昭和ノワールものを平成コメディ(ギャグ)タッチで描く
劇場公開時には三池崇史監督が「初恋」?と興味を持ったものの何となく見逃してしまいましたがやっと見られました。
今やヤクザ映画(ではないけれど)もギャグなしでは成立しないということのようで、その意味では「初恋」のタイトルもギャグなのかも知れません。
まず、テレビ画面じゃ暗くて細部がよくわかりません。いろいろ画も凝ってつくられているようですので残念でした。
基本の物語はほぼ昭和です。
不幸な境遇の女がいます。幼い頃から父親の暴力(性暴力も?)にさらされ、ついには借金の形にヤクザに身売りされ、クスリ漬けにされて売春をさせられています。
男はボクサー、生まれたばかりの頃に捨てられまったく身寄りがありません。ボクサーとしての才能はありますが、脳に腫瘍があることがわかり余命宣告されます。
そんな二人がひょんなことから出会い、そして麻薬絡みのヤクザの抗争に巻き込まれながらもともに生きる道を見出します。
萩原健一さんとか松田優作さんがはまりそうな物語で、そのまま撮れば昭和ノスタルジーを感じさせる感傷的な映画になりそうです。
しかし、物語は昭和でもこの映画のつくりは完全に平成です。
まわりの人物が完全にキャラ化しています。ヤクザの親分も子分たちも刑事もヤクザの情婦も抗争相手のチャイニーズマフィアも、そして女を売りとばした父親さえもパンツ一丁のふざけた格好で登場します。
登場は皆が皆、その役柄を気取ってヤクザならヤクザらしく刑事なら刑事らしく登場します。しかしそれは真面目にやることがボケることになるという意味であって中にはギャグをとばす人物までいます。そして物語自体も決してシリアスにはならず、ちょっとした行き違いがさらなる行き違いを生み、誰が敵で誰が味方かもわからないくらい混乱し、いわゆるドタバタ化していきます。
この映画は昭和ノワールを平成コメディの味付けでつくられています。
レオ(窪田正孝)とモニカ(小西桜子)の二人だけはいたって真面目です。しかし、その分、このつくりの映画の中にあっては当然影が薄くなってしまいます。
二人が互いに何かを求め合うと言いますか、傷をなめ合うと言いますか、そうしたベタなところはまったくありません。あるいはあえて避けているのかもしれないという意味でタイトルもギャグかと書いたのですが、ただ初恋なんてものはそもそもベタなものですからそれをやらないと映画にならないでしょう。
そう言えばエンディングだけはベタに終えていました。
レオは試合に勝っても表情も変えなかったものがオーバーなくらい喜びを表現するようになり、モニカは更生施設で薬物依存を脱したようで、二人そろってアパートに入っていく姿をかなり引いた画で押さえて終えていました。
この一連のシークエンスはそれまでの暗い画から一転して明るくなっており、特に最後のアパートのシーンは妙に現実感のある画でした。
ああ、一夜の物語ということでした。
レオは才能もあり連戦連勝のボクサーなんですが、ある試合で軽いパンチをうけただけなのにダウンを喫してしまいます。病院でMRI診察をうけたところ脳腫瘍で余命宣告されます。茫然自失の体で歩いているところ、男に追われるモニカと出会い、男を殴り飛ばしてしまいます。
モニカを追っている男は刑事(大森南朋)であり、ヤクザの男(染谷将太)と組んで麻薬の取り引きを横取りしようと企んでいます。(あまりよくわかりませんでしたが)モニカはその後横取りされた麻薬を持っているとしてヤクザの組やチャイニーズマフィアに追われることになります。ちなみにレオと出会った時に逃げていたのは薬物中毒のため見えるらしい父親の亡霊から逃げていたということです。
もうこの設定からしてドタバタ喜劇のパターンではありますが、皆キャラが強く結構映画としてももっています。特に、モニカを監禁しているチンピラの情婦役のベッキーさん、刑事役の大森南朋さん、組を裏切るヤクザの染谷将太さん、組の若頭(かな?)役の内野聖陽さんあたりが目立っており、「初恋」というよりもむしろこちら側の映画ということかも知れません。
とにかく、ドタバタ喜劇の方はあれこれあり、撃ち合いや斬り合い(笑)があり皆死んでしまいます。
そうそう忘れていましたが、レオの脳腫瘍の件は医師が画像を取り違えていたそうです(笑)。オイ、オイ(涙)。
死んだ気になればヤクザの抗争に巻き込まれても怖くないのに一旦死が遠のけば怖くなってしまうという使い方がされていました。それを乗り越えてモニカと生きる道を選んだということです。
三池崇史監督、見ている映画は「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」と「十三人の刺客」だけですが、印象としては肩透かし的な映画という感じで小手先で逃げているように感じます。