キリスト教的価値観の脳内妄想映画
こういう映画はキリスト教世界の価値観がないと撮れないでしょう。
絶対的なるものへの憧憬、人間の誕生と再生への積極的な関与、性的欲望との葛藤、そして肉体と精神の二元論。基本は「2001年宇宙の旅」の流れの中の映画だと思います。
それにしても、せっかくいい俳優を使っているのに何やってんだかよくわかりません。
クレール・ドニ監督、「パリ、18区、夜。」とか「ネネットとボニ」が代表作としてあがりますが、見ているかどうか記憶にありません。最近の作品では「レット・ザ・サンシャイン・イン」を見ており、結構辛辣なことを書きながらも、この「ハイ・ライフ」のことに触れて期待すると書いていますが、申し訳ありませんがダメでした(ペコリ)。
ジュリエット・ビノシュさん、その「レット・ザ・サンシャイン・イン」にも主演で出演しており、映画はよくありませんでしたが、それでも一貫したひとりの人物を演じていました。でもこの映画は意味不明です。自分が何を演じているのかわかっていないようにも…、と、いくらなんでもそれはないでしょうが、少なくとも監督が考えていることと俳優の思いが一致しているようにはみえません。
なんだかよくわかりませんが、宇宙船がブラックホール(なのかな?)に向かっています。男女何人かが乗っており、どうやら死刑や終身刑を受けた重犯罪の囚人たちが何かの実験の被験者となっているらしく、その実験者がディブス医師(ジュリエット・ビノシュ)ということのようです。
で、何の実験かといいますと、これがよくわからないのですが、「生殖」に関することのようです。これ以上のことは(私には)映画からは読み取れませんので公式サイトから引用しますと、
宇宙船には9人のクルーがおり(略)死刑や終身刑と引き換えに生きて地球へ戻る保障の無い宇宙船に乗り込み、“人間の性”に関するある実験に参加する事を選択したのだった。船内で彼らは、科学者であり医師であるディブスに薬でコントロールされ、生殖実験のためのモルモットとして協力させられていた。
ということらしいです。
そもそも囚人たちが薬でコントロールされているようにはみえないんですけど、とかツッコミ始めるときりがありませんので、ざっと、こういうことかなあと想像で書いておきますと、
- 宇宙船は、ノアの方舟あるいは楽園からの追放イメージ
- モンテは、禁欲するアダム
- ディブスとボイジーは、ふたり合わせてイブ
- ウィローは、アダムから生まれたイブ
- 途中出会う宇宙船は、欲望により荒廃した地球あるいはこちらがノアの方舟
- 黄色い光は、神
適当ですけど、こんなところじゃないでしょうか。
まあ、そう単純でもないのでしょうが、仮にこうしたメタファー的な思いのある映画とするなら、映画としてもう少し美しくないと気持ちが入っていきません。
編集は特に美しくないですし、それぞれの人物も気持ちが流れているようにはみえません。コントロールされ(ていないけれど、そうだとし)ながらも突如凶暴になったりするのも、ある種人間の制御できない欲望の表現かと思いますが、普通に暴れたり襲ったりしても美しくありません。
ディブスのマシンを使ったセックスシーンもなんだか意味がわかりません。殺伐たるシーンで浮きまくっています。ボディダブルだとは思いますが、ジュリエット、何やってんの?って感じです。
ということで、映画自体がうまく出来ていない以上、そこから何かを読み取ったとしてもあまり意味のないことのように思います。