくられています。そして、その多数派は概ね自らを日本人と認識する生徒たちです。
日本社会がどんどん内向きに、保守的になっています。
青春ドラマとしてはクリアさに欠けるかも…
という一面を持った映画ではありますが、基本は青春ものです。ただ、スカッとはいきません。
幼馴染のユウタ(栗原颯人)とコウ(日高由起刀)は、音楽でつながった数人と楽しい高校生活を送っています。その日も高校生はダメだと言われたクラブに裏口から侵入しノリノリ(もう使わない?…)です。理由はわかりませんが、警察の取り締まりがあったりといろいろあり、よくわからないままに(笑)、学校に行き、校長(佐野史郎)の愛車をボンネット側が下になるように立ててしまういたずらをします。
校長がテロと呼ぶその行為が原因となり、学校にAI監視装置が導入され、生徒たちを画像認識して悪さをしますと自動的に減点されることになります。10点減点されるとどうこうとか言っていましたが、それが具体的に示されることはありません。
映画の軸となっているのはこの AI監視装置をめぐるあれこれなんですが、それがはっきりしてくるのは後半になってからであり、前半は学園生活の諸々が描かれています。ということだと思うのですが、実はこれといったはっきりしたものはありませんし、率直なところ青春ものとしては全体的にテンポもよくありませんしクリアさに欠けています。
主張し行動する生徒フミ(祷キララ)が登場します。上に書いた「一部」の生徒の象徴的存在として描かれます。そして、コウがフミに興味を持ち始めます。恋愛感情というよりも人物に興味を持ったという描き方がされています。コウのその変化ゆえにユウタとの関係がギクシャクし始めます。コウは、ユウタはいつもバカばかりやっていると感じ始めるということです。
デモに積極的に参加する社会に物申す派の教師(中島歩)がいます。フミやコウをデモに誘います。で、何かが起きていましたが忘れました(涙)。
また、在日コリアンであるコウが警官に特別永住者証明書(違う表現だったような…)の提示を求められて絡まれるシーンもあります。
ということがややとりとめなく起き、後半になってやっと校長がいうところのテロ事件に話が戻ります。
ある時、自衛隊員が入隊の勧誘(だと思う…)にやってきます。教師は日本国籍を持たない生徒に教室から出るように言います。それが引き金となりフミを中心に生徒たちは校長室へ抗議に向かいます。そして校長室に籠城し座り込みに入ります。
その後どういう展開になったかあまり記憶していませんが、とにかく全校集会となり、校長がテロ事件の犯人が名乗り出るのであれば監視を止めてもいいと条件を出します。
ユウタが名乗り出ます。コウも手を上げるのかと思いましたが、そうはならず、結局ユウタは退学となります。
コウとユウタの仲がダメになることもなく、卒業式も終わり、二人が歩道橋の上で左右に分かれていきます。
歩道橋の上に標識には「赤葦方面」と「九路尾方面」とあります。この地名らしき言葉を検索してもまったく引っかかりません。どういうことでしょう?
才能を感じるような、そうでもないような…
という映画なんですが、アメリカでの活動歴があるからでしょうか、この年代の日本の監督が撮る映画とはちょっと違ったものを感じます。そのせいだと思いますが、監督としての才能があるようなないような(ゴメン…)、映画として面白いような面白くないような、なんとも不思議な感じがあります。
才能があるようなないようなという言い方も申し訳ないのですが、映画のつくりはうまくないです。間合いがよくないですし、中途半端なところも多いです。このカットでその間合いは持たないだろうとか、そのカットからそれは無理だろうとかと感じるところが多いです。
ただ、なにか持っているかも知れないと感じさせはします。なにかやろうとしている気概は感じるところがあるからでしょう。
それに、ロケーションをうまく使っています。近未来、というよりも明日の日本という感じ程度の近未来ですが、それをロケーションや独特なカットや映像処理でうまく出しています。逆説的な意味で言えば、上に書いた間合いの悪さ自体も近未来感に役立っていると言えなくもありません。
いずれにしても、今後継続して映画が撮れていけるかどうかだとは思います。